アクシデントは恋への近道
寒い寒い寒い寒い。どーしてこんなに病院てのは寒いのか。
いや、空調設備は完璧だ。湿度調整だってしっかりしている。このアメストリス随一の優良病院、五つ星クラスの総合病院で患者が寒がるようなそんな不手際は起こり得るはずはないのだ。
だが、エドワードはぶるぶるとベッドの真ん中で震えていた。
寒い。はっきり言って極寒だった。まるで雪山遭難のようだ。毛布にぐるりと包まって、ただでさえ小さなその身を縮めてみる。
寒い寒い寒い寒い。やっぱり入院なんてしなきゃよかった。
病気や怪我ではないのに入院。単に乗っていた父親の運転する車が後ろから追突された結果の検査なのだ。ムチウチにもなっていないような健康体。検査なんかしなくていいからそのまま速攻家に帰ればよかった。なのに、加害者や保険屋によって後で何かあったら困ると父親ともども言いくるめられてこの病院へと放り込まれた。
まあ、入院とあれば学校も休むことができるのでそれでもいいかと思ったのが迂闊と言えば迂闊だった。小学校の授業自体はなどいくら休んでも支障はない。というかこの国に飛び級制度なんてあればとっととさっさと大学くらい通えるのに、とエドワードは思ってしまう。小学5年生にしてフェルマーの最終定理を理解する頭脳の持ち主だ。義務教育なんて意味がない。けれど、お友達を作るのも大事なことよ、学校は勉強だけのためにあるものじゃないからね。などと言われりゃ、ハイ、ソーデスネと返事の一つもしなきゃいかん。ああ、子供は面倒だ。しかも明日は大掃除に全校朝礼。北風吹く中、禿げ頭の校長の、無駄話など聞かされるのも億劫だ。オレの時間をそんなふうに無駄にすんな。論文の一つでも読んでいた方が世のためだ。まあ、小学校の授業自体が不要なのだ。分数だの和差算などちゃんちゃらおかしい、無駄な授業。それを聞かずに済むのもまあ、ラッキーかもなんて思ってみてはいたのだが……。
ほんとーにオレは迂闊だった。
ここは病院じゃねえか。
マズイヤバい。失念してた。
聞こえてくるのはうめき声。低くひそかに、重っ苦しく続く音声。耳では聞こえないはずのその地を這うような声、声、声。
いや声だけならまだマシなのだ。身体の上には何やら乗っかってくるような圧迫感があったりするし、冷気はだんだん増してくる。
お亡くなりになった患者の方々のその無念の声や怨嗟の声。
そういうものをエドワードは拾ってしまう。いわゆる霊媒体質なのである。
家に帰れば大丈夫なのに。なんでこんなおっそろしい所で一晩も過ごさなきゃならねーんだ。
八つ当たり的な思考をしても意味がない。これは耐えるしかないのだから。
常に身に付けている清められた塩に弟特製のお札。その二つがあるからこの寒さだけで済んでいるのはわかっている。それすらなかったら今頃どうなっていたのかわからない。
スチールのベッドヘッドに、何はともあれ一番最初に貼ったのは札である。ベッドの四隅に簡易結界として塩を盛る。それ以上出来るすべなどここにはない。
朝までひたすら耐えるのみ。
だが……。
さああああああむうううううういいいいいいいいったら寒い!!
天才少年陰陽師たる弟がいてくれればよかったのに。だけどここは完全看護。ご家族の方の付きそいは不要です。付き添いなどもとより居やしないが。だって親父はオレと同じく入院だ。ちなみにオレがいるのは小児病棟。親父は外科のところで入院中。母さんは弟の仕事に付き添って県外まで出張中。何やら巨大な霊が居座って、それをお払いするとかしないとか…。売れっ子陰陽師様は大変だなあ、なんて軽口叩いていた朝が懐かしい。そう、父親の車が事故に遭ったのはお払いにと呼ばれた弟を空港まで送りに行った帰りなのである。
「兄さん、くれぐれも家から出ないでね。ボク帰るの明後日だから、それまでは風邪ひいたことにでもして学校も休んだ方がいいのかも。じゃないと何か背負ってきそうで心配だからね」
なのに、親父が事故起こし。いや、事故ももしかしたらアルフォンスが自分から離れた影響による霊障だったのかもしれない。
「さみいいよおおおおアルフォンスうううううう」
家にたどり着く前に危険地帯に放り込まれたなんて、アルフォンスが知ったところで今はどうにもならないのだ。
仕方なしに毛布ともども丸まって。耐える、耐えろ。耐えて見せろオレ!!退院すれば大丈夫!家に帰ってアルフォンスの結界に閉じこもってりゃどんな霊でも一網打尽!!耐えろ、それまでの辛抱だ。耐えるんだ、オレっ!!
……時刻はまもなく丑三つ時。カツーンカツーンと足音は増える。ひたひたひたと忍びより、そうして息をひそめてじいいいいっと自分を貫く視線が四方八方から張り巡らされる。
不味い。
本気でヤバイ。病院なんて無数にいるんだ、死んでも浮かばれなくて迷ってる奴が。
もしかしたら簡易結界じゃ持たないかもしれない。
どうしよう。
オレ、無事に朝を迎えられるんだろうか……?
