Hello!My family 第1章
「パパ、今日はちゃんと玉子買ってね。あと禰豆子のシャンプー!」
足元から聞こえた声に、義勇は少し視線を下げて声の主を見下ろした。
繋いだ小さな手の先で、幼い娘が義勇を見上げている。いったい誰に似たのやら、禰豆子は年齢の割にしっかりしていると思う。
来年には小学校に上がるとはいえ、十二月生まれの禰豆子はまだ五歳だ。それにしては、親の贔屓目抜きに言葉遣いも達者だし、理解も早い。
自分に似ずなによりだと、義勇は内心苦笑した。別れた妻とは比べものにならないのは、言うまでもない。
「あぁ。忘れそうになったら教えてくれ」
「いいよ! 禰豆子が教えてあげる!」
にっこりと笑う禰豆子に、少し疲れていた心がほっこりと温まる気がする。
妻と別れて以来、慣れない手つきで自炊することにも、どうにか慣れてきた。とはいえ、まだまだ簡単なものしか作れない。禰豆子の好きなオムライスだって、いつも玉子が破れてしまって、皿を置くたび、禰豆子は落胆の顔を見せた。
もちろん、そんながっかりした様子は一瞬で、禰豆子はすぐにパパありがとうと笑ってくれる。そのいじらしさが義勇の罪悪感をかき立てるのだ。
せめて味がよければいいのだが、ご飯はケチャップの入れ過ぎでべちゃべちゃだったり、反対に味付けが薄すぎたりする。食事を作るようになって一年。義勇はいまだに、うまいかと聞いてやれるような出来のものを作れずにいる。
毎朝の弁当作りも、今でこそてんやわんやな様子を禰豆子に見せずに済むようにはなったけれど、最初は黒焦げだったり生煮えだったりして、禰豆子にはずいぶんと我慢を強いてきたと思う。周囲の子供たちの綺麗な弁当とは大違いの、義勇が作ったみすぼらしい弁当に、恥もかいていることだろう。今もおかずの大半は冷凍食品だ。おかげで今もって義勇は、禰豆子のカバンに弁当を入れるのを躊躇してしまう。
けれど禰豆子は、一度だって文句を言わない。それだけ以前の生活は禰豆子を傷つけてきたのだと思うと、義勇の胸は後悔と愛おしさに締めつけられる。
せめてもう少し、一緒にいられる時間を作れるといいんだが。
思ってみても、なかなかうまくはいかない。大企業の財務部勤務ともなれば、月末、月初の業務量はまだ二十代の義勇にもこたえるものがある。残業だって増える。
今日だって、禰豆子を迎えに行けたのは、保育園の延長保育時間ギリギリだ。運営方針だか知らないが、手作り弁当を持参と強要する割に、預かり時間は伸ばしてはくれないのだから、保育園に預けている意味を考えざるを得ない。
とはいえ、入れたのがここだけで、しかも禰豆子には幼稚園から移ってもらっているのだ。文句を言うわけにもいかず、義勇はため息を飲みこむしかない。
時刻はすでに夜の八時を回っている。スーパーの営業時間は九時までだから、こちらもギリギリだ。帰宅して禰豆子に食事をとらせて風呂に入れたら、持ち帰った仕事をしなければならず、のんびりとかまってやるような時間は到底とれそうにない。
この時間では弁当だって売り切れているだろうし、今日もレトルトのカレーになりそうだ。せめてサラダくらいは作れるといいのだけれど。
思いつつスーパーの自動ドアをくぐると、いらっしゃいませと元気な声が聞えてきた。
今まで何度も通った店だが、こんなに快活なあいさつなど一度もされたことはない。驚いて声の主を探せば、高校生くらいの少年がニコニコと笑いながらこちらを見ていた。
ただしくは、禰豆子を。
「こんばんは!」
大きな声で言う禰豆子にさらに相好をくずしたところを見ると、よほどの子供好きなのだろう。義勇から見れば、少年だって充分に子供ではあるのだが。
閉店が近いからだろうか、少年は、お薦め品のポップを明日のものと付け替えていたようだ。お仕着せのエプロンにつけられたネームプレートによると、竈門という名らしい。
「お兄ちゃん、お店の人?」
「うん。今日からなんだ。きみはお得意さんなのかなぁ」
「よく来るのかって聞かれたんだ」
ん? と首をかしげている禰豆子に義勇が言うと、禰豆子は元気よくうなずいた。
「うん! あのね、保育園の帰りにパパとくるの。お弁当とか、禰豆子のおやつとか買うんだよ。パパが遅い日はね、袋のおかずを買うの」
「袋のおかず?」
今度は少年がきょとんとする番だ。義勇としては、もういいからと立ち去ってしまいたいところだけれど、禰豆子がうれしそうに話をしているものを、無下に会話を断ち切るわけにもいかない。
「……レトルトだ」
「あぁ! そっかぁ、たしかに袋にはいったおかずだね」
恥を忍んで言ったのだが、少年はまったく気にした様子がない。たいがいの人はこれを聞くと、子供にレトルトばかりなんてと眉をひそめるものだが、この少年は禰豆子を憐れむでも、義勇を軽蔑するでもなく、ただ笑っている。
