熟成アンドロイド 後編
こくり、と喉が鳴ったのは、寝起きで喉が乾いていたからだ、と無理やりに思い込んで、士郎はその、あってはならない感情に蓋をした。
「アーチャーが助けてくれたんだって?」
士郎の代わりにワゴンを押していたアーチャーは、こくり、と頷く。
「強化ガラス破ったって……。手、大丈夫か?」
「すでに自己修復は完了した」
「そっか、良かった。だけど、無茶したらダメだからな?」
「士郎を守るためなら――」
「アーチャー、ダメったらダメだ」
「…………了解した」
渋々承諾したアーチャーに、士郎は笑顔を向ける。
「明日、じーさんが帰ってくるって、連絡があったよ」
「切嗣が? 忙しいのではなかったのか?」
「アーチャーが起動したって聞いて、すっ飛んでくるってさ! 俺とは一年会わなくても平気だったっていうのに……」
「切嗣を懲らしめる準備をするのであれば、今からでは間に合わないかもしれない」
ぶつぶつと愚痴っている士郎のために、アーチャーは何か策を講じようとしているようだ。
「あー、止めないけどさ、死なない程度にしておいてやってよ。帰ってこないのは相変わらずだけど、二年前に過労で倒れてるんだ」
「そうか…………。まあ、自業自得だな」
「アーチャーって、ほんっと、じーさんには厳しいよな、昔から!」
士郎は笑う。
そして、アーチャーも微笑を返した。
彼は人間と見紛うような容姿で言葉を操り、行動している。
今、格段に進歩し、人間の代わりを担う存在へ急成長したアンドロイド業界に変革をもたらした一体。寂しさを素直に表せない不器用な子供のサーヴァント。
十年前とは髪も肌も瞳も色が違ってしまったが、アーチャーは今も士郎の兄であり弟であり家族である。それは士郎にとっても同じこと。
血の繋がりも、種の違いも関係ない。さらには、生物とも言えないアンドロイドだ、生きてすらいない。が、士郎にとってアーチャーは生き死にする存在である。
「明日はじーさんの好きなご飯を作って、久しぶりに家で過ごそう」
「ああ。ついでに懲らしめよう」
「ふはっ! まだ、言ってる!」
楽しげに笑う声が、廊下に響いている。そんな二人のように、カリス技研工業の研究棟に人とアンドロイドの笑い合う声が響く日は、そう遠くない未来になるかもしれない。
今日もたくさんのサーヴァントたちが研究棟で調整を行なっている。誰かの“ひとり”になるために。
深山町にある衛宮の武家屋敷には歪な家族が住んでいる。
それはそれは、絵に描いたような幸福そのものの、“三人”家族が。
研究者を育てるために帰宅することすら忘れる家主・切嗣。
切嗣の養子である士郎。
そうして“伝説”だと一部で噂されるアーチャー。
相変わらず切嗣は、仕事に勤しむ毎日だ。成人を迎えた士郎も日々を忙しく過ごしている。切嗣と似たり寄ったりの研究員たちが詰めるカリス技研工業の研究棟を餓死棟にしないため、昼と夕方に食堂からのデリバリーを欠かさず行なっている。
少し以前と変わったことは、サーヴァントであるアーチャーとともに、士郎は毎日、衛宮邸に帰宅する。士郎がコンテナハウスに泊まることはなくなった。
だが、いまだ切嗣は家に帰ってくることがほとんどない。
それについてアーチャーは、士郎が許しているのなら、と切嗣を懲らしめるつもりはなくなったようだ。士郎の傍にいることがアーチャーには何よりだから……。
時折、歯車が加速している。
それは、以前と同じで、士郎が笑ったとき。その上に今は、士郎に触れているとき、もしくは、士郎が触れてきたとき。
その現象に、いまだアーチャーは首を捻っていた。
アーチャーは気づいていない。
十年の間、士郎を思い、士郎の許に戻ることだけを思考していたことが、“その想い”を熟成させていたことに。
それが、アーチャーの辿り着いた“感情”であることに。
人間の補助的な役割であったロボット。
より人間の言動に近づいた、人工知能搭載のあらゆる機器。
科学技術の粋を極めたアンドロイド。
そして、熟成アンドロイドは――――――――
――――――――恋をする。
熟成アンドロイド 後編 了(2021/5/24)
作品名:熟成アンドロイド 後編 作家名:さやけ