time
「時間がなくなっていくのが……。まだもう少しいられるとか、まだ時間はあるとか、考えるのも疲れるし」
「まあ、人間いちいち時間に縛られるんはしんどいけどな。考える間に一日が終わってまうかもしれんし」
「…それこそ無駄に時間をなくしてるよな」
弱い笑みを浮かべれば、額に掠めるようなキスを服部は俺に贈ってくれた。強引なくせに、こんな時はちゃんと優しく手を差し伸べてくる。
原因は図書館での会話。
あと少しだと、あいつは言った。
レポートを手伝っている時にした何気ない友人との会話。同じ学部の彼女と付き合っている友人が、俺に漏らした「別れるかもしれない」という台詞が、思った以上に俺にダメージを与えていたらしい。
卒業すれば会える時間は確実に減っていくのは明白で、これまでの様な付き合いが出来なくなるのに絶えられるか自信がないと続けられた。
俺にとって、服部と離れるのは別に大きな出来事でもなかった筈だ。
むしろ、高校の時の方が距離の壁も大きく、コナンの時は年齢の壁だって常についていた。離れていても服部なら大丈夫だと妙な安心感もあったし、何よりも服部がいつも俺を気にかけてくれていたから。
電話でもメールでも。
文字や音で服部の存在を感じる事で安堵感で胸が満たされていた。
けれど、一度一緒に過ごしてしまうと、想いの強さは一向に増すばかりで。
人は一つの事が満たされると、次はもっとと貪欲さが増していき、そして一度手にしたものが離れていくんじゃないかと…不安感を抱く生き物なのかもしれない。
「あんな、正直言わせてもらうけど、工藤がなんでそこまで臆病になるんかが解らんわ。離れるんはしゃーないし、ずっとベッタリいられるわけあらへん」
「…わーってるよ」
「せやろな。やから工藤は悩んでるんやし。…けど、離れたら別れるってわけやないで。そんなんやったら、遠距離恋愛なんてこの世からなくなってまうやろ」
「んな事、解ってるって言ってるだろっ」
だけど不安になる。
ぽんぽんと慰める様に背中を優しくたたかれて、その行動に苛立って身を剥がそうとすれば、「最後まできけや」と宥められた。
「いっつもそうやけど、工藤はなんでも自分の中で消化する癖をなんとかしたらええと思うで。まあ、推理ん時はしゃーないて俺も諦めとるけど、こういう時は別やって覚えとき。離れるんが嫌やったら、嫌やて俺にぶつけたらええねん。ずっと一緒にいられるなんて保証はしてやれんけど、それでもお前が不安になってるんは解るやろ」
一人で考え込むほど深みに嵌る。
思考の渦は基本的にマイナスの力を持っていると、以前どこかで聞いた事があった。
「それに、時間は止める事できひんし戻す事かて無理や。せやから、一分一秒でも俺は工藤と過ごしたいねん」
「…服部」
「離れても、俺は工藤と共に生きるて決めてるんやぞ。距離とか時間とか、そんなん関係あるかいっ」
らしい台詞。
いつだってお前はそうやって前を見ているよな。
「関係ないって…お前なぁ」
なんだか、悩むのが馬鹿らしくなってきちまうじゃねーか。
呆れ半分のため息を零せば、
「俺にとったら大事な事やねんぞっ」
なんて、憮然として言われるから、ますますおかしくて思わず声を出して笑ってしまう。
「分かった、分かったから。あんまり耳元で大声出すなよ。耳が変になっちまうだろ」
「くどぉ~…」
服部は俺の肩に額をつけてガクリと項垂れる。しっかりと自分の主張や意思を伝える時はしっかりしてるのに、俺にあしらわれた途端こんな風に情けない姿をみせてくるのは、なんだか可愛いとすら思ってしまう。
気がつけば、胸の痛みは消えていた。
「って、すっかり炭酸抜けちまったじゃねーか」
力を緩められ、俺は服部の腕の中からするりと抜け出す。
グラスには水滴がいくつも浮かび、炭酸もすっかりなくなっていた。きっと水自体温くなっているに違いない。
じとっと服部を見ると、
「俺のせい言うんちゃうやろな…」
「別に、何も言ってねぇだろうが」
「口で言わんでも、目が語っとるわい」
「へぇ、それは気がつかなかったな」
あっさりと返せば、「口の減らんやっちゃで」とため息をつかれる。
「まあ、ええ。せやけど、どうしても今飲みたいんやったら散歩がてらに買ってきてもええんちゃうか? 確か駅前の店まだ開いとったやろ」
「散歩か」
「気分転換には、体動かすのも大切なんやで」
にっと笑みを見せる服部に俺は素直に頷いた。ちょうど今日は星が綺麗に見えると夕方の天気予報で言っていたので、空を眺めるのもいいかもしれない。
都会のこの地で、どれだけ見えるか分からねーけど予報士の言葉を信じてみるか。
「それじゃ、着替えてこいよ」
頷くと、服部はさっさと身支度を済ませてくる。
玄関を出て二人でゆっくりと夜道を歩き出せば、風が微かに涼しさを含んでいる事に気がついた。今年は猛暑と言われているが、確実に季節が変わっていっているのを肌で感じて、俺は微かに口元を綻ばせていく。
「なぁ、服部」
「ん? どないしたん?」
「さっきの答えで、お前『もう、ない』って答えたよな」
「ああ、せやったな」
「なんでだ? お前なら、『まだ』って考えるって思ってたんだけど」
残った疑問。こいつなら前者を選ぶと踏んでいただけに、あの答えには正直驚いていた。
ああ…と、一瞬視線を遠くに泳がせた服部が、次の瞬間俺の目をまっすぐに捉えてくる。
「確かに、まだあるけど飲んでしもたら終わりやろ。せやから、もうないってわけや。けど、飲んでもまた買えばええ。残っている事に満足してんと、次があるって思っていかへんとな」
「次がある、か」
「まあ、工藤にはない考えかもしれへんけどなぁ」
意地悪い返しに、遠慮なく脹脛に蹴りを入れてやる。
痛さに蹲る服部を置き去りにしてさっさと歩き出すと、後ろから痛みを堪えた声で呼び止められる。ほんの少し歩調を弱めてあいつが走ってくるのを待っていれば、背中からぎゅっと抱きこまれた。俺よりも熱い腕の温度に包まれて、ほっと安堵の息を漏らす。
捕まえてくれる腕があるというのは、こんなにも嬉しい事なんだとさっきとは違う切なさが胸の中に広がって、俺は抱きしめられている腕に手を添え微かに力を込めた。
指先から、触れあっている場所から伝導してくる体温。
「足癖の悪いやっちゃな。あれはメッチャ痛かったで」
「お前相手に遠慮なんかするかよ」
言葉とは裏腹な、甘い色を滲ませた声。
こんな所を誰かに見られたら、きっと変に思われるに違いない。酔っ払っている様にも見えない男同士が、じゃれあって笑いあってるなんて傍から見たら寒いだけだろう。
だけど離せない。
今は離したくない。
「まあ、されたらされたで後が怖いわ、工藤の場合」
「だろ。だったら甘んじて受けろよな」
優しいこの時間が、優しい思い出になるように。
「なんでそうなんねん…」
抱きしめられている腕に身を委ね、俺は服部の呟きに小さく笑ってやった。