代用之愛、一粒伍円也
鳴海が煙草の本数を減らしたのは、居候兼探偵見習い兼デビルサマナーの書生がひどく煙を嫌うからである。
もっとも美貌の助手が柳眉を顰める程度で行いを改める鳴海ではない。彼が煙草を減らしたのはもちろん親切心や相手を慮る心によるものではなかった。
それどころか鉄面皮と名高い当代葛葉ライドウの貌を歪める煙を面白がり、態と彼の目の前で煙草をふかして見せたくらいだった。
礼節を重んじる家で育てられたライドウは、初めはそんな鳴海のからかいを黙って耐え忍んでいた。
如何にちゃらんぽらんの昼行灯で不甲斐のない(中略)イカサマ雀士であろうと目上は目上だ。ヤタガラスの命で此処に居る以上、直属の上司でもある。
ゆえに眉間に縦皺を刻みながらも、出来れば外か自分の居ない時に喫ってくれるように進言するに留めてじっと我慢をしていたのである。その様は、目付け役の黒猫に「気短のお前にしては、菩薩のような忍耐だな」と言わしめるほどだ。
だが、しかし。
仏の顔も三度までと云うではないか。
菩薩には程遠い、どちらかと云えば悪魔寄りのライドウは三度その白い顔に煙を吹きかけられて、静かに、だがぷっつりと堪忍袋の緒を切った。
常日頃の無表情から、感情に起伏がないと思われがちのライドウだが、本性は激しやすく往々にして力任せである。見も蓋もなく評すれば、口より先に手が出る乱雑な性質だった。ただ普段は表へ現れないというだけだ。
付き合いの浅い鳴海にはそれが見抜けなかった。
ライドウの封魔の様子を一度でも見れば迂闊な行動も取らなかっただろうが、生憎只人の彼に不思議は見えないのである。それが鳴海の不運と云えば、不運であっただろう。
張り詰めた糸の静けさで殺気を背負ったライドウは、腰に佩く愛刀・赤光葛葉の柄に手をかけた。
チキ、と鍔元が不吉に鳴る。
「鳴海さん」
「んん~?どしたの、ライドウちゃん。嫌そうな顔しちゃってさあ」
未だ鳴海は噴火寸前の火山に気づかない。
銜え煙草でニヤニヤと笑い、彼は自ら地雷を踏んだ。
ライドウの足元に寄り添って居たゴウトは「この馬鹿が…自ら死期を早めおって」と、鳴海を見上げてひとつ息を落とした。そして己までもが厄介事に関わってたまるかという風情で踵を返す。彼が人の為りをしていたならば、切支丹風に十字を切ってみせたかもしれない。
鳴海の口元では、船を呼ぶ灯台の目印のようにちらちらと赤い火がゆれていた。
点灯する灯火を、悪魔と対峙する時の目でライドウがねめつける。――残念ながら揺らめく赤が呼び寄せるのは船ではなく一陣の嵐だ。
だが己の危機を知る由もない鳴海は、離れて行く黒猫を暢気に横目で追った。
「ん?あれ、ゴウトがどっか行――」
どっか行っちまうけどいいのか、と続く筈の言葉は、ビョウと一閃、口元を薙いだ風に攫われた。否、薙いだのは風ではなく白刃である。鳴海の口元で揺れていた火種は瞬きをする間より速く、切り落とされて地に落ちた。
「…………へ?」
ぽかんと開いた口から短くなった煙草もぽとりと落ちる。
「二度と俺の目の前でその忌々しい煙を吐かないで下さい。――次はその鼻ごと切り落とします」
ライドウは凍えた双眸で鳴海を見遣り、白刃を一振りすると鞘に収めた。
状況が飲み込めずに呆然としていた鳴海は、地に落ちたシガレットの残骸に目を落とし、刀を収めるライドウを見、もう一度地面を見た。そうしてたっぷり一分ほど沈黙してから、怯えの混じった声で「はいスイマセンもうしません」と土下座した。