エドワードがごくりと唾を飲み込んだその瞬間。何の前触れもなく、そう一瞬にしてそれまでの霊気も寒さも霧散した。
「え……?」
思わず毛布をめくって病室内を見渡せば、ベッドの横に立っていたのは一人の男。眼鏡をかけて白衣を着て……。胸のネームプレートには「研修医ロイ・マスタング」とある。
「君、ずいぶん震えている。どこか痛むのかい?」
あまりの急激な変化に、茫然とその医者を見た。
「あ、あの……」
「念のためと思って巡回していたんだよ。君は確か…検査入院のはずだったな。ふむ、今になって痛みが出たのかもしれないし。大丈夫かい?ちょっと診察してみようか?」
美しい清浄な青色のオーラ。その黒髪の医師の背後から後光が差しているようにも見えた。
コイツ、この医者。もしかしたら……。
弟と同じく霊に対抗する手段を持っているやつかもしれない。
いや、陰陽師たる弟とは違うのだろう。払ったり浄化したりなどとは出来ないだろうとの予測はついた。だけど…。
確かにいるのだ。自分のように霊を寄せ付ける体質の人間と、それとは逆にはね除ける体質の人間が。
コイツ、多分。跳ね除け体質だ……。
その証拠に、この男が自分に声をかけたら、あれほどの冷気は消えたじゃないか。
地獄に仏とはこのことかもしれない。
エドワードはその医師、マスタングをじいいいいいいいいいいいっと見据えた。そうして、ひっしと胸に飛び込んだ。
幸いにして自分は子供だ。大人の男に抱きついてもセーフだろう。
「うん?どうしたのかね?」
患者に対する優しげな声。さすが小児科のお医者さん。少なくとも子供に対する扱いはしっかりしているだろう。よっし、ここはいっちょ可愛らしく涙なんか浮かべてみてこの男を朝までキープしてやるぜっ!!
「お、オレ……」
「……どうしたの、かな?」
霊に囲まれて寒かったんです。アンタが来た途端にうっとおしい奴らが霧散したので朝まで一緒にいてください。
さすがにそんなことを言ってしまえば、小児病棟から精神科の病棟へと移されてしまうだろう。優秀な頭脳にはそんなことわかりきっていた。だが、朝まで逃すわけにはいかないのだ。地獄に仏のこの男。何が何でも捕まえててやる。
エドワードは可愛らしく男にしがみつく。
いや、空調設備は完璧だ。湿度調整だってしっかりしている。このアメストリス随一の優良病院、五つ星クラスの総合病院で患者が寒がるようなそんな不手際は起こり得るはずはないのだ。
だが、エドワードはぶるぶるとベッドの真ん中で震えていた。
寒い。はっきり言って極寒だった。まるで雪山遭難のようだ。毛布にぐるりと包まって、ただでさえ小さなその身を縮めてみる。
寒い寒い寒い寒い。やっぱり入院なんてしなきゃよかった。
病気や怪我ではないのに入院。単に乗っていた父親の運転する車が後ろから追突された結果の検査なのだ。ムチウチにもなっていないような健康体。検査なんかしなくていいからそのまま速攻家に帰ればよかった。なのに、加害者や保険屋によって後で何かあったら困ると父親ともども言いくるめられてこの病院へと放り込まれた。
まあ、入院とあれば学校も休むことができるのでそれでもいいかと思ったのが迂闊と言えば迂闊だった。小学校の授業自体はなどいくら休んでも支障はない。というかこの国に飛び級制度なんてあればとっととさっさと大学くらい通えるのに、とエドワードは思ってしまう。小学5年生にしてフェルマーの最終定理を理解する頭脳の持ち主だ。義務教育なんて意味がない。けれど、お友達を作るのも大事なことよ、学校は勉強だけのためにあるものじゃないからね。などと言われりゃ、ハイ、ソーデスネと返事の一つもしなきゃいかん。ああ、子供は面倒だ。しかも明日は大掃除に全校朝礼。北風吹く中、禿げ頭の校長の、無駄話など聞かされるのも億劫だ。オレの時間をそんなふうに無駄にすんな。論文の一つでも読んでいた方が世のためだ。まあ、小学校の授業自体が不要なのだ。分数だの和差算などちゃんちゃらおかしい、無駄な授業。それを聞かずに済むのもまあ、ラッキーかもなんて思ってみてはいたのだが……。
ほんとーにオレは迂闊だった。
ここは病院じゃねえか。
マズイヤバい。失念してた。
聞こえてくるのはうめき声。低くひそかに、重っ苦しく続く音声。耳では聞こえないはずのその地を這うような声、声、声。
いや声だけならまだマシなのだ。身体の上には何やら乗っかってくるような圧迫感があったりするし、冷気はだんだん増してくる。
お亡くなりになった患者の方々のその無念の声や怨嗟の声。
そういうものをエドワードは拾ってしまう。いわゆる霊媒体質なのである。
家に帰れば大丈夫なのに。なんでこんなおっそろしい所で一晩も過ごさなきゃならねーんだ。
八つ当たり的な思考をしても意味がない。これは耐えるしかないのだから。
常に身に付けている清められた塩に弟特製のお札。その二つがあるからこの寒さだけで済んでいるのはわかっている。それすらなかったら今頃どうなっていたのかわからない。
スチールのベッドヘッドに、何はともあれ一番最初に貼ったのは札である。ベッドの四隅に簡易結界として塩を盛る。それ以上出来るすべなどここにはない。
朝までひたすら耐えるのみ。
だが……。
さああああああむうううううういいいいいいいいったら寒い!!
