「こんにちは」
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「ちょっと付き合えよ。ついて来い」
そう言って、彼より一回りも二回りも違う手に引かれて行けば、入院病棟へ突っ切り、どうやら、どこかの病室へ連れて行きたいようなので、「誰か入院しているのか」と訊ねれば、「そうだよ」と、不動は素っ気無く、味気無く応えて、そしてある病室の前で立ち止まった。
本来ならば扉の横の壁にでもその病室に入った人物の名前でも書いてありそうなものを、そこにあるものは白いばかりで名前が記されていないネームプレートが貼り付けられていた。この病室は空室ではないのか、と源田は首を捻った。
しかし、慎みも無く、空室かと疑いたくなる謎の病室の扉を、ガラリと開いて中へ足を踏み入れるので、不動と親しい人物がいるらしいと思った源田は、疑惑に揺らいでいた胸を撫で下ろし、そろりそろりと病室へ踏み入った。
病室の広さは、四人や六人がベッドを並べている集団のそれと同じ広さなのだろうが、この部屋にはベッドが一台、部屋の角とベッドの脚を合わせるように置かれているだけなので、ガランドウとした雰囲気の、どうやら通常よりも割り増しの金額を請求される個室だった。
ただ、個室であれば、ソファなり、テーブルなり、テレビなり、贅沢な付属品があってもいいのだろうけれど、この部屋には清潔を具現化した白い寝床があるばかりで、源田は、自分が何年も前に過ごした入院生活と掛け離れた印象を持つしかなかった。体を悪くして入院した……と説明されるよりも、人間の骸でも寝かせているのだと説明されたほうがよっぽど違和がない。それほど源田には、なんというか、不気味で、不可思議で、近寄り難かったのだ。
「ぼさっとしてねェで、早く入ったらどうだ」
中に入りたくない、そんな源田の気持ちを瞬間的に表情から読み取った不動は、存外、繊細な精神世界の持ち主なのかもしれないけれど、不動も、あまり昔の馴染みをここへは連れて来たくはなかった気持ちを吐き捨ててこの病室の住人を紹介しようとしているのだ。彼も(訳もわからなく)会いたくないのだし、自分もあまり会わせたくない。しかし、顔くらいは見せてやってはくれないだろうか、この人のために……不動は思っていた。
「イヤな予感がするんだろ? ……だいたい合ってるぜ、鈍臭いわりに勘はイイんだな」
「いや……俺は……」
「でもさ、顔だけでもな、頼む。……もうコイツ死んじまうんだ……」
部屋の入り口で、所在のない視線を右往左往させる源田は、不動の言葉に唇を噛んだ。
先程まで何気なく触れることのできた彼の体に触れることも躊躇させられた源田は、「なんだ、寝ちまったのか」と床に臥した人間……、源田もよく知った男を見て言った不動の声を耳にして、口内には、じんわりと、酸っぱい唾液が染み出、咽喉は乾き、体が訴える不快な緊張を噛み締めていた。