もっとも美貌の助手が柳眉を顰める程度で行いを改める鳴海ではない。彼が煙草を減らしたのはもちろん親切心や相手を慮る心によるものではなかった。
それどころか鉄面皮と名高い当代葛葉ライドウの貌を歪める煙を面白がり、態と彼の目の前で煙草をふかして見せたくらいだった。
礼節を重んじる家で育てられたライドウは、初めはそんな鳴海のからかいを黙って耐え忍んでいた。
如何にちゃらんぽらんの昼行灯で不甲斐のない(中略)イカサマ雀士であろうと目上は目上だ。ヤタガラスの命で此処に居る以上、直属の上司でもある。
ゆえに眉間に縦皺を刻みながらも、出来れば外か自分の居ない時に喫ってくれるように進言するに留めてじっと我慢をしていたのである。その様は、目付け役の黒猫に「気短のお前にしては、菩薩のような忍耐だな」と言わしめるほどだ。
だが、しかし。
仏の顔も三度までと云うではないか。
菩薩には程遠い、どちらかと云えば悪魔寄りのライドウは三度その白い顔に煙を吹きかけられて、静かに、だがぷっつりと堪忍袋の緒を切った。
常日頃の無表情から、感情に起伏がないと思われがちのライドウだが、本性は激しやすく往々にして力任せである。見も蓋もなく評すれば、口より先に手が出る乱雑な性質だった。ただ普段は表へ現れないというだけだ。
付き合いの浅い鳴海にはそれが見抜けなかった。
ライドウの封魔の様子を一度でも見れば迂闊な行動も取らなかっただろうが、生憎只人の彼に不思議は見えないのである。それが鳴海の不運と云えば、不運であっただろう。
張り詰めた糸の静けさで殺気を背負ったライドウは、腰に佩く愛刀・赤光葛葉の柄に手をかけた。
チキ、と鍔元が不吉に鳴る。
「鳴海さん」
「んん~?どしたの、ライドウちゃん。嫌そうな顔しちゃってさあ」
未だ鳴海は噴火寸前の火山に気づかない。
銜え煙草でニヤニヤと笑い、彼は自ら地雷を踏んだ。
ライドウの足元に寄り添って居たゴウトは「この馬鹿が…自ら死期を早めおって」と、鳴海を見上げてひとつ息を落とした。そして己までもが厄介事に関わってたまるかという風情で踵を返す。彼が人の為りをしていたならば、切支丹風に十字を切ってみせたかもしれない。
鳴海の口元では、船を呼ぶ灯台の目印のようにちらちらと赤い火がゆれていた。
点灯する灯火を、悪魔と対峙する時の目でライドウがねめつける。――残念ながら揺らめく赤が呼び寄せるのは船ではなく一陣の嵐だ。
だが己の危機を知る由もない鳴海は、離れて行く黒猫を暢気に横目で追った。
「ん?あれ、ゴウトがどっか行――」
どっか行っちまうけどいいのか、と続く筈の言葉は、ビョウと一閃、口元を薙いだ風に攫われた。否、薙いだのは風ではなく白刃である。鳴海の口元で揺れていた火種は瞬きをする間より速く、切り落とされて地に落ちた。
「…………へ?」
ぽかんと開いた口から短くなった煙草もぽとりと落ちる。
「二度と俺の目の前でその忌々しい煙を吐かないで下さい。――次はその鼻ごと切り落とします」
ライドウは凍えた双眸で鳴海を見遣り、白刃を一振りすると鞘に収めた。
状況が飲み込めずに呆然としていた鳴海は、地に落ちたシガレットの残骸に目を落とし、刀を収めるライドウを見、もう一度地面を見た。そうしてたっぷり一分ほど沈黙してから、怯えの混じった声で「はいスイマセンもうしません」と土下座した。
作品名:代用之愛、一粒伍円也 作家名:カシイ