「レトルトって手軽でおいしいですもんね」
義勇に向かいそう言って、少年は禰豆子に手を振った。
「おいしいの買ってもらえるといいね」
「うん! 今日はねー、ハンバーグ! 目玉焼き乗っけてもらうの!」
「へぇ、おいしそうだ。いっぱい食べるといいよ」
義勇に向かいぺこりと頭を下げると、少年は仕事を再開した。それに手を振ってバイバーイと笑う禰豆子は、ずいぶんと機嫌がいい。禰豆子にまた手を振ってくれた少年に、義勇も軽く会釈して、いつのまにやら禰豆子のなかで決定していたメニューを食卓にあげるべく、チルド食品のコーナーへと向かった。
「お兄ちゃん、なんてお名前かなぁ」
「竈門って名札がついてた」
「かまど? お兄ちゃんのお名前?」
「あぁ。下の名前まではわからないが」
じゃあ今度聞くと笑う禰豆子に、義勇も小さく笑った。
禰豆子が初対面の人をここまで気に入るのもめずらしい。とくにこの一年ほどは、慣れた人にでさえ少し怯える様子をみせるぐらいだったというのに、初めから笑顔で、あんなに楽しそうに話をするなんて。
あけっぴろげな明るい笑顔を、思い浮かべる。あの竈門という少年の、下の名前はなんというのだろうか。これからも禰豆子と仲良くしてくれるといいけれど。
ご機嫌に話しながら歩く禰豆子に相槌を打ちながら、義勇は頭の片隅で、そんなことを考えていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
初めて竈門という少年と出逢ったのは、まだ時折肌寒い日もある四月だったが、梅雨に入った六月の今は、蒸し暑い日が続いている。
今日の降水確率は二十パーセントで、雨の心配はいらないだろうと傘を持ってきていない。だというのに、だんだん雨雲が広がってきていて、義勇は少しばかりうらめしげに空をにらんだ。
月初ということもあり、保育園への迎えが遅くなってしまった上に、雨に降られてはかなわない。忙しい時期だ。有給などとれる状態ではない今、禰豆子に風邪でも引かれては、にっちもさっちもいかなくなってしまう。
こんな日はスーパーに寄るよりも、コンビニで弁当でも買ってしまえば楽なのだが、禰豆子は毎日スーパーで買い物するのを楽しみにしているから、しかたがない。
いや、本音を言えば義勇だって楽しみではあるのだ。
足元から聞こえた声に、義勇は少し視線を下げて声の主を見下ろした。
繋いだ小さな手の先で、幼い娘が義勇を見上げている。いったい誰に似たのやら、禰豆子は年齢の割にしっかりしていると思う。
来年には小学校に上がるとはいえ、十二月生まれの禰豆子はまだ五歳だ。それにしては、親の贔屓目抜きに言葉遣いも達者だし、理解も早い。
自分に似ずなによりだと、義勇は内心苦笑した。別れた妻とは比べものにならないのは、言うまでもない。
「あぁ。忘れそうになったら教えてくれ」
「いいよ! 禰豆子が教えてあげる!」
にっこりと笑う禰豆子に、少し疲れていた心がほっこりと温まる気がする。
妻と別れて以来、慣れない手つきで自炊することにも、どうにか慣れてきた。とはいえ、まだまだ簡単なものしか作れない。禰豆子の好きなオムライスだって、いつも玉子が破れてしまって、皿を置くたび、禰豆子は落胆の顔を見せた。
もちろん、そんながっかりした様子は一瞬で、禰豆子はすぐにパパありがとうと笑ってくれる。そのいじらしさが義勇の罪悪感をかき立てるのだ。
せめて味がよければいいのだが、ご飯はケチャップの入れ過ぎでべちゃべちゃだったり、反対に味付けが薄すぎたりする。食事を作るようになって一年。義勇はいまだに、うまいかと聞いてやれるような出来のものを作れずにいる。
毎朝の弁当作りも、今でこそてんやわんやな様子を禰豆子に見せずに済むようにはなったけれど、最初は黒焦げだったり生煮えだったりして、禰豆子にはずいぶんと我慢を強いてきたと思う。周囲の子供たちの綺麗な弁当とは大違いの、義勇が作ったみすぼらしい弁当に、恥もかいていることだろう。今もおかずの大半は冷凍食品だ。おかげで今もって義勇は、禰豆子のカバンに弁当を入れるのを躊躇してしまう。
けれど禰豆子は、一度だって文句を言わない。それだけ以前の生活は禰豆子を傷つけてきたのだと思うと、義勇の胸は後悔と愛おしさに締めつけられる。
せめてもう少し、一緒にいられる時間を作れるといいんだが。
思ってみても、なかなかうまくはいかない。大企業の財務部勤務ともなれば、月末、月初の業務量はまだ二十代の義勇にもこたえるものがある。残業だって増える。
今日だって、禰豆子を迎えに行けたのは、保育園の延長保育時間ギリギリだ。運営方針だか知らないが、手作り弁当を持参と強要する割に、預かり時間は伸ばしてはくれないのだから、保育園に預けている意味を考えざるを得ない。
とはいえ、入れたのがここだけで、しかも禰豆子には幼稚園から移ってもらっているのだ。文句を言うわけにもいかず、義勇はため息を飲みこむしかない。
時刻はすでに夜の八時を回っている。スーパーの営業時間は九時までだから、こちらもギリギリだ。帰宅して禰豆子に食事をとらせて風呂に入れたら、持ち帰った仕事をしなければならず、のんびりとかまってやるような時間は到底とれそうにない。
この時間では弁当だって売り切れているだろうし、今日もレトルトのカレーになりそうだ。せめてサラダくらいは作れるといいのだけれど。
思いつつスーパーの自動ドアをくぐると、いらっしゃいませと元気な声が聞えてきた。
今まで何度も通った店だが、こんなに快活なあいさつなど一度もされたことはない。驚いて声の主を探せば、高校生くらいの少年がニコニコと笑いながらこちらを見ていた。
ただしくは、禰豆子を。
「こんばんは!」
大きな声で言う禰豆子にさらに相好をくずしたところを見ると、よほどの子供好きなのだろう。義勇から見れば、少年だって充分に子供ではあるのだが。
閉店が近いからだろうか、少年は、お薦め品のポップを明日のものと付け替えていたようだ。お仕着せのエプロンにつけられたネームプレートによると、竈門という名らしい。
「お兄ちゃん、お店の人?」
「うん。今日からなんだ。きみはお得意さんなのかなぁ」
「よく来るのかって聞かれたんだ」
ん? と首をかしげている禰豆子に義勇が言うと、禰豆子は元気よくうなずいた。
「うん! あのね、保育園の帰りにパパとくるの。お弁当とか、禰豆子のおやつとか買うんだよ。パパが遅い日はね、袋のおかずを買うの」
「袋のおかず?」
今度は少年がきょとんとする番だ。義勇としては、もういいからと立ち去ってしまいたいところだけれど、禰豆子がうれしそうに話をしているものを、無下に会話を断ち切るわけにもいかない。
「……レトルトだ」
「あぁ! そっかぁ、たしかに袋にはいったおかずだね」
恥を忍んで言ったのだが、少年はまったく気にした様子がない。たいがいの人はこれを聞くと、子供にレトルトばかりなんてと眉をひそめるものだが、この少年は禰豆子を憐れむでも、義勇を軽蔑するでもなく、ただ笑っている。
「レトルトって手軽でおいしいですもんね」
義勇に向かいそう言って、少年は禰豆子に手を振った。
「おいしいの買ってもらえるといいね」
「うん! 今日はねー、ハンバーグ! 目玉焼き乗っけてもらうの!」
「へぇ、おいしそうだ。いっぱい食べるといいよ」
義勇に向かいぺこりと頭を下げると、少年は仕事を再開した。それに手を振ってバイバーイと笑う禰豆子は、ずいぶんと機嫌がいい。禰豆子にまた手を振ってくれた少年に、義勇も軽く会釈して、いつのまにやら禰豆子のなかで決定していたメニューを食卓にあげるべく、チルド食品のコーナーへと向かった。
「お兄ちゃん、なんてお名前かなぁ」
「竈門って名札がついてた」
「かまど? お兄ちゃんのお名前?」
「あぁ。下の名前まではわからないが」
じゃあ今度聞くと笑う禰豆子に、義勇も小さく笑った。
禰豆子が初対面の人をここまで気に入るのもめずらしい。とくにこの一年ほどは、慣れた人にでさえ少し怯える様子をみせるぐらいだったというのに、初めから笑顔で、あんなに楽しそうに話をするなんて。
あけっぴろげな明るい笑顔を、思い浮かべる。あの竈門という少年の、下の名前はなんというのだろうか。これからも禰豆子と仲良くしてくれるといいけれど。
ご機嫌に話しながら歩く禰豆子に相槌を打ちながら、義勇は頭の片隅で、そんなことを考えていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
初めて竈門という少年と出逢ったのは、まだ時折肌寒い日もある四月だったが、梅雨に入った六月の今は、蒸し暑い日が続いている。
今日の降水確率は二十パーセントで、雨の心配はいらないだろうと傘を持ってきていない。だというのに、だんだん雨雲が広がってきていて、義勇は少しばかりうらめしげに空をにらんだ。
月初ということもあり、保育園への迎えが遅くなってしまった上に、雨に降られてはかなわない。忙しい時期だ。有給などとれる状態ではない今、禰豆子に風邪でも引かれては、にっちもさっちもいかなくなってしまう。
こんな日はスーパーに寄るよりも、コンビニで弁当でも買ってしまえば楽なのだが、禰豆子は毎日スーパーで買い物するのを楽しみにしているから、しかたがない。
いや、本音を言えば義勇だって楽しみではあるのだ。
作品名:Hello!My family 第1章 作家名:オバ/OBA