BUDDY 8
BUDDY 8
遠坂邸の台所で朝食の支度をしていると、
「何をしている」
不機嫌な声が俺の手を止める。
「何って、朝飯の用意だけど?」
当然だろって顔で言えば、アーチャーは眉根を寄せて、心底嫌そうな顔をした。
「どけ。私が作る」
「俺がやる。俺の方が先にここにいたんだ。アンタは見張りでもしてろ」
「む。貴様、凛と契約したからと言って、何を偉そうに——」
「偉いとか偉くないとかじゃない。とにかく、そんなヒラヒラした物着て台所に立つな。あっち行け」
「お、おい?」
台所に入ってこようとしたアーチャーを押し返す。
「べつに、台所を占拠するつもりはないし、アンタの手を借りることもある。だけど、今日は俺がやるから、アンタはゆっくりしてろ」
アーチャーの胸元を押していた手首が掴まれて、思わず見上げれば、鈍色の瞳と視線がかち合った。
「っ……!」
忘れたわけじゃない。
忘れようとしているけど、忘れられない。
深夜の風呂場でのやりとり。
アーチャーの唇の感触、舌の熱さ、吐息の甘さ、鍛え抜かれた腕を力一杯掴んで縋り付き、俺が何をさせたのか……。
静かに見下ろしてくる鈍色の瞳は、昨夜の熱を纏ってはいない。
(そう……だよな…………)
あのときは、アーチャーもどうかしていたんだ。
怒ってたし、頭に血がのぼっていたみたいだし。
俺に何をしたのかなんて、どうでもいいことで、覚えている価値もないことなんだろう。
そんなことを考えていれば、
「これならば、いいだろう?」
「え?」
赤い外套が消えて、ダークグレーのシャツに変わった。
アーチャーはいつもの武装を改めて、平服に変えたみたいだ。
「これで問題ないな?」
握った手首を離して、俺の脇をすり抜けたアーチャーは、さっきまで俺が立っていたところに陣取っている。
「ちょ……、ず、ずるいぞ! 勝手に、」
「何がずるいんだ? 朝食を誰が作るのかは決まっていない。お前の言い分では早い者勝ちのようだが?」
「お、俺が、今そこにいたんだから、」
「今は私が立っている。お前はここから離れた。ということは、私に譲ったとも取れる」
「なっ…………、なんつー、屁理屈捏ねるんだッ! 大人げないっ!」
「む……。では、お前も手伝え」
「は?」
「別々に作ることもない。ここのキッチンはそれなりの広さがあるのだ。二人で立っても問題ないだろう」
「ふ、ふた……り?」
「文句があるのか? ならば、お前が遠慮しろ。私の方が手際も腕前も、お前に優っている」
「ぐ……、た、確かに、そうだけど……」
悔しい。
言い負かされて、しかも主導権を握られてしまった。
「大人げない……」
「なんとでも言え。痛くも痒くもない」
「この……っ」
ほんっと、アーチャーはこういうとこ、大人げない。
誰にでも当たり障りなくやり過ごすことができるのに、なんだって、俺にはこんな……。
(ああ……。俺だけだー、なんて、昔は思ってたよなぁ……)
若気の至りだった。
思わず遠い目をしてしまう。
そんな淡い思い出が勘違いだったと気づくくらいには、アーチャーとともに過ごした。
ただ単に、衛宮士郎にエミヤシロウは負けられないってことなんだよな、アーチャーの場合……。
「わかった……。俺が補助に回る。で? なに作るんだ?」
「む。譲ってやった、という雰囲気を醸し出すのはやめろ」
「事実、譲ってやったろ?」
「貴様……」
「さっさと作ろう。みんなが起きてきちまう」
「……そうだな」
アーチャーは渋々話を切り上げた。
(こんなに気軽に話すことができるなんて、嘘みたいだ……)
はじめは最弱マスターだったから、ずっと負い目を感じていた。
アーチャーが鍛えてくれていたときは師弟みたいな関係だったから、常に気を配っていた。
それから俺が導くって約束して、結局その約束を反故にして、座に転がり込んでアーチャーから魔力を都合してもらうことになって……。
思えば、十七歳のあの日から、俺はアーチャーにずいぶんと依存していた。
アーチャーのことを好きだと気づいてからは、とくに……。
諦めがついてからも、俺の頭と心の中はアーチャーでいっぱいだった。
それが間違いだったとは思わない。
だけど、愚かだったとは思う。
もっと他に目を向けるべきだったんだ。
そうしていたら、今こんなことにはなっていなかったかもしれない。
だって、俺の人生に、俺自身が一切ない。
すべてがアーチャーに起因していたし、帰結していた。
それが、遠坂の使い魔になったことで思わぬ解放となったんだ。
いや、その前、キャスターの宝具でアーチャーから引きちぎられるように分離させられてから、かな。
