BUDDY 4
BUDDY 4
「衛宮くんって…………」
そう言ったきり遠坂は、続く言葉を口にしない。
(どうせ、バカだとか、朴念仁だとか、そういうことが言いたいんだろうな……)
彼女のそういう“気遣い”に慣れっこになっていた俺は、ハハハと口先だけで笑っていた。まだ、何に対して彼女が苦言を呈しているのか未知だったけれど。
しばらく待って、俺の顔をじぃっと見つめていた遠坂は、ようやく口を開いた。
「恋をしたこと、ある?」
「…………………………………………は?」
予想外だし、今までそんなことを訊かれたこともないし、何よりも今は、何か変なことを言ったり、したりもした覚えがないのにそんなことを訊かれて、俺は唖然としたまま、まともな言葉も浮かばなかった。
「だからぁ、恋よ、こ、い」
わかるでしょ、と遠坂は噛み砕くように言う。
「そ…………れが、どど、どうしたって……いうんだ?」
なぜか動揺してしまって、焦ったような返答をしていた。
「したことがあるのかなぁって思って」
「えーっと……」
俺は、なんて答えればいいんだろうか……。
そんな、女子中高生がするような会話を、なんだって二十歳を過ぎた俺としたがるのかがわからない。
さっきまで俺たちが話していた内容は、来週の遠坂の誕生日に食べたい夕食のメニューだ。
今日は休日で、ひと通り家事を済ませたところに起きてきた遠坂が、俺にも紅茶を淹れてくれて、ダイニングテーブルについていた。
セイバーとともに買い物に出たアーチャーに訊いておけと言われていたことを思い出し、誕生日に何が食べたいかと訊いた。
あれこれと飛び出してくるオーダーをメモっていれば、いきなり前の質問だ。
「ねえ、どうなの?」
どうなの、と訊かれても、どう答えたらいいものか……。
「そ、そういう、遠坂は、あるのか?」
苦し紛れに訊き返せば、
「私はほら、そういうのは心の贅肉だからー、必要ないのよ」
あっさりと言い切る遠坂の言葉は、嘘でも誤魔化しでもなく本心からのものだとわかる。
「で? 衛宮くんは?」
「ぅ…………」
なんて言えば納得するんだ、遠坂は。
酔ってるわけでもないし、寝起きだからって寝惚けてる感じでもない。しっかり目も頭も冴えている様子で、青い瞳を爛々と輝かせている。
「そ、そういう話は、桜とすれば、いいんじゃないかな?」
「ケチねー。それじゃあ、初恋は、いつなの?」
「あの、だから……」
「いいじゃない、初恋だったら。私も知らない人だろうし、どうせ会うこともない人でしょー?」
勝手に決めないでくれ、っていうか、俺の話は聞いてくれないのな、遠坂……。
「教えなさいよー」
なんだか絡み酒みたいな感じになってきた遠坂に、ため息をつく。うやむやにできそうにないし、誤魔化せそうにもない。
いっそ言ってしまった方が楽だろうか。
俺のままならない感情を吐露しても問題ない人がいれば、少し楽になるのかもしれない……。
いや、ダメだ。
墓場まで持っていくって決めたんだ。
秘密にしようと思っていることは、絶対に口外してはダメだ。どんなに口が堅い人だって魔が刺すってこともある。秘密を守るためには、誰にも話さないことが一番の手だ。
「うーんと、あのね、少し、心配になったの」
「え……?」
俺がなかなか答えないからか、遠坂は痺れを切らしたのかもしれない。そう言って少し申し訳なさそうな顔をしている。
「衛宮くん、時々、思い詰めてるっていうか、なんだか苦しそうにしてるから」
「っ……」
勘づかせてしまったのか……?
