舞え舞え桜、咲け咲け想い
喧嘩するほど仲がいいというのが本当なら、義勇と自分はきっと、人が言うほど仲良しではないのだろう。
頭をよぎったそんな言葉に、炭治郎は、喉の奥からせり上がってくる悲しみの塊を無理やり飲み込んだ。
今日から新学期。高校三年生になったばかりの今日は、下校時間も早かった。なのに、いつのまにか夕暮れが近づいている。
児童公園に設置された遊具のなかは、薄暗い。炭治郎が今いる場所は、象の形を模した小山のような滑り台の下だ。正確には象のなか。そこはトンネル状になっていて、小さいころは義勇と二人で『ゾウさんのおなか』と呼んでいた。ブランコや滑り台で遊んでいても、気がつくとこのなかで話したり手遊びしたりした、大好きな場所だ。
「じゃあまた明日ね!」
「うん! また明日遊ぼうねっ」
子供の明るい声がひびく。遊んでいた最後の子供たちが帰ってしまえば、公園にいるのは炭治郎一人きりだ。しんと静まった公園は、まるで世界から取り残されたみたいに感じる。
体が大きくなってからは、もうこの公園で遊ぶことはなくなった。昔は二人で入っても十分広いように感じたゾウさんのおなかも、大きくなった今では、ずいぶんと狭苦しく感じる。ときおりブランコやベンチに腰かけて話をすることはあったけれど、最後に二人でトンネルに入ったのは、ずいぶんと前の話だ。
炭治郎は、そんな遊具のなかで一人、ぎゅっと膝を抱えて座り込んでいた。立てた膝に額を押し当て、小さく体を丸め涙をこらえる。
頭に浮かぶのは、義勇のことばかりだ。
保育園で出逢ってから、十五年。高校三年の今日まで、炭治郎は一度だって、義勇と喧嘩したことがない。
パン屋を開いて共働きとなった炭治郎の家と、母親が病気で亡くなった義勇の家が、揃って息子を保育園に預けたのは偶然だ。それが同じ保育園だったのも、さまざまな偶然の積み重なりに過ぎない。
炭治郎と義勇が同じ水組さんになったのも、学区が同じで小中と同じ学校に通ったのも、当人たちの意思が介在しない偶然の産物である。
だけど、高校は違う。炭治郎は義勇と同じ学校に通いたかったし、義勇も同じ気持ちでいてくれた。
どちらかが「一緒の学校に行きたい」なんて言い出すまでもなく、二人の意思は重なっていた。同じ学校に進学する。それは確認する必要さえない、共通した決定事項だったのだ。
進路希望の用紙を初めて配られたときに、同時に口にしたのは「どこにしようか?」だ。離ればなれになるなんてことは、お互いまったく頭になかった。
成績だけでみるなら、二人の進学先のランクは、贔屓目に見ても二つは異なる。炭治郎がCなら義勇はAだ。けれど二人とも、違う学校を受験するという選択肢は持ちあわせてなくて、進路指導の先生やそれぞれの担任に、盛大に顔をしかめられたものだった。主に、義勇が。
それでも、家族も教師も最終的には反対しなかった。おまえらならしかたないか。誰もが苦笑とともにそう言った。
誰の目にも優等生な義勇と、良い子だけれども成績はパッとしない炭治郎。共通項はあまりない。それでも二人の仲の良さは、誰一人として否定できない、紛うことなき事実である。もちろん、当の本人たちも自覚している。
万が一、お日様が西から昇る日があったとしても、自分たちが離ればなれになる日は絶対にこない。炭治郎はそれを信じていたし、義勇だって同じように思っていると疑いもしなかった。
それも、今日まではの、話だけれども。
今までなら、疑う余地などまるでなかったのだ。実際、どんなに先生に渋い顔をされようと、義勇が炭治郎と同じ学校に通う意思をくつがえすことはなかった。炭治郎だってそうだ。そのうち頭から煙があがるんじゃないかってぐらい勉強しなくちゃならなくなったけど、もうやめたいなんて、一度も思い浮かぶことはなかった。義勇と同じ学校に通うという選択肢以外、炭治郎が選ぶべきものなどない。炭治郎にとってはそのための努力なんて、息をするのと同じくらい、当然のことだったのだ。
おかげで、炭治郎のランクを一つ上げ、義勇が一つ下げて受験した高校にも、無事合格。晴れて一緒に入学した高校でも、クラスが違ったって一緒にいる時間は長い。同じクラスの友達よりも、違うクラスの義勇といるほうが、炭治郎にとっては自然なことだった。
剣道部の義勇と帰宅部の炭治郎では、学校でのスケジュールもかなり異なる。顔をあわせるのはせいぜい休日だけとなりそうなものだ。そうはならなかったのは、二人にしてみれば、会わずにいるほうが不自然すぎたからだ。
登校は――義勇が朝練の日でさえ――一緒だし、下校時刻は違おうと部活帰りに義勇は、炭治郎の家であるベーカリーに寄ってから帰るのを日課としている。
