BYAKUYA-the Withered Lilac-5
ビャクヤは辺りを見渡す。ビャクヤの周辺に人はいないものの、少し離れた場所に位置する、さっきまで買い物をしていたスーパーの周りには人だかりがあった。
ここがもし『夜』の中であれば、人の気配はなくなるはずである。それにビャクヤは、『夜』に入った瞬間に感じる衝撃も受けていない。
ーー僕ともあろう者が。知らないうちに『夜』に入るなんてあり得ない。ということは。奴はやっぱり。自分から『夜』から出てくるって事みたいだね……ーー
ビャクヤは、更に周囲を探ってみた。強烈な顕現の気配を辿り、それの位置を突き止めた。
「いた……」
それは、漆黒の体を夜空に溶け込ませ、赤く光る眼光らしきものをビャクヤに向けていた。
ビャクヤは、眼光を向ける謎の存在と相対した。最早それは、隠れるつもりがないのか、ビャクヤが完全に正面に捉えても動きを見せなかった。
「ねえ。一体何のつもりなんだい? こそこそと。まあ。隠れられてないけど。付け回してくれちゃってさ」
相手が虚無であるならば、このような問答をしたところで返事があるはずがない。しかし、ビャクヤの眼前にいる存在は、虚無に違いない匂いを放っているが、やはり、『偽誕者』と似た気配を携えている。
『…………』
異形の存在は、一声も発しない。唸り声すら発せず、ただ静かにビャクヤに眼光を向けるだけである。
「……姉さんに虚無を狩るな。って言われてるけど。もう我慢ならないね。虚無がどうやって『夜』の外に出てきてるのか知らないけど。そうまでして僕を喰らいたいって事なんだろ? あいにく。僕も大人しく喰われてやるつもりはない。それに……」
ビャクヤは、買い物袋をその場に放り、背中に鉤爪を顕現させた。
「……やっぱり。食事は顕現に限るんでね!」
ビャクヤは手を広げ、投網のような顕現の糸を放った。
異形の影は、翼を広げて空を飛び、ビャクヤの糸をかわした。そしてそのまま空を滑るように進み、ビャクヤに向かってきた。
「やっとその気になったようだね。すぐに喰らってあげるよ」
ビャクヤは、飛びかかって来る虚無を串刺しにするべく、鉤爪の先を全て上に向けた。
「貫け!」
鉤爪は一瞬にして倍以上に伸長し、上空の虚無を突き刺して落とそうとした。
しかし異形の虚無は、ビャクヤに襲いかかってくるかと思いきや、そのまま上空を飛び去っていった。
「逃さないよ!?」
ビャクヤは、糸を放って虚無を捕まえようとした。しかし、糸は僅かに虚無へとは届かず、虚無は闇夜の中に消え去っていった。
「逃したか……」
ビャクヤは、小さく舌打ちした。
一度ならず二度までも、『偽誕者』のような雰囲気を纏う虚無はビャクヤの前に姿を現し、そしてやはり、襲い来る事なくどこかへと消えていった。
ビャクヤは、いよいよ虚無の目的が分からなくなっていた。
虚無は顕現を求め、本能の赴くままにそれを喰らう。それだけの存在のはずであるのに、例の虚無は、自ら『夜』の外へと抜け出し、ビャクヤに執拗に付き纏っている。
そうまでしてビャクヤの顕現を喰らいたいのかと思いきや、こうして遭遇する度に、じっくりと観察するような様子を見せ、そして逃げていく。
ビャクヤは、苛立ち始めていた。
「鬱陶しい上に腹立たしいね。今だって。やる気に見せかけて逃げてったしね……」
ビャクヤの苛立ちの原因は、顕現を喰らえない事による空腹でもあった。
かなりの顕現を携える虚無を目の前にし、ビャクヤに宿る顕現の獣も黙ってはいなかった。顕現を求めてビャクヤの空腹感を増強する。
ビャクヤは、先ほど地に放った買い物袋を拾い上げ、中から潰れたケーキを取り出し、それを二口で食べた。
ビャクヤはそのまま、狂ったように買ってきた菓子をむさぼり続ける。一リットルのジュースを一息に飲み込むと、ようやく空腹感は僅かながら和らいだ。
ーー『虚ろの夜』。明後日の夜。だったかな? 姉さんが言っていたのは……ーー
ビャクヤは、口の周りを乱暴に擦り、手に付いたクリーム等を舐める。
「……いいねぇ。決めたよ。そっちがどういうつもりかは知らないけど。僕は逃すつもりはないよ。喰らってあげよう。その肉体(器)ごと。綺麗さっぱり。残さずにね!」
作品名:BYAKUYA-the Withered Lilac-5 作家名:綾田宗