再見 五 その一
夜が明け、まだ薄暗い早朝。
大岩の上で、藺晨は剣舞の稽古を始めた。
藺晨の鋭い剣さばきに、一際濃い、今朝の霧が動いていく。
今日は殊更丁寧に、一つ一つの動作を繰り出した。
昨日、一昨日、、その前の日も、、。
白ザルと手合わせをしてから、今日で五日目になる。
あの日の翌日。
藺晨は待っていたのだ。
確かに『毎日の手合せは無理』と、白ザルに言い渡したのは、藺晨だった。
だが、藺晨の心が、白ザルが来るのを待っていた。
待てども待てども、白ザルは一向に姿を現さず。
藺晨は、がっくりと落胆した。
白ザルが悪い訳では無い。
藺晨が『毎日の手合わせは無理』と言った。
《そう、私が言ったのだ。
白ザルは言いつけを守って、来ない。
そして私は、『手合わせをしない』とも言った。
白ザルは来る筈がない。
なのに、私は、白ザルが来ることを願っている。
、、、、、何故これ程期待をし、、
、、、、、これ程落胆をするのだ、、、。
全く、私らしくない。》
自分でも自分の心を持て余していた。
二日目も三日目も、、、、白ザルを待っていた。
いつまでも現れない白ザルに、恨み辛みをぶつけて、心の中で罵っていた。
四日目に、ふと。
《私は白ザルを待っていたのだ。
まるで、恋人を待つかのように、、、一人で嫉妬して、一人で怒り出して、、、。
、、、、馬鹿みたいだ、、、。
、、、そこらの若い娘と同じだ。
焦がれた心で、白ザルを待っていた。》
冷静に自分を理解できた。
自分の心を取り戻す事が出来たのだ。
《私は白ザルの友になりたいのだ。
、、、白ザルを友と呼んでも、、?。》
老閣主が、白ザルの父親を『生涯の友』と呼んだ。
藺晨には、今まで、友と呼べる者がいない。
藺晨の回りは、取り巻きや、謙(へりくだ)る者、または藺晨を利用しようと、近づく者。皆どれもろくな輩では無い。
《だが、私の我儘さや、高飛車な気質が、白ザルにどう映ったか。
今日、白ザルが来なければ、私は友に出来る人物を、逃したというだけの事なのかも知れぬ。
ただそれだけの事だと言うのに、、。》
現実に直面し、がっくりと、気持ちが沈む。
《、、、もし私の気質に呆れたのだとすれば、、
、、、、もう、手遅れだ。》
白ザルの為に、自分を変えようとは思わないし、白ザルの友を名乗る為に、取り繕おうとも思わない。
《縁は無かったのだ。》
頭ではそう分かっているのだが。
白ザルとの縁を、逃してしまうのは、心から惜しい、、、と、、。
、、、藺晨は、深く落ち込んで、暫く立ち直れぬ程、惜しいのだ。
藺晨が、人を、これ程思うのは初めての事で、当の本人が、一番面食らっている。
いつもよりも丁寧に、剣舞の型を攫い、汗を拭き、心落ち着かせる。
大岩に来る道すがら、三尺ほどの枝を、切ってきた。
青々とした葉が茂り、枝の太さは、親指程で握りやすい。
藺晨は、枝を目の前に置き、静かに胡座をかく。
そして目を瞑り、瞑想をした。
霧が次第に晴れて、琅琊閣は朝を迎える。
涼やかな風が起こり、空気が流れていくのを感じた。
音もない、静寂の世界。
何故か藺晨に、微かな緊張感が沸き起こる。
《来た!。》
藺晨は、鮮やかな手並みで、枝を手に取り、振り返りざまに枝を頭上に掲げた。
白ザルが、上から思い切り、藺晨の脳天に枝を振り下ろすが、藺晨の枝と、白ザルの枝が当たる既(すん)での所で、ピタリと止めた。
白ザルがにやりと笑う。
藺晨もまた、、、、。
《白ザルが来ただけなのに、何故、私はこうも嬉しいのだ。》
嬉しくて顔が綻んでしまうのを、どうにか、誤魔化す事で精一杯だった。
《私は嬉しいのだ。
なのに何故、隠そうとする。
素直に何故、嬉しさを表せぬ。》
いつもこうだった。
格好をつけ、ひけらかし。
人に侮られぬよう、心を鎧で固める。
、、、だから、離れていく。
《白ザルには、
『私』を出しても良いのではないか。》
格好をつける自分も、
嬉しいのに、素直に喜べぬ自分も、
《どちらも、『私』なのだ。
白ザルはそんな私を、理解している、
私を、 友、として。 》
《父が言っていたのだ。
世界の光が変わる、、と。
たかだか人間一人に、、世界が変わるなど、
そんなわけは無いと、
父親に担がれたのだと。
大袈裟にも程がある、、、、そう思った。
だが、
、、世界が、、、変わっていく、、、。
この瞬間からではなく、、
もう、、とうに、、、、。》
それは、甘美で、心沸き立つもの。
友、、、
まさに甘露の響き。
《 私の世界は、、光の中へと、、、》
──────糸冬──────
( 再見 五の弐 へ続く )