「もしかして、誰かに恋でもしてるんじゃないかなーって……。まあ、これは、私の想像。というか、理想ね。そうあってほしいなっていう、願望みたいなものだわ」
「遠坂の、理想?」
「ええ。衛宮くんはアーチャーじゃない。だったら、誰かに恋をして、誰かと愛を育むのもいいなぁ、ってね」
にこり、と笑った遠坂に胸がざわつく。こんなふうに俺を心配してくれる彼女に、とても申し訳ない気がした。だけど……、
「…………悪いな、遠坂。そんなロマンティックなことじゃないんだ。魔術のことでさ、なかなか技量が上がらないから、ちょっと、くさってた」
当たり障りのない笑みをカタチ作って、遠坂の気遣いをフイにする。こんな自分が何より嫌いだ。
「そ。いつものやつねー。じゃあ、仕方ない。それはあんたの努力でしかどうしようもないんだから。まあ、がんばりなさい」
師匠の顔をした遠坂は、飲み終えたティーカップをシンクで洗ってカゴにふせ、自室に歩いていく。
「ごめん、遠坂……」
その背を目だけで追いながら、扉の向こうに消えた姿に謝った。
本当のことは言えない。
遠坂だけじゃない、誰にも言えないことなんだ。
だから、許してくれよな……。
アーチャーと契約をして六度目の春を迎える少し前、俺は、ただただ、その感情を持て余し、どうすることもできないどん詰まりの中で、もがいているだけだった。
***
聖杯戦争を生き残り、高校を卒業した士郎は凛とともにロンドンへ渡り、魔術師としてたくさんのことを学んだ。
未熟者だった士郎は、ようやくアーチャーが認める程度に成長した。時計塔を出る頃には、アーチャーに流せる魔力量も申し分なく流れ、士郎はやっと肩の荷が下りたと安堵していた。
時計塔を出て、しばらくは魔術協会の魔術師として働いていた士郎だが、二年もせずに協会を辞めた。やはりここではない、という思いが強かったのだろう。アーチャーに一人前と認められるようになった士郎は、紛争地を渡り歩いていた。
「やっぱり、誰にも泣いてほしくないんだ、俺……」
そう言って、士郎は自身の向かう先をアーチャーに示す。“ごめん”と謝りながら。
何を謝るのかと訊けば、アーチャーの歩んだ道をなぞっているようだろう? と哀しそうに笑っていた。
確かに己と同じように紛争地や戦禍の中に士郎は身を置こうとしている。だが、見たことのない先行きを見せると言った士郎は、アーチャーの期待を裏切らないと知っている。
だから、アーチャーは謝る必要はないと、きっぱり言い切った。“お前を信用しているから”と。
それを聞いた士郎は、驚きに目を瞠り、やがて琥珀色の瞳を滲ませて、照れ臭そうに笑った。
それからの士郎は、アーチャーの信頼に応えるために、自身の身を投げ出すのではなく、強さとしなやかさと器用さを身に付け、堅実にアーチャーと同じ轍を踏まない道を進んでいる。
いつしかそれに安堵していたアーチャーは、士郎を守るだけではなく、時には守られることもあり、互いに持ちつ持たれつの関係になっている。
契約上は主従であるが、主従という呼び方はあまりにもそぐわない。かといって、もう師弟でもない。
はじめは先達をかって出ていたアーチャーは、確かに士郎を導いてきたが、時には士郎に教えられることや気づかされることもある。
そんなとき、己の道が間違いではなかったと気づかせたのは、二度目の聖杯戦争で出会った衛宮士郎だったな、とアーチャーは感慨深く思い出すこともあった。
そして今、十年を超えてともに過ごした士郎とは、それなりの絆が培われていた。
「衛宮くんって…………」
そう言ったきり遠坂は、続く言葉を口にしない。
(どうせ、バカだとか、朴念仁だとか、そういうことが言いたいんだろうな……)
彼女のそういう“気遣い”に慣れっこになっていた俺は、ハハハと口先だけで笑っていた。まだ、何に対して彼女が苦言を呈しているのか未知だったけれど。
しばらく待って、俺の顔をじぃっと見つめていた遠坂は、ようやく口を開いた。
「恋をしたこと、ある?」
「…………………………………………は?」
予想外だし、今までそんなことを訊かれたこともないし、何よりも今は、何か変なことを言ったり、したりもした覚えがないのにそんなことを訊かれて、俺は唖然としたまま、まともな言葉も浮かばなかった。
「だからぁ、恋よ、こ、い」
わかるでしょ、と遠坂は噛み砕くように言う。
「そ…………れが、どど、どうしたって……いうんだ?」
なぜか動揺してしまって、焦ったような返答をしていた。
「したことがあるのかなぁって思って」
「えーっと……」
俺は、なんて答えればいいんだろうか……。
そんな、女子中高生がするような会話を、なんだって二十歳を過ぎた俺としたがるのかがわからない。
さっきまで俺たちが話していた内容は、来週の遠坂の誕生日に食べたい夕食のメニューだ。
今日は休日で、ひと通り家事を済ませたところに起きてきた遠坂が、俺にも紅茶を淹れてくれて、ダイニングテーブルについていた。
セイバーとともに買い物に出たアーチャーに訊いておけと言われていたことを思い出し、誕生日に何が食べたいかと訊いた。
あれこれと飛び出してくるオーダーをメモっていれば、いきなり前の質問だ。
「ねえ、どうなの?」
どうなの、と訊かれても、どう答えたらいいものか……。
「そ、そういう、遠坂は、あるのか?」
苦し紛れに訊き返せば、
「私はほら、そういうのは心の贅肉だからー、必要ないのよ」
あっさりと言い切る遠坂の言葉は、嘘でも誤魔化しでもなく本心からのものだとわかる。
「で? 衛宮くんは?」
「ぅ…………」
なんて言えば納得するんだ、遠坂は。
酔ってるわけでもないし、寝起きだからって寝惚けてる感じでもない。しっかり目も頭も冴えている様子で、青い瞳を爛々と輝かせている。
「そ、そういう話は、桜とすれば、いいんじゃないかな?」
「ケチねー。それじゃあ、初恋は、いつなの?」
「あの、だから……」
「いいじゃない、初恋だったら。私も知らない人だろうし、どうせ会うこともない人でしょー?」
勝手に決めないでくれ、っていうか、俺の話は聞いてくれないのな、遠坂……。
「教えなさいよー」
なんだか絡み酒みたいな感じになってきた遠坂に、ため息をつく。うやむやにできそうにないし、誤魔化せそうにもない。
いっそ言ってしまった方が楽だろうか。
俺のままならない感情を吐露しても問題ない人がいれば、少し楽になるのかもしれない……。
いや、ダメだ。
墓場まで持っていくって決めたんだ。
秘密にしようと思っていることは、絶対に口外してはダメだ。どんなに口が堅い人だって魔が刺すってこともある。秘密を守るためには、誰にも話さないことが一番の手だ。
「うーんと、あのね、少し、心配になったの」
「え……?」
俺がなかなか答えないからか、遠坂は痺れを切らしたのかもしれない。そう言って少し申し訳なさそうな顔をしている。
「衛宮くん、時々、思い詰めてるっていうか、なんだか苦しそうにしてるから」
「っ……」
勘づかせてしまったのか……?
