BUDDY 2
アーチャーを思うように戦わせてやることのできる凛が本当に羨ましかった。あんなふうに思う存分戦っていた経験があるアーチャーにとって、今回の召喚は、やはり納得のいくものではなかっただろうと悔しかった。
その夢を見た士郎は、自身の不甲斐なさがますます浮き彫りにされている気がして、心底情けなかった。
「だけど、それでも、俺は俺でしかないんだと思って、俺のことを鍛えてくれるんだと思って……」
頑張ってきたのに、と恨みがましく思っても、アーチャーに不平不満をぶつけることは筋違いだとわかっている。
ザー、という流水の音に気づき、慌てて水を止めた。食器洗いの途中だったことをようやく思い出す。
「もう、座に還っちまうのかな……」
ぽつり、とこぼせば、現実味が増す。
聖杯戦争は終わった。
士郎も生き残ることができた。
ならば、アーチャーの当初の目的は果たされている。
アーチャーとて己の過去(とは一概に言えないが)を見てしまった士郎と居心地悪く過ごすなど本意ではないだろうし、このまま座に還るということは容易に予測がついた。
「俺に今、違う先行きのビジョンがあるわけじゃない。アーチャーは、俺に何も期待していないだろうから……」
ずっしりと重く感じる胸のあたりが痛いような気がして、士郎は何とはなしに胸を押さえていた。
道場に入り、ひと通り準備運動をして剣を投影する。就寝前にする鍛錬の時間は過ぎていた。
予想していた通り、アーチャーの姿はない。たいてい時間ぴったりか、五分前には道場に来るはずの彼が、今夜は来ていない。
「来ない、か……」
聖杯戦争は終わったのだから、もう鍛える必要はないと、そういうことなのかもしれない。
今し方投影した剣を眺めてみる。身体が疲れているからか、それとも集中できていないからか、剣と呼ぶには切れそうになく、ロクなものではなかった。
「は……」
鋭さのない刃を指先で辿り、くすんで何も映さない刀身を眺めていると笑えてきてしまう。
「はは……、ぜんぜん、ダメだ……っ……」
項垂れて、滲んでいく視界に歯を喰いしばり、柄を持つ手が籠めすぎた力で震える。
「気を抜きすぎではないか?」
抑揚なくこぼされた低い声に、はっとして振り返れば、軽く腕を組んだアーチャーが板間に上がったところで小首を傾げている。
「ぁ…………、ど……して……」
「どうしても何も、鍛錬の時間だろう?」
「え……? で、でも、アンタは、」
「そんな投影しかできないとなれば、また一から鍛え直しか」
大仰にため息をついて見せるアーチャーが今ここにいることが不思議でならない。
「か、かえるん、じゃ…………」
「それは、悔し泣きか? であれば、鍛え甲斐があると思うが」
士郎の半端な問いかけに一つも答えず、アーチャーはひたひたと、足音をほとんど立てないまま近寄ってくる。
その表情が士郎にはよく見えない。水膜に覆われた視界が滲んでしまって、怒っているのかどうかも判別が難しい。
「それとも、他の理由でこんなものを零すのか?」
アーチャーの口調は淡々としている。怒りや不機嫌さは感じられない。ぼんやりと、よく見えないアーチャーを見上げていると、ぺた、と頬に手を当てられ、びくり、と肩を揺らし、士郎は訳がわからず何度も瞬く。
頬を掠めて水滴が落ちるのを感じた。
「あとから、あとから……。いい加減に止めろ」
呆れた口調のわりに、頬や目尻をぐいぐいと拭う手は優しく、そのうち髪にまで触れて、さわさわと頭を撫でてくる。
「あ…………の……?」
「見たくもないものを、見ただろう」
「え……?」
「私の経験を夢で見てしまったのであれば、ロクなものではなかったはず。そして、それをお前に流したのは私だ。お前を責めるなど、お門違いも甚だしい。……すまなかった」
まさか謝られるとは思っておらず、士郎は呆けたままアーチャーを見ていることしかできない。
「それで? いったいどういう理由《ワケ》があるのだ? これは」
士郎が流す涙の理由《ワケ》を、アーチャーの静かな声が訊ねてくる。
「ぁ…………、ご、……め…………っ、ごめんっ! 俺、アンタの、プライベートに、俺っ、」
ようやくまともにしゃべれるようになったというのに、ずっとモヤモヤとして渦巻いていた気持ちがいっぺんに溢れてしまった。止めろと言われたというのに、次々涙が溢れては頬を滑っていく。だが、アーチャーは咎めはせず、黙って頬を拭うだけだ。
「か……、っ、かえるんじゃ、ないかって、お、おもっ、」
「かえる? 座にか?」
訊き返すアーチャーに、こく、と頷けば、
「まだ、お前を鍛え終えていないだろう」
「で、でも、」
「私に見たこともない光景を見せてくれるのだろう? こんなところで還れるわけがない」
「でも、俺……」
「まったく。ガキだな、まだまだ」
ぽんぽん、と頭に置かれた手が軽く叩き、撫でてくる。
「お前を鍛え、聖杯戦争を生き残るまで私は導いた。今度は、お前が私を導け」
「俺が、みちび、く……?」
「私の知らない理想の果てに、お前は連れて行ってくれるのだろう?」
あのときの言葉を、アーチャーが本気にしているとは思っていなかった。
士郎はもちろん本気で言っていたが、こんなガキの、しかも、突発的に口から飛び出たような言葉だ。その場凌ぎと思われていてもおかしくはなかった。だというのに、アーチャーはあのときの士郎の言葉を覚えていた。覚えているどころか、どこか期待を膨らませている様子である。
「……いい、のか?」
片方の手で頭を撫で、もう片方の手で頬を拭うアーチャーを見つめる。
「何がだ?」
「まだ、俺を……、鍛えてくれるのか?」
「当然だ。私をなんだと思っている。己で交わした約束を違えるほと軽薄ではないし、お前の歩む道の最後までを見届けるつもりでいる。おいそれと座に還っている暇などない」
士郎が今、一番望む言葉をアーチャーは与えてくれた。それに応えなければ、と思いはするが、今はただうれしさが胸を占めている。
「ぅ、う……っ、うぅ……、ぅえぇ…………」
みっともなく泣きじゃくり、止まらなくなってしまった涙をどうすることもできず、結局この夜の鍛錬は中止となった。
BUDDY 2 了(2021/7/20)