その先へ・・・6
二人きりになると、ユリウスは両手を胸に当てて必死に何かに耐えている様だった。微かに震えているようにも見える。
「ユリウス、大丈夫か?」
相変わらずユリウスの顔色は青ざめたままだ。アレクセイはユリウスを椅子に座らせた。
ふと視界の端にウオッカが止まった。
書棚の隅に大事そうに置いてあったウオッカに手を伸ばして見た。
あの時のスミルノフ……。
ミハイルの弔いをささやかに行った時のウォッカだった。
「まだ残っていたのか」
アレクセイはキッチンからグラスを持ってくるとウォッカを注ぎ、ユリウスに差し出した。
「これ飲んで少し落ち着くんだ」
「でも……」
「少しだけでいいから。飲め!」
震える手で受け取ったグラスを傾け、一気にあおった。
「あ、おい!」
案の定……ユリウスは激しくせき込んでしまった。
「ばかやろう!少しでいいと言ったろう!」
「……ごっ……ごめ……」
むせるユリウスに今度は水を飲ませ、落ち着くように背中を優しくさすってやった。
しばらくすると、ユリウスもいくらか落ち着きを取り戻した。
「落ち着いたか?」
「うん……。ありがとう……」
アレクセイはユリウスの手からグラスを取り、再びウオッカを注いで今度は自分が一気にあおった。
熱い液体が喉を通り、体のすみずみにまで行き渡る。
そういえば……
ルウィが現れてから今まで、何も飲んでいなかったのに気が付いた。乾ききった喉と体にスミルノフは少しきつ過ぎたかもしれないが、かまわずもう一杯グラスに注ぎ一気にあおる。
ようやくひとごこちつき、大きく息を吐いてユリウスの横に椅子を持っていき腰を下ろした。
「大丈夫か?」
「……」
「すまなかった……。嫌な思いをさせてしまったな」
静寂を破ったアレクセイの声に、ユリウスは無言で頭を横に振った。
「ヤツはおれの同志だが、長年おれを目の敵にしているんだ。まさか今日ヤツと再会するとは思ってなかった。しかもここにまで来るなんてな。おれの考えが至らなかったんだ。本当にすまない……」
無言のままユリウスは頭を横に振り金色の髪を揺らした。
「ガリーナを守ってくれたんだろう。ありがとう。……だが、おまえは大丈夫か?無茶したんじゃないか」
うつむいているため表情を読み取れないが、ルウィと対峙している時のユリウスとは明らかに違う。まだ震えているようにも思える。
アレクセイはユリウスの両肩に手を置き、うつむく顔を覗き込んだ。
「ユリウス……」
少し顔を上げた顔色はまだ蒼白だった。
「……アレクセイ」
声も少し震えている。
「どうした?」
何か言いたげに口を開くのだが、うまく気持ちが声に乗らないようだ。ぎゅっと目を瞑り、再び下を向いてしまった。
「どうした?言ってみろ」
再びユリウスは首を静かに横に振った。
あの時と同じだ……。
とっさにアレクセイはレーゲンスブルグの初夏のあの日を思い出した。
ボートで何もかも白状させようとして、見事にずぶぬれになった時の事を。
ロシアに帰る事がだんだんと現実味を帯びて、別離が明らかになってきたと感じ始めたあの時。
聞いたところでどうしてやることも出来なかったが、抱えている秘密を少しでも吐き出せば彼女の心も少しは楽になるのではないか、と思ったのだ。
秘密を聞いた自分は、じきにその存在を消すのだから彼女も言いやすいだろうと……。
ところが……。結局彼女は秘密を一言も告げる事無く、あの始末……。
だが、今は……
あの頃とは違う。
彼女の話を聞き、抱えている想いを受けとめてやるだけの度量は持ち合わせている。
あの頃とも……、そして先ほどまでの自分とも違う。
ユリウスを受けとめてやる。
記憶を失っていようとも、侯爵の愛人だったかもしれなくても、そんなものはもうどうでもよかった。
ドイツでも、そしてこのロシアでも一途に、まっすぐに気持ちをぶつけてくれるユリウスがまぶしかった。
自分の気持ちに正直なユリウスが、いつも愛おしかった。
シベリアの、あの過酷な日々を生き抜けたのは苦楽を共にした同志の存在と、心にいつもユリウスという灯を燈し続けていたからだ。
今アレクセイがこうしていられるもの、彼らや彼女の存在があったからこそだ。
同志達は儚くなってしまったが、奇跡の様に自らの傍らにいるユリウスは大切に思わない訳がない!
ユリウスを受けとめてやる。
ユリウスのなにもかもを 自分が……。すべてをだっ!
ユリウスのほっそりとした肩を掴んだ手に、いっそう力が込められた。
(その先へ……7へ つづく)