今もちぎられた感覚があって切なくなる。
その感覚に集中すると、ずっとそこに堕ちていきそうで、目を逸らしている。
だから、こうやって目を逸らしていれば、存外楽しいセカンドライフだ。
今みたいにアーチャーと軽口を叩いて、気楽に関わっていける。
(嘘みたいに気持ちが楽になったなぁ……)
いつまで続くかはわからないこの時間は、……たぶん、そう長くはないと思う。
(それでも……)
少しの間だとしても、アーチャーと居られるんだからうれしい限りだ。
俺は遠坂の使い魔だから、その契約を勝手にどうこうすることができない。
すべての権限は遠坂が握っている。
(だから、アーチャーが座に還るのを、俺が見送ることになる……)
その日が来ることを思うと落ち着かないし、寂しいとか悲しいとか、そういう感情に押し流されてしましそうだ。
だけど、笑って見送らなければ、と思う。
アーチャーが俺を鍛え上げてくれたことに感謝して、約束を守れなかったことを謝って、それで、アーチャーが許してくれたりすれば、御の字なんだけど……、まあ、そんなうまくいくわけがない。
遠坂邸の台所でアーチャーと並び、主たちの朝食を作る。
(ああ、幸せだな……)
限りのある時間だとわかっている。
アーチャーとは、ここでの時間が最後だって、漠然とした予感がある。
アーチャーが朝食の用意をしている。
それを隣で補助しながら眺めている。
こんな日が、こんな時間が、ずっと続けばいいのに。
叶うはずのない願いを思い続けている。
わかっている、はずなのに…………。
***
凛に今後をどうするのか士郎と相談しろと言われていたが、アーチャーは士郎が使う客間に足を踏み入れる気にはなれなかった。
早く手を打たなければと、頭ではわかっていたが、士郎と顔を合わせることにどうにも気が引け、結局、聖杯戦争の方に時間を取られ、うやむやにしてしまった。渡りに船と蔑まれても、アーチャーは言い返せない。
しかし、士郎のことから逃げるように意識を注いだ聖杯戦争も、突然の終了となり、サーヴァントは現界したままで様子見という、なんとも中途半端な結末となっている。
そうして、久しぶりに遠坂邸へ衛宮士郎とセイバーを交えた四名で戻ってきた。深夜になってしまったため、凛が二人に泊まっていけばいいと言い、二人を招き入れたのだ。
遠坂邸の台所で朝食の支度をしていると、
「何をしている」
不機嫌な声が俺の手を止める。
「何って、朝飯の用意だけど?」
当然だろって顔で言えば、アーチャーは眉根を寄せて、心底嫌そうな顔をした。
「どけ。私が作る」
「俺がやる。俺の方が先にここにいたんだ。アンタは見張りでもしてろ」
「む。貴様、凛と契約したからと言って、何を偉そうに——」
「偉いとか偉くないとかじゃない。とにかく、そんなヒラヒラした物着て台所に立つな。あっち行け」
「お、おい?」
台所に入ってこようとしたアーチャーを押し返す。
「べつに、台所を占拠するつもりはないし、アンタの手を借りることもある。だけど、今日は俺がやるから、アンタはゆっくりしてろ」
アーチャーの胸元を押していた手首が掴まれて、思わず見上げれば、鈍色の瞳と視線がかち合った。
「っ……!」
忘れたわけじゃない。
忘れようとしているけど、忘れられない。
深夜の風呂場でのやりとり。
アーチャーの唇の感触、舌の熱さ、吐息の甘さ、鍛え抜かれた腕を力一杯掴んで縋り付き、俺が何をさせたのか……。
静かに見下ろしてくる鈍色の瞳は、昨夜の熱を纏ってはいない。
(そう……だよな…………)
あのときは、アーチャーもどうかしていたんだ。
怒ってたし、頭に血がのぼっていたみたいだし。
俺に何をしたのかなんて、どうでもいいことで、覚えている価値もないことなんだろう。
そんなことを考えていれば、
「これならば、いいだろう?」
「え?」
赤い外套が消えて、ダークグレーのシャツに変わった。
アーチャーはいつもの武装を改めて、平服に変えたみたいだ。
「これで問題ないな?」
握った手首を離して、俺の脇をすり抜けたアーチャーは、さっきまで俺が立っていたところに陣取っている。
「ちょ……、ず、ずるいぞ! 勝手に、」
「何がずるいんだ? 朝食を誰が作るのかは決まっていない。お前の言い分では早い者勝ちのようだが?」
「お、俺が、今そこにいたんだから、」
「今は私が立っている。お前はここから離れた。ということは、私に譲ったとも取れる」
「なっ…………、なんつー、屁理屈捏ねるんだッ! 大人げないっ!」
「む……。では、お前も手伝え」
「は?」
「別々に作ることもない。ここのキッチンはそれなりの広さがあるのだ。二人で立っても問題ないだろう」
