午後3時のフレンチトースト
中学生の書く手紙だ。きっとプロの作家からすれば稚拙なことこの上なかっただろう。返事は一度もなかった。でもそれは、当然だろう。ファンレターにいちいち返事をするなど、大変に違いない。残念だとも思わなかった。
「ごちそうさま。皿は水につけておいてくれ。俺は店に出るから」
「わかってるよぉ。姉ちゃんたちにもちゃんと、おやつあるよって言えばいいんだろ?」
「母ちゃんくる? 母ちゃんのは俺がお皿にのせたげるね」
「うん。ちゃんとわかっててえらいぞぉ、おまえら」
ぐりぐりと撫でてやれば、面映ゆそうに茂と六太は笑う。幸せだなぁと、幼い笑顔に思う。
初恋の甘さを胸によみがえらせたまま、炭治郎は店に出た。
「母さん、代わるから休憩して」
「悪いわね。今オーブンにパンオショコラ入れたから、焼き上がったら補充してくれる?」
「わかった。ゆっくりしてきて」
客の対応をしながらも、ふとした瞬間に思い出すのは、瑠璃色の瞳。初恋のことは、一度も口にしたことがない。炭治郎の淡い恋心を知るのは、真滝勇兎ただひとりだ。
真滝の小説を読むたびに、少年との恋を想像した。
あの人はきっと、この主人公みたいにちょっと口下手で、誤解されやすいに違いない。やさしいけれど、きっと肝心なことではきっちり叱ってくれるんだ。そんな気がする。
逢えないから余計に妄想はふくらんで、でも、誰にも言えず、真滝へのファンレターについ頭のなかにしかない少年とのアレコレを書き綴った。
返事は来ないと思うからこそ、書けたのかもしれない。
たった一度逢ったきりだ。ただの通りすがりと変わらない。そんな人に恋してると言ったところで、あきれられることぐらい炭治郎にもわかっている。
初恋であることに間違いはないが、それも、淡く儚い憧れでしかないのだろうと、炭治郎も思っている。今はまだ、あの少年にしかときめいたりはしないが、いつかはそれも薄れて、誰かに恋をするのかもしれなかった。
だけど、まだいいじゃないかとも思う。フレンチトーストの甘さは、まだ胸に残っている。食べるたびに、思い出す瑠璃色の瞳。あの日の涙。救われた心は、今の炭治郎を支えてくれている。
本当の恋とは呼べないかもしれない。でも、恋しいのは確かなのだ。いつか本当の恋を知るまでは、ほのかな憧れを大切にしたっていいはずだ。
時刻は四時になろうとしている。オーブンが焼き上がりを伝える電子音をひびかせた。店の看板商品のひとつであるパンオショコラの焼き上がりだ。
いつか、あの人にも食べてもらえたらいいな。思いながら、炭治郎は商品棚に甘い匂いを立てるパンを並べていく。
カランコロンとドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
振り返った炭治郎の目に飛び込んできたのは、白い肌に癖のある黒髪。静かでやさしい瑠璃色の瞳をした、男の人。
あの日の狂おしい痛みの気配は、その瞳にはないけれど。
憧れだけじゃない本当の恋の扉が、今、開いた。
作品名:午後3時のフレンチトースト 作家名:オバ/OBA