BUDDY 2
最後の最後に少しだけアーチャーとともに戦うことはできたが、士郎にもう少し魔術師としての力量があれば、自宅に籠もって鍛錬に勤しむだけというようなことはなかっただろう。
「もっと、一緒に……、って…………、ああ、アーチャーには、迷惑な話だよな……」
たとえ魔術師として、もう少しどうにかなっていたとしても、士郎の魔力量はたいして変わりようがない。戦い方を知っていても、それに見合う力を与えられないマスターなど、ともに闘うには危険極まりないはずだ。
戦う力をもたない己が、こんな悔しさや不甲斐なさを感じるのはおこがましい、と士郎は拳を握りしめる。
「でもさ……」
聖杯戦争を生き残り、 この先をまだアーチャーに鍛えてもらうことができると安堵するものの、今までの聖杯戦争のようにまともに戦うことすら叶わなかったアーチャーには申し訳ないような気がしている。
「はぁー……」
湯船の中で膝を引き寄せ、顎を乗せる。ちゃぷんと音を立てて水面が揺れた。
「これから先、俺はどこに向かっていけばいいんだろう……?」
漠然とした何かがあるわけではない。アーチャーの記憶を垣間見れば、どの聖杯戦争で出会った衛宮士郎も、何かしらのビジョンを持って理想を叶えようとしているように思えた。
だが、士郎にはまだ、そういう確たるものがない。
「後悔のない先行きを見せてくれって言われたけど……」
アーチャーが後悔しない未来というのは、いったいどんなものなのか。
手探りどころか、なんら掴めていない士郎にとって、聖杯戦争を生き残るよりも難しいことのように思えた。
「それでね、あのギルガメッシュを、セイバーが――」
凛が夕食を食べながら、今朝の顛末を話している。士郎とアーチャーは柳洞寺の山門脇で眠ってしまったので、あの後の話を知らない。
士郎としては、いったいなぜ柳洞寺の次男坊に起こされなければならなかったのかと問い質したいところだが、口を挟めば熱々のおでんの具が飛んできそうなので黙って聞いている。
凛とセイバーが衛宮邸を訪れたのは、夕暮れ時。昼を過ぎて目を覚ました士郎が風呂に入り、布団を干したり、洗濯したり、と家事を一通り終わらせてひと息ついた頃に二人は、荷物を取りに来た、と言ってやってきたのだ。
しばらく衛宮邸に滞在していた彼女たちは私物を離れの洋間に置いたままであったので、じゃあ、どうぞ、と招き入れ、そのまま夕食をともにしている。
「――――で、あんたたちは眠っちゃってるし、セイバーは限界だったし、柳洞寺の人たちと鉢合わせしそうになったから、私たちだけで失礼させてもらったのよ。あそこで生徒会長に出会ったら、何を言われるか、わかったものじゃないもの」
私もクタクタだったから、と付け加えた凛は、大根を取り皿の上で一口サイズに箸で切った。
「起こしてくれればよかっただろ……」
士郎が不満を漏らせば、
「でも、大丈夫だったでしょ? なにせ衛宮くんだもの。生徒会長は疑いもなくあんたの言葉を鵜呑みにするだろうってことで、ね?」
ぱちん、と片目を瞑ってウインクをした凛に、士郎とアーチャーは二人揃ってため息をこぼした。
「大事にならなくてよかったけど……」
「ああ、まったくだ。あそこで、我々が本堂を破壊した不定の輩とみなされてしまったらどうするつもりだったのだ」
「ありえないじゃない。だって、柳洞くんよ? 衛宮くんの言葉には絶対に嘘はないって信じ切っているもの。私たちが手を貸して帰るところに鉢合わせる方が疑われるわよ」
あっけらかん、と言い切る凛に、アーチャーは肩を竦め、士郎は苦笑いとため息をこぼすしかなかった。
「遠坂って…………、自由だよな?」
食器を洗いながら、士郎は思い出し笑いを浮かべる。
「まあ、そういう面だけではないのだろうが……」
カゴに伏せられた食器を布巾で拭いながら、アーチャーの方は微かに苦笑を浮かべている。
昼になる前に目を覚ましたらしいアーチャーに、しばらく士郎は避けられていた。不甲斐ない姿を士郎に見せてしまったことが、本人の矜持を著しく傷つけたらしい。
士郎は気にしなかったが、アーチャーがとにかく後悔していることがわかっていたので、しつこく追いかけることなく、士郎は風呂に入ったり布団を干したりしながら一定の距離を保っておいた。
ようやく踏ん切りがついたのか、開き直ったのか、夕食の準備をする頃には、ともに台所に立っていて、凛とセイバーのためにおでんを作っていた。凛たちと夕食を食べる頃には普段通りに戻っていたので、士郎としても胸を撫で下ろしたところだ。だというのに、
「やっぱ、遠坂の肩持つんだなぁ、アーチャーは。マスターだったから?」
士郎は夢の続きの感覚で、軽率にそんなことを訊いてしまった。
「…………どういう意味だ?」
沈黙のあと、低く唸るように訊かれ、士郎は、はっとしてアーチャーを見上げる。
「ぁ……」
まずった、と思ったがもう遅い。
「どういうことだ、マスター。なぜそんなことを知っている。確かに聖杯戦争を三度経験しているとは言ったが、私は凛がマスターだったとは、一言も言っていない」
「え、えっと……」
硬い声で問い詰めるアーチャーの顔には表情がない。だが、こちらを見下ろす鈍色の瞳には明らかに怒気が含まれていた。
「私は、彼女のサーヴァントだったと言った覚えはないが?」
士郎が答えられずにいるからか、アーチャーは噛み砕くように、もう一度訊く。その声には明らかな苛立ちが感じられた。
「…………あの、ゆ、夢で…………見て……」
「チッ」
舌打ちをこぼしたアーチャーは、布巾を置いて台所を出ていく。
「ご、ごめん! その、べつに、見ようと思ったんじゃなくて、」
「わかっている!」
こちらを見もせず、誰もいない居間を過ぎ、廊下へと出て行ったアーチャーは、今までに見せたことのない怒りを露わにしていた。
士郎に嫌悪感を持っていることは理解していたが、アーチャーは鍛錬に根気強く付き合ってくれ、士郎にたくさんのことを教えてくれた。何度も失敗を繰り返し、魔術がうまくできないときでも怒ることはなく、呆れつつも士郎ができるまで丁寧に教えてくれていた。
そんなアーチャーを士郎は怒らせてしまった。
「ごめん……」
姿が見えなくなってから謝っても仕方がないというのに、口を突いて謝罪がこぼれる。
アーチャーにしてみれば、自身のテリトリーに土足で踏み込まれた気分だったのかもしれない。その惧れがあったからこそ士郎はずっと黙っていたのだが、ついつい口に出してしまったのだ、アーチャーが凛を庇うようなことを言うから……。
「なんて俺……、デリカシーのないこと……、言ったんだ……」
いくら後悔したところで、一度口に出した言葉は戻らない。
「はぁ……」
なぜ自分がため息などをついているのか、よくわからない。それに、アーチャーを怒らせたことが、なぜこんなにもショックなのかが不思議で仕方がない。
「べつに、見たくて見たわけじゃ……」
言い訳は、誰に受け取られることもなかった。
「俺だって、知りたくなかったし…………」
なにせ聖杯戦争のときの夢は、士郎の劣等感を煽るだけの光景だったのだ。