眠い目をこすりながら、朝練に出る義勇と一緒に学校に行って、「部活頑張って!」と義勇と別れたら、炭治郎はまだ誰もいない教室でひと眠り。部活が終わるころに、お弁当とは別に持ってきたパンを手にいそいそと道場に向かって、義勇や同じ剣道部員の錆兎と一緒に朝食をとる。
放課後には、両親を手伝って店に出ている炭治郎は、せっせと働きながら義勇を待った。義勇は毎日、部活帰りにふらりと店に現れる。疲れた顔した義勇に、炭治郎はいらっしゃいませではなく「おかえりなさい、お疲れ様」と声をかけるのが常だ。
それが当たり前の日常で、義勇が「ただいま」と返してくれなくなる日がくるなんて、一度だって考えたことがなかった。
それなのに、今、炭治郎は一人きりだ。伸ばされた義勇の手から逃げてしまった。
いつものように義勇がくるかもしれないと思うと、家には帰れない。悲しいときに逃げ込んでいた場所に、仲良しの『友達』はもういない。行き場がないと思ったとき、自然と足が向いたのはこの公園だ。
義勇から逃げて辿り着く場所が、義勇との思い出深い『ゾウさんのおなか』だとは、自分でもあきれ返る。俺の日常から、どうあっても義勇の影は消えないんだなと、炭治郎は泣きそうな顔のまま小さく苦笑した。
義勇がいるのが当たり前の毎日。代わり映えのない日常。炭治郎の世界のすべて。だけど、義勇にとってはもう違うのかもしれない。思って炭治郎は、小さく唇を噛む。
きっと義勇の世界は、今ではもう、炭治郎には想像もつかないほどに、広がっているのだろう。炭治郎と一緒にいるよりも、見知らぬ新しい世界に夢中になっているのかもしれなかった。
おまけに、喧嘩までしてしまった。いや、こんなの喧嘩とは呼べないだろう。だって、炭治郎は逃げただけだ。口論すらしていない。嫌味な言葉を義勇にぶつけて、そのまま、義勇の答えを聞くことなく、その場から逃げた。
昔一緒に遊んだ児童公園の、象の形を模した遊具のなかで、炭治郎は膝を抱えて一人ぼっちで考える。必死に涙をこらえながら。
どうしてこんなことになったんだろうと。そして、これからどうすればいいのかな、と。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
事の起こりは他愛ない。一つひとつを見れば、喧嘩の原因になりようもないものばかりだ。
頭をよぎったそんな言葉に、炭治郎は、喉の奥からせり上がってくる悲しみの塊を無理やり飲み込んだ。
今日から新学期。高校三年生になったばかりの今日は、下校時間も早かった。なのに、いつのまにか夕暮れが近づいている。
児童公園に設置された遊具のなかは、薄暗い。炭治郎が今いる場所は、象の形を模した小山のような滑り台の下だ。正確には象のなか。そこはトンネル状になっていて、小さいころは義勇と二人で『ゾウさんのおなか』と呼んでいた。ブランコや滑り台で遊んでいても、気がつくとこのなかで話したり手遊びしたりした、大好きな場所だ。
「じゃあまた明日ね!」
「うん! また明日遊ぼうねっ」
子供の明るい声がひびく。遊んでいた最後の子供たちが帰ってしまえば、公園にいるのは炭治郎一人きりだ。しんと静まった公園は、まるで世界から取り残されたみたいに感じる。
体が大きくなってからは、もうこの公園で遊ぶことはなくなった。昔は二人で入っても十分広いように感じたゾウさんのおなかも、大きくなった今では、ずいぶんと狭苦しく感じる。ときおりブランコやベンチに腰かけて話をすることはあったけれど、最後に二人でトンネルに入ったのは、ずいぶんと前の話だ。
炭治郎は、そんな遊具のなかで一人、ぎゅっと膝を抱えて座り込んでいた。立てた膝に額を押し当て、小さく体を丸め涙をこらえる。
頭に浮かぶのは、義勇のことばかりだ。
保育園で出逢ってから、十五年。高校三年の今日まで、炭治郎は一度だって、義勇と喧嘩したことがない。
パン屋を開いて共働きとなった炭治郎の家と、母親が病気で亡くなった義勇の家が、揃って息子を保育園に預けたのは偶然だ。それが同じ保育園だったのも、さまざまな偶然の積み重なりに過ぎない。
炭治郎と義勇が同じ水組さんになったのも、学区が同じで小中と同じ学校に通ったのも、当人たちの意思が介在しない偶然の産物である。
だけど、高校は違う。炭治郎は義勇と同じ学校に通いたかったし、義勇も同じ気持ちでいてくれた。
どちらかが「一緒の学校に行きたい」なんて言い出すまでもなく、二人の意思は重なっていた。同じ学校に進学する。それは確認する必要さえない、共通した決定事項だったのだ。
進路希望の用紙を初めて配られたときに、同時に口にしたのは「どこにしようか?」だ。離ればなれになるなんてことは、お互いまったく頭になかった。
成績だけでみるなら、二人の進学先のランクは、贔屓目に見ても二つは異なる。炭治郎がCなら義勇はAだ。けれど二人とも、違う学校を受験するという選択肢は持ちあわせてなくて、進路指導の先生やそれぞれの担任に、盛大に顔をしかめられたものだった。主に、義勇が。
それでも、家族も教師も最終的には反対しなかった。おまえらならしかたないか。誰もが苦笑とともにそう言った。
誰の目にも優等生な義勇と、良い子だけれども成績はパッとしない炭治郎。共通項はあまりない。それでも二人の仲の良さは、誰一人として否定できない、紛うことなき事実である。もちろん、当の本人たちも自覚している。
万が一、お日様が西から昇る日があったとしても、自分たちが離ればなれになる日は絶対にこない。炭治郎はそれを信じていたし、義勇だって同じように思っていると疑いもしなかった。
それも、今日まではの、話だけれども。
今までなら、疑う余地などまるでなかったのだ。実際、どんなに先生に渋い顔をされようと、義勇が炭治郎と同じ学校に通う意思をくつがえすことはなかった。炭治郎だってそうだ。そのうち頭から煙があがるんじゃないかってぐらい勉強しなくちゃならなくなったけど、もうやめたいなんて、一度も思い浮かぶことはなかった。義勇と同じ学校に通うという選択肢以外、炭治郎が選ぶべきものなどない。炭治郎にとってはそのための努力なんて、息をするのと同じくらい、当然のことだったのだ。
おかげで、炭治郎のランクを一つ上げ、義勇が一つ下げて受験した高校にも、無事合格。晴れて一緒に入学した高校でも、クラスが違ったって一緒にいる時間は長い。同じクラスの友達よりも、違うクラスの義勇といるほうが、炭治郎にとっては自然なことだった。
剣道部の義勇と帰宅部の炭治郎では、学校でのスケジュールもかなり異なる。顔をあわせるのはせいぜい休日だけとなりそうなものだ。そうはならなかったのは、二人にしてみれば、会わずにいるほうが不自然すぎたからだ。
登校は――義勇が朝練の日でさえ――一緒だし、下校時刻は違おうと部活帰りに義勇は、炭治郎の家であるベーカリーに寄ってから帰るのを日課としている。
眠い目をこすりながら、朝練に出る義勇と一緒に学校に行って、「部活頑張って!」と義勇と別れたら、炭治郎はまだ誰もいない教室でひと眠り。部活が終わるころに、お弁当とは別に持ってきたパンを手にいそいそと道場に向かって、義勇や同じ剣道部員の錆兎と一緒に朝食をとる。
放課後には、両親を手伝って店に出ている炭治郎は、せっせと働きながら義勇を待った。義勇は毎日、部活帰りにふらりと店に現れる。疲れた顔した義勇に、炭治郎はいらっしゃいませではなく「おかえりなさい、お疲れ様」と声をかけるのが常だ。
それが当たり前の日常で、義勇が「ただいま」と返してくれなくなる日がくるなんて、一度だって考えたことがなかった。
それなのに、今、炭治郎は一人きりだ。伸ばされた義勇の手から逃げてしまった。
いつものように義勇がくるかもしれないと思うと、家には帰れない。悲しいときに逃げ込んでいた場所に、仲良しの『友達』はもういない。行き場がないと思ったとき、自然と足が向いたのはこの公園だ。
義勇から逃げて辿り着く場所が、義勇との思い出深い『ゾウさんのおなか』だとは、自分でもあきれ返る。俺の日常から、どうあっても義勇の影は消えないんだなと、炭治郎は泣きそうな顔のまま小さく苦笑した。
義勇がいるのが当たり前の毎日。代わり映えのない日常。炭治郎の世界のすべて。だけど、義勇にとってはもう違うのかもしれない。思って炭治郎は、小さく唇を噛む。
きっと義勇の世界は、今ではもう、炭治郎には想像もつかないほどに、広がっているのだろう。炭治郎と一緒にいるよりも、見知らぬ新しい世界に夢中になっているのかもしれなかった。
おまけに、喧嘩までしてしまった。いや、こんなの喧嘩とは呼べないだろう。だって、炭治郎は逃げただけだ。口論すらしていない。嫌味な言葉を義勇にぶつけて、そのまま、義勇の答えを聞くことなく、その場から逃げた。
昔一緒に遊んだ児童公園の、象の形を模した遊具のなかで、炭治郎は膝を抱えて一人ぼっちで考える。必死に涙をこらえながら。
どうしてこんなことになったんだろうと。そして、これからどうすればいいのかな、と。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
事の起こりは他愛ない。一つひとつを見れば、喧嘩の原因になりようもないものばかりだ。
作品名:舞え舞え桜、咲け咲け想い 作家名:オバ/OBA