天才少年陰陽師たる弟がいてくれればよかったのに。だけどここは完全看護。ご家族の方の付きそいは不要です。付き添いなどもとより居やしないが。だって親父はオレと同じく入院だ。ちなみにオレがいるのは小児病棟。親父は外科のところで入院中。母さんは弟の仕事に付き添って県外まで出張中。何やら巨大な霊が居座って、それをお払いするとかしないとか…。売れっ子陰陽師様は大変だなあ、なんて軽口叩いていた朝が懐かしい。そう、父親の車が事故に遭ったのはお払いにと呼ばれた弟を空港まで送りに行った帰りなのである。
「兄さん、くれぐれも家から出ないでね。ボク帰るの明後日だから、それまでは風邪ひいたことにでもして学校も休んだ方がいいのかも。じゃないと何か背負ってきそうで心配だからね」
なのに、親父が事故起こし。いや、事故ももしかしたらアルフォンスが自分から離れた影響による霊障だったのかもしれない。
「さみいいよおおおおアルフォンスうううううう」
家にたどり着く前に危険地帯に放り込まれたなんて、アルフォンスが知ったところで今はどうにもならないのだ。
仕方なしに毛布ともども丸まって。耐える、耐えろ。耐えて見せろオレ!!退院すれば大丈夫!家に帰ってアルフォンスの結界に閉じこもってりゃどんな霊でも一網打尽!!耐えろ、それまでの辛抱だ。耐えるんだ、オレっ!!
……時刻はまもなく丑三つ時。カツーンカツーンと足音は増える。ひたひたひたと忍びより、そうして息をひそめてじいいいいっと自分を貫く視線が四方八方から張り巡らされる。
不味い。
本気でヤバイ。病院なんて無数にいるんだ、死んでも浮かばれなくて迷ってる奴が。
もしかしたら簡易結界じゃ持たないかもしれない。
どうしよう。
オレ、無事に朝を迎えられるんだろうか……?
エドワードがごくりと唾を飲み込んだその瞬間。何の前触れもなく、そう一瞬にしてそれまでの霊気も寒さも霧散した。
「え……?」
思わず毛布をめくって病室内を見渡せば、ベッドの横に立っていたのは一人の男。眼鏡をかけて白衣を着て……。胸のネームプレートには「研修医ロイ・マスタング」とある。
「君、ずいぶん震えている。どこか痛むのかい?」
あまりの急激な変化に、茫然とその医者を見た。
「あ、あの……」
「念のためと思って巡回していたんだよ。君は確か…検査入院のはずだったな。ふむ、今になって痛みが出たのかもしれないし。大丈夫かい?ちょっと診察してみようか?」
美しい清浄な青色のオーラ。その黒髪の医師の背後から後光が差しているようにも見えた。
コイツ、この医者。もしかしたら……。
弟と同じく霊に対抗する手段を持っているやつかもしれない。
いや、陰陽師たる弟とは違うのだろう。払ったり浄化したりなどとは出来ないだろうとの予測はついた。だけど…。
確かにいるのだ。自分のように霊を寄せ付ける体質の人間と、それとは逆にはね除ける体質の人間が。
コイツ、多分。跳ね除け体質だ……。
その証拠に、この男が自分に声をかけたら、あれほどの冷気は消えたじゃないか。
地獄に仏とはこのことかもしれない。
エドワードはその医師、マスタングをじいいいいいいいいいいいっと見据えた。そうして、ひっしと胸に飛び込んだ。
幸いにして自分は子供だ。大人の男に抱きついてもセーフだろう。
「うん?どうしたのかね?」
患者に対する優しげな声。さすが小児科のお医者さん。少なくとも子供に対する扱いはしっかりしているだろう。よっし、ここはいっちょ可愛らしく涙なんか浮かべてみてこの男を朝までキープしてやるぜっ!!
「お、オレ……」
「……どうしたの、かな?」
霊に囲まれて寒かったんです。アンタが来た途端にうっとおしい奴らが霧散したので朝まで一緒にいてください。
さすがにそんなことを言ってしまえば、小児病棟から精神科の病棟へと移されてしまうだろう。優秀な頭脳にはそんなことわかりきっていた。だが、朝まで逃すわけにはいかないのだ。地獄に仏のこの男。何が何でも捕まえててやる。
エドワードは可愛らしく男にしがみつく。
作品名:アクシデントは恋への近道 作家名:ノリヲ