「もしかして、誰かに恋でもしてるんじゃないかなーって……。まあ、これは、私の想像。というか、理想ね。そうあってほしいなっていう、願望みたいなものだわ」
「遠坂の、理想?」
「ええ。衛宮くんはアーチャーじゃない。だったら、誰かに恋をして、誰かと愛を育むのもいいなぁ、ってね」
にこり、と笑った遠坂に胸がざわつく。こんなふうに俺を心配してくれる彼女に、とても申し訳ない気がした。だけど……、
「…………悪いな、遠坂。そんなロマンティックなことじゃないんだ。魔術のことでさ、なかなか技量が上がらないから、ちょっと、くさってた」
当たり障りのない笑みをカタチ作って、遠坂の気遣いをフイにする。こんな自分が何より嫌いだ。
「そ。いつものやつねー。じゃあ、仕方ない。それはあんたの努力でしかどうしようもないんだから。まあ、がんばりなさい」
師匠の顔をした遠坂は、飲み終えたティーカップをシンクで洗ってカゴにふせ、自室に歩いていく。
「ごめん、遠坂……」
その背を目だけで追いながら、扉の向こうに消えた姿に謝った。
本当のことは言えない。
遠坂だけじゃない、誰にも言えないことなんだ。
だから、許してくれよな……。
アーチャーと契約をして六度目の春を迎える少し前、俺は、ただただ、その感情を持て余し、どうすることもできないどん詰まりの中で、もがいているだけだった。
***
聖杯戦争を生き残り、高校を卒業した士郎は凛とともにロンドンへ渡り、魔術師としてたくさんのことを学んだ。
未熟者だった士郎は、ようやくアーチャーが認める程度に成長した。時計塔を出る頃には、アーチャーに流せる魔力量も申し分なく流れ、士郎はやっと肩の荷が下りたと安堵していた。
時計塔を出て、しばらくは魔術協会の魔術師として働いていた士郎だが、二年もせずに協会を辞めた。やはりここではない、という思いが強かったのだろう。アーチャーに一人前と認められるようになった士郎は、紛争地を渡り歩いていた。
「やっぱり、誰にも泣いてほしくないんだ、俺……」
そう言って、士郎は自身の向かう先をアーチャーに示す。“ごめん”と謝りながら。
何を謝るのかと訊けば、アーチャーの歩んだ道をなぞっているようだろう? と哀しそうに笑っていた。
確かに己と同じように紛争地や戦禍の中に士郎は身を置こうとしている。だが、見たことのない先行きを見せると言った士郎は、アーチャーの期待を裏切らないと知っている。
だから、アーチャーは謝る必要はないと、きっぱり言い切った。“お前を信用しているから”と。
それを聞いた士郎は、驚きに目を瞠り、やがて琥珀色の瞳を滲ませて、照れ臭そうに笑った。
それからの士郎は、アーチャーの信頼に応えるために、自身の身を投げ出すのではなく、強さとしなやかさと器用さを身に付け、堅実にアーチャーと同じ轍を踏まない道を進んでいる。
いつしかそれに安堵していたアーチャーは、士郎を守るだけではなく、時には守られることもあり、互いに持ちつ持たれつの関係になっている。
契約上は主従であるが、主従という呼び方はあまりにもそぐわない。かといって、もう師弟でもない。
はじめは先達をかって出ていたアーチャーは、確かに士郎を導いてきたが、時には士郎に教えられることや気づかされることもある。
そんなとき、己の道が間違いではなかったと気づかせたのは、二度目の聖杯戦争で出会った衛宮士郎だったな、とアーチャーは感慨深く思い出すこともあった。
そして今、十年を超えてともに過ごした士郎とは、それなりの絆が培われていた。