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例えば、こんなメロディをポケットに響かせて。

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  例えば、こんなメロディをポケットに響かせて。

                     作 タンポポ


       1

 姫野あたるは、深夜までの勤務を終え、赤坂のレストランで晩い夕食を食べ終わった。携帯電話の画面を何度も確認し、また歯を食いしばる。それから、急ぐようにして、アプリのゴー・タクシーでタクシーを呼びつけ、数分で到着したおそらくは高級車であろうタクシーに乗り込んだ。
 磯野波平は、ちょうど会社業務からの帰路につこうとしていた頃であった。夕食を何にするか考えていたのを忘れ、見つけたタクシーを拾い、行先を自宅から、急遽(きゅうきょ)、〈リリィ・アース〉へと変更した。
 稲見瓶(いなみびん)はロング・コートの襟をきゅ、と引き締めた。夜風がとても肌寒かった。大企業〈ファースト・コンタクト〉本社ビルの前で、もう二十分は待つだろうか。
 風秋夕(ふあきゆう)は息を切らしながら、稲見瓶の前に現れた。ロング・コートは右手に抱えられていた。二人は何度か会話を交わすと、タクシーを拾いに近場まで脚を速めて歩いた。
 駅前木葉は、〈ファースト・コンタクト〉本社ビルから出て、すぐ近くに待たせてあったタクシーに乗り込んだ。外観を何となく見つめながら、今夜が寒いものだった事を思い出す。車内は温かな空気で満ちていた。
 行先を港区の高級住宅街だと説明し、住所も言った。そこは秘密裏に存在する巨大地下建造物〈リリィ・アース〉である。
 胸の鼓動が、速かった。ふと気が付いた手元。会社の販売機で買ったカフェ・ラテは、もうとっくに冷めていた。
 一時間もしないうちに、住宅街の一角にある、打ちっぱなしコンクリートの二階建ての一軒家へと到着した。代金を支払い、丁寧にお礼を言って、駅前木葉はタクシーを降りる。
 門をくぐると、小さな庭があり、モミの樹が一本だけ立っていた。庭の小径を歩き、駅前木葉は寒さを感じながら、玄関へと向かった。息はまだ白くは染まらなかった。
 瞳を虹彩(こうさい)認識システムに近づけて、ピピ、という認識完了の電子音が鳴る。ドアを開くと、玄関のないエレベーター室が広がる。靴を履いたままで、駅前木葉はそのエレベーターに乗り込んだ。
 心拍数が上がって行く……。やがて、巨大な地下二階のフロア空間が見え始めると、間も無くして、地下二階のエントランス・メイン・フロアで、駅前木葉はエレベーターを降りた。
 気がつくと、もつれそうな脚をばたつかせながら、広いフロアを走っていた。五台のエレベーターが星形に並ぶ中央のフロアまