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午後4時のパンオショコラ

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 だんだんと達者になっていく手紙の文字や言葉遣いに、子供の成長の速さを実感するのもなかなかに楽しいものだが、自身の恋心と重ねて読んでいるというその子の想いは微笑ましく、義勇にも共感できるところが多かった。
 思わず赤面しそうになるほど、熱烈な称賛で溢れかえっているのは気恥ずかしいが、素直な気持ちだけを綴ってくれているのだと思うと、義勇もまた、素直に感謝の気持ちが湧く。
 返事を書いたことはないので一方通行の遣り取りだが、義勇が小説を自分の生涯の仕事だと思い定めた一因が、その子からの手紙であることは間違いない。
 書評でこき下ろされても、貰った手紙を読み返しては、この子の期待を裏切るわけにはいかないと奮起する。錆兎に勧められたからという当初の理由だけでは、きっと今日まで書き続けることはできなかっただろう。

 今回の手紙は、夏休み前ごろに出た本の感想だろうか。きっと今回もあそこが好きだ、ここに感動したと、興奮が義勇にも伝わってくるような文字で、一所懸命に書かれていることだろう。
 今年は義勇にはめずらしいことに発行ペースが早く、クリスマスにはまた新刊が出る。夏の本に告知が挟まっていたはずだから、次の本を楽しみにする言葉も書き連ねられているかもしれない。

 想像して笑みが浮かんだが、しのぶの次の言葉にその笑みは消えた。
「それでですね、経費削減の折、今回から冨岡さんの我儘は却下されることになりました。なので、手紙は今回からすべて封筒に入ったままです」
 有無を言わせぬ圧をしのぶの笑みに感じるのは、きっと気のせいではないだろう。
 なんで、と言葉にする前に、しのぶは笑顔のまま器用に眉間に皺を刻む。
「封筒から出して手紙だけの状態で渡してほしいなんて、そんなわけのわからない我儘、今までまかりとおっていたほうが不思議なくらいです。冨岡さんはたかがそれくらいと思われるかもしれないですけど、たかがそれくらいのことに、私たちの勤務時間は削られるんですよ? バイトの子にやってもらうにしても、たった一人の我儘作家のために封筒から手紙を取り出して輪ゴムで止めるだけなんていう仕事に、給料を払うような余裕は今の出版業界にはありません。もちろん、危険物が入っていないかチェックしますから、今までどおり編集部で封は開けます。でも、いちいち手紙だけ取り出すなんて手間のかかること、これからはできませんのでご了承くださいね」
「……わかった」
 滔々と語られる正論に、反論する言葉が浮かばず義勇がしぶしぶうなづけば、よろしいとでも言うようにしのぶは笑みを深めた。だがすぐにその笑みは消え、いかにも不思議そうに小首をかしげている。
「お聞きしたことなかったですけど、なんで封筒はいらないなんて我儘を言ってたんですか? ゴミを増やしたくないとか?」
「差出人の名前や住所は知りたくない」
 憮然として言うと、しのぶの瞳がきょとんとしばたいた。

 変人だとは思っていたけれど、本当に変な人ですね。
 無言のままだが、しのぶの目と表情がそう言っている。

 だから言いたくなかったんだと、義勇は居心地悪さを押し隠すように、意味なく紙袋を覗き込んだ。輪ゴムで止められた封筒や葉書は、いつもと変わらぬ量に見える。すべてが好意的とはかぎらないが、あまりにも的外れすぎる批判以外は、義勇は真摯に受け止めることにしている。しのぶの指摘と読者の批評はほぼ同一で、だからこそ義勇は、担当作家への言葉にしては失礼すぎる毒舌に反論ができない。
 夏前に出た新刊は、義勇が一番弱点としている人物造形に力を入れたつもりだが、それでもしのぶからは、もっとお友達が増えるといいですねと、生温い視線で微笑まれたからそういうことなのだろう。

 恋心を書くのには苦労したことがない。声に出せない自分の想いや、もしも錆兎と結ばれたらとの妄想をそのまま綴っているようなものだから、錆兎への想いを主人公に代弁してもらえばそれで済む。そのせいか、その点についての義勇の文章は好評で、しのぶから改善を求められることも少ない。
 ただ、とにかく登場人物が類型的だ。さもありなん。なにせ義勇が書く人物たちは、一に錆兎、二に錆兎、とにかく主人公の相手のモデルは錆兎ばかりだ。すぐにそれと悟られる書き方はしていないつもりだが、それでも真菰には義勇が書く男の人は錆兎に似ていると、笑われることは多かった。
 錆兎への秘めた思いから生まれる小説だから、それは当然なのかもしれないが、プロとしては恥じ入るほかない。
 かてて加えてその他の登場人物たちがマズイ。真菰や姉の蔦子に鱗滝、片手で足りる程度のかろうじて友人と言っていい人たち。それぐらいしか義勇の引き出しにはモデルがいない。二作目で前担当から早くも指摘された、最大の弱点である。
 それでもどうにか物書きの端くれを名乗れているのも、あの子からのファンレターのお陰だった。称賛と期待に奮起させられただけではない。手紙に綴られた子供の言葉から性格やら外見やらを想像し、この子だったらこう言うだろう、こんなふうに感じるだろうと思い描きながら書いた小説が、義勇にとって今も重版を続けている初めての本となったからだ。

「冨岡さんのことですから、どうせ名前を知ったら迂闊にその名前は使えなくなるとか、あとは、そうですねぇ……逢いたくなったら困るとか? そういうことでしょう?」
 呆れた声は、それでもどこか優しい響きをしていた。義勇より一つ年下のはずだが、こういうときのしのぶは出来の悪い弟を見るような目で義勇を見る。べつに不快ではないが、少しばかり不甲斐なさを覚えるのは事実だ。
 図星を刺されたことも相まって居心地悪さは増し、義勇は誤魔化すようにコーヒーカップを手に取った。

 しのぶの言葉は確かだが、それでも少しだけ足りない。

 一番最初に貰ったファンレターは匿名だったけれど、すぐに義勇は誰からなのか気づいた。錆兎の文字も、言葉選びも、義勇は熟知していたのだから当然だろう。
 気恥ずかしくて、嬉しくて、ちょっぴり不甲斐なさも感じたその手紙は、今も一等大事な義勇の宝物だ。錆兎からだと気づいたことは、今も錆兎には言っていない。
 名前と住所を知るということは、逢おうと思えば逢えるということで、それはもしかしたら、その人が義勇だけに打ち明けた秘密や想いを、暴く行為にも繋がるのかもしれないと思った。だから義勇は、読者の名を知りたくはない。
 この世界のどこかに、義勇の書く登場人物と同じ想い──義勇の想いと同じような心を抱えた人たちがいて、義勇と同じように日々切なさに泣いたり、少しの接触に舞い上がったりして過ごしている。
 冨岡義勇が真滝勇兎だと、手紙をくれる誰もが知らないように、義勇も、同士のようなその人たちの素顔など知らないままでいい。あの子も含めて。それでなくては不公平だ。

「それはそれとして、冨岡さん? 私に聞きたいことがあるんじゃないですか?」
「ない」
 唐突な問いかけに、ろくに考えずほぼ即答した義勇は、次の瞬間、飲みかけたコーヒーを噴き出しそうになった。

「竈門ベーカリー」

 むせて盛大に咳き込む義勇に、しのぶはあらあらと楽しげに笑っている。