長き戦いの果てに…(改訂版)【5】
11.告白
再び発作を起こしたヨハンは鎮静剤で眠らされて病院へ搬送された。ギルベルトが付き添って行ったがそのまま入院することになった。
ルートヴィッヒも一緒に行こうとしたが、後を任せるとの兄の指示で屋敷に残ることになった。屋敷内の騒ぎを鎮めるだけなら家令がいれば充分だが、一人の客のために主とその弟が二人とも屋敷を開けるとなると、騒ぎが大きくなり過ぎる為だ。
ギルベルトの直截すぎる言動を快く思わない者、もしくは単なる妬み嫉みからを問わず、バイルシュミット家の揚げ足を取る機会を狙っている者は少なくない。痛くもない腹を探られるようなことは好ましいとは言えず、兄の指示に否とは言えなかった。
家令マテウスが素早く取り仕切ったおかげで、屋敷内は何事もなかったかのように表面上は静けさを取り戻していた。ルートヴィッヒが蹴破ったゲストルームの扉がわずかに騒動の名残を留めるばかりだ。
だが使用人たちは目の届かぬところで、ギルベルトの気まぐれから始まった今回の騒ぎについて色々と取沙汰しては楽しんでいるだろう。
この先もマテウスがある程度は抑えるだろうが、どうしたって人の口に戸を閉てることはできない。
「ルート、大丈夫ですか?」
リビングのソファに座り込み、黙って頭を抱えるルートヴィッヒにローデリヒがそっと声を掛けた。
「すまないローデリヒ、心配ばかり掛けて……」
身じろぎもせずに考え込んでいたルートヴィッヒがようやく頭を上げた。
「そんなこと……今更水臭いですよルート。前にお願いしたでしょう、私には何でも話してくださいと」
ローデリヒは包み込むように彼の手を取った。
「私たちはもう他人じゃないんです、あなたに起こったことは、私に起こったことも同じです。嬉しい事だけじゃなく、悲しい事も辛いことも……全てをあなたと分かち合いたいのです。だからそんな風に気を遣ったりしないでください。私まで悲しくなってしまいますよ?」
最後は軽く冗談めかしながらローデリヒは青い瞳をそっと覗き込んだ。その瞳の奥には深い苦悩の影が見え隠れしている。
「あ、ああ……そうか、そうだったな、しかし──」
「しかしは、なしですよ」
ローデリヒはルートヴィッヒの瞳を見つめ、微笑みを浮かべて答えた。
「ん……あ、ああ、そうだな、すまない」
力づけようと思ったのだが、彼はまた俯いてしまった。
「そんな風に謝らないで下さいルート、お願いですから。私たちは恋人同士でしょう、どうか他人行儀な事は言わないでください。それとも……そう思っていたのは私だけだったんでしょうか」
それを聞いた瞬間、ルートヴィッヒは弾かれたように顔を上げた。
ローデリヒの黒髪に縁どられた白い額には深い苦悩の痕がくっきりと刻みつけられ、眼鏡の奥の紫の瞳は今にも泣き出しそうに揺れている。
「違う、違うんだ!そんなんじゃない……ただ……」
だが言いかけてルートヴィッヒはまた俯いた。
「俺は……」
そうではないのだと説明したかったが、口下手な為にどう言えば分かってもらえるのか分からない。せめて顔を上げたかったが、震える紫の瞳を見るのが辛くてそれもできず、そんな自分がなおの事情けなく許せなかった。
「「……すみませんでした、ルート」
ローデリヒの口から出たのは思いも寄らぬ謝罪の言葉だった。ルートヴィッヒが驚いて顔を上げると、ローデリヒは何も言わずに彼を抱きしめた。
「分かっています、あなたの言いたい事はちゃんと分かっていますよ……いや、分かっているつもりなのでしょうか」
いかなる時も流暢に語ることを忘れないローデリヒの言葉が突然途切れた。ルートヴィッヒを抱く腕が震えている。
「あなたを追い詰めるつもりはなかったんです、どうか……許してください」
絞り出すような震える小さな声。
ルートヴィッヒがようやく自分から動き、ローデリヒに腕を伸ばした。
「お前の気持ちは分かっているつもりだった……すまない、謝るのは俺の方だ。そんな風に思わせるなんて」
「いいえルート、一番辛いのはあなたなのに……私は何のお役にも立てなくて……」
室内を沈黙が支配した。どうすることもできない不安と、どうしても足りない何かをお互いの温もりで埋め合わせるかのように二人はただじっと抱き合っていた。
しばらくするとルートヴィッヒが呟くように話し始めた。
「……悪いのは俺だ。お前を泣かせ、ヨハンをあんな風にさせて、兄さんにも迷惑をかけた。全て俺一人から始まったことだ」
ローデリヒを抱きしめたまま身じろぎもせずに。
「そんな!あの騒ぎを起こしたのはギルです。あなたが何もかも背負うことではありません」
そう反論してみたものの反応らしい反応はなく、ルートヴィッヒの口から出たのはローデリヒを更に不安にさせるような言葉だった。
「お前も、もう……気づいてるんじゃないか」
ルートヴィッヒはそう言うとローデリヒから離れた。何かを悟ったか、それとも諦めたのか、青い瞳に宿る陰がローデリヒの胸を刺した。
「何を……何のことをですか」
平静を装おうと努めたが微かに声が震えた。
「あの騒ぎの原因だ」
ルートヴィッヒの声には生気が感じられなくなった。
「だからあれは……ギルが気まぐれで彼を──」
「気まぐれじゃないとしたらどうだ?」
ローデリヒは答えられなかった。
「兄さんは最初からあいつを狙ったんだ。ここへ連れてきて手をつけようとしたのは気まぐれからかもしれないがな。最初はそこまでするつもりはなかったのかもしれん。本来の目的は、俺だ。俺のことをあいつから聞き出そうとしたんだ」
「ルート、それは──きっとあなたを心配してのことですよ」
少しも説得力がないと分かっていたが何か言わずにはいられなかった。だがルートヴィッヒの表情は少しも変わらない。
「どうだかな……いずれにしても兄さんとは話さなくてはならない」
「お願いです、どうか早まらないでください。落ち着いて──」
彼が納得ずくで話をするというなら何も留め立てしはしない。しかし今の二人に穏便な話し合いができるとはとても思えない。恐ろしいことが起きる予感がしてならなかった。何か決定的な事が……
「どうせ隠し通せることでもない。隠して何とかしようとした俺が悪かったんだ」
「自棄を起こしてはいけません、お願いですから冷静になって──」
ローデリヒは必死で止めようとした。
彼は自分から破滅への道を突っ走ろうとしている。自分が止めなければ誰にも止められないだろう。二人を正面衝突させたら何が起こるのか想像するだけでも恐ろしい。しかし彼の意志は固く、決意を翻させることはできなかった。
「何も心配することはない、これ以上悪いことなど起こりっこない」
お前をこの手に掛けようとしたんだ、これ以上どんな悪いことが起こると言うのか──もちろん口には出さなかったが、これ以上何かしでかす前に終わりにしなくてはならない。
「もし何かあったとしても、それは俺が引き起こしたことだ。起こしたことの責任は自分で取らなくては。逃げるわけにはいかない」
「そんな──これは事故なんです、あなたが悪いわけじゃない!そんな風に自分を責めないでください。どうかお願いです、結論を急がないで──」
作品名:長き戦いの果てに…(改訂版)【5】 作家名:maki