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桜が謳うサンサーラ

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 義勇も不安をおぼえ、あわてて言うと、たしかめるようにまた額を寄せた。
「熱はないみたいだけど……」
「そ、そうじゃなくてっ。笑った顔……見たから」
「……そんなに変な顔してたか?」
 ためらいがちに視線をそらせて言う炭治郎に、いくぶんショックを受けつつ言えば、炭治郎はブンブンと首を振った。
「かわいいし綺麗だし格好いいし! どうしたらいいかわかんなかったんだってばっ!!」
「……そうか」
 そんなことを言われてどう答えればいいというのだ。困ってしまって義勇もちょっとだけそっぽを向いた。赤面しにくいたちだが、耳はきっと赤くなっているだろう。照れているのに気づかれなければいいと思ったのに、炭治郎は目ざとく気づいてしまったようだ。
 くふんと笑った炭治郎は、義勇が憮然とする間もなく、突然ぱくりと耳たぶに噛みついてきた。
「っ!? た、炭治郎?」
「なんか美味しそうだったから。義勇、耳真っ赤だ。かわいい」
 くふくふと笑う炭治郎にちょっぴりムッとして、義勇はお返しとばかりに炭治郎の首筋に歯を立てた。
「ひゃうっ!! ぎ、義勇なにしてんだよ!!」
「美味しそうだったから? かわいいな、炭治郎」
 あむあむと甘噛みする義勇に、炭治郎はあわあわとあわてて、いっそう赤味を増していく。してやったりとニヤリと笑う義勇に、真っ赤な頬がぷっくりとふくらんだ。
 むぅっと唇を尖らせる炭治郎に、やりすぎたかとちょっぴりヒヤリとした義勇だったが、すぐにその顔はニコニコとほころんで、炭治郎はギュッと義勇に抱きついてくる。
「ずっと探してたの、義勇だったんだ。すごく逢いたかったんだ。ずっと、ずっと、逢いたかったんだ……」
「うん……うん、炭治郎。俺も探してた。ずっと探してた。逢いたかった……」

 強く抱きしめあったふたりの周りに風が吹く。桜の花びらを運ぶ風が。
 鳥のさえずりが、たえまなく聞こえる。番を求めて恋の歌を歌う声が。
 世界は歌う。巡りあった命へ、あきらめなかった魂へ、祝福の賛歌を。

 遠くで声がした。義勇の名を呼ぶ声だ。
「錆兎と真菰だ」
「友達?」
「うん。きっと炭治郎も友達になれる。すごくいいやつらなんだ」
「うん! そんな気がする!」
 笑いあって立ち上がり、自然にふたりは手を差し伸べあった。
 義勇の左手が、炭治郎の右手に触れる。指を絡めてつなぎあった手は、まるでずっと前からこうしていたかのように、互いの手のひらにたやすくなじんだ。

 もう離さない。二度と離れない。もう、間違えない。

 そんな誓いが、言葉になることなく互いの胸に刻まれたことを、ふたりは見交わす眼差しで確信していた。
 手をつなぎあい立ちつくしているふたりに、錆兎と真菰が駆け寄ってくる。驚きや祝福の声が、桜の木のもとへも届いてきた。



 桜の木は知らない。炭治郎の引っ越し先が、義勇の家の最寄り駅に近いのだなんてことも、これから同じ中学に通うのだということも。人の言葉を理解しえない桜の大樹には、すべてあずかり知らぬところである。
 子どもらはそろって桜のもとへと歩み寄ってくる。ワイワイとにぎやかな声は、どこまでも明るい。
 そんな大事なことを聞いてないって、おまえなにしてたんだよと、あきれて言う錆兎を。話をする余裕もないぐらいうれしくて、泣いちゃってたんでしょと、笑う真菰を。そして、義勇と炭治郎が無言のまま見あわせた顔を赤く染めたのを、桜の木はただ静かに見下ろしていただけだった。

 にぎやかに笑いながら、桜の木の下で弁当を食べだす子どもたちを、桜の木はただ見ていた。ただの樹木である桜に視覚はないが、それでも桜は見ていた。あますところなく。
 傷つきボロボロになっていく魂が、それでもあきらめることなく互いを探し求めてきたその様を、この木だけが、ずっと見ていた。
 大地がゆれ、戦火が空を赤く染めても、桜の木はずっと見守ってきた。言葉もなく、ただ、静かに。

 かつて、桜の木の根元に転がっていたいくつもの骨は、もうここにはない。長い年月のあいだに、どこかへ行ってしまった。
 獣や鳥の骨は、ほかの動物に持ち去られたのかもしれないし、人の髑髏は、山に人の手が入ったおりに、人の手によって弔われたのかもしれなかった。
 腐臭が染みついた桶はとうに朽ちて、衣類や小さなふたつの袋も、なかにあった髪の毛や羽根も、ひとつ残らず土に還っている。そうして桜の木の糧となり、この地で起きた諸々の出来事は、もう痕跡すら残ってはいない。いくらか桜の花の色味が増しただけのこと。
 いずれにしてもそんなことは、桜にとってはどうでもいいことである。朽ちて骨だけになった肉体は、物でしかない。そこに愛だけを抱いたふたつの魂は存在しないのだ。
 桜の木はひらひらと花を降らせつづけた。幸いあれと笑うように。
 桜は言語化された思考を持たないし、感情だって持ちあわせてはいない。
 それでもきっと桜の木は祝福していた。
 そして、もしもこの桜が人語を解し、己が見てきた光景を、今この場に起こった奇跡を、誰かに伝えようとするのなら、きっとこんな言葉にするのだろう。


 桜の木の下には、あまたの命でつむがれた、たったひとつの愛の軌跡が眠っている。
 それは、誓って本当のことなんだ。
作品名:桜が謳うサンサーラ 作家名:オバ/OBA