「ふ、ふた……り?」
「文句があるのか? ならば、お前が遠慮しろ。私の方が手際も腕前も、お前に優っている」
「ぐ……、た、確かに、そうだけど……」
悔しい。
言い負かされて、しかも主導権を握られてしまった。
「大人げない……」
「なんとでも言え。痛くも痒くもない」
「この……っ」
ほんっと、アーチャーはこういうとこ、大人げない。
誰にでも当たり障りなくやり過ごすことができるのに、なんだって、俺にはこんな……。
(ああ……。俺だけだー、なんて、昔は思ってたよなぁ……)
若気の至りだった。
思わず遠い目をしてしまう。
そんな淡い思い出が勘違いだったと気づくくらいには、アーチャーとともに過ごした。
ただ単に、衛宮士郎にエミヤシロウは負けられないってことなんだよな、アーチャーの場合……。
「わかった……。俺が補助に回る。で? なに作るんだ?」
「む。譲ってやった、という雰囲気を醸し出すのはやめろ」
「事実、譲ってやったろ?」
「貴様……」
「さっさと作ろう。みんなが起きてきちまう」
「……そうだな」
アーチャーは渋々話を切り上げた。
(こんなに気軽に話すことができるなんて、嘘みたいだ……)
はじめは最弱マスターだったから、ずっと負い目を感じていた。
アーチャーが鍛えてくれていたときは師弟みたいな関係だったから、常に気を配っていた。
それから俺が導くって約束して、結局その約束を反故にして、座に転がり込んでアーチャーから魔力を都合してもらうことになって……。
思えば、十七歳のあの日から、俺はアーチャーにずいぶんと依存していた。
アーチャーのことを好きだと気づいてからは、とくに……。
諦めがついてからも、俺の頭と心の中はアーチャーでいっぱいだった。
それが間違いだったとは思わない。
だけど、愚かだったとは思う。
もっと他に目を向けるべきだったんだ。
そうしていたら、今こんなことにはなっていなかったかもしれない。
だって、俺の人生に、俺自身が一切ない。
すべてがアーチャーに起因していたし、帰結していた。
それが、遠坂の使い魔になったことで思わぬ解放となったんだ。
いや、その前、キャスターの宝具でアーチャーから引きちぎられるように分離させられてから、かな。
今もちぎられた感覚があって切なくなる。
その感覚に集中すると、ずっとそこに堕ちていきそうで、目を逸らしている。
だから、こうやって目を逸らしていれば、存外楽しいセカンドライフだ。
今みたいにアーチャーと軽口を叩いて、気楽に関わっていける。
(嘘みたいに気持ちが楽になったなぁ……)
いつまで続くかはわからないこの時間は、……たぶん、そう長くはないと思う。
(それでも……)
少しの間だとしても、アーチャーと居られるんだからうれしい限りだ。
俺は遠坂の使い魔だから、その契約を勝手にどうこうすることができない。
すべての権限は遠坂が握っている。
(だから、アーチャーが座に還るのを、俺が見送ることになる……)
その日が来ることを思うと落ち着かないし、寂しいとか悲しいとか、そういう感情に押し流されてしましそうだ。
だけど、笑って見送らなければ、と思う。
アーチャーが俺を鍛え上げてくれたことに感謝して、約束を守れなかったことを謝って、それで、アーチャーが許してくれたりすれば、御の字なんだけど……、まあ、そんなうまくいくわけがない。
遠坂邸の台所でアーチャーと並び、主たちの朝食を作る。
(ああ、幸せだな……)
限りのある時間だとわかっている。
アーチャーとは、ここでの時間が最後だって、漠然とした予感がある。
アーチャーが朝食の用意をしている。
それを隣で補助しながら眺めている。
こんな日が、こんな時間が、ずっと続けばいいのに。
叶うはずのない願いを思い続けている。
わかっている、はずなのに…………。
***
凛に今後をどうするのか士郎と相談しろと言われていたが、アーチャーは士郎が使う客間に足を踏み入れる気にはなれなかった。
早く手を打たなければと、頭ではわかっていたが、士郎と顔を合わせることにどうにも気が引け、結局、聖杯戦争の方に時間を取られ、うやむやにしてしまった。渡りに船と蔑まれても、アーチャーは言い返せない。
しかし、士郎のことから逃げるように意識を注いだ聖杯戦争も、突然の終了となり、サーヴァントは現界したままで様子見という、なんとも中途半端な結末となっている。
そうして、久しぶりに遠坂邸へ衛宮士郎とセイバーを交えた四名で戻ってきた。深夜になってしまったため、凛が二人に泊まっていけばいいと言い、二人を招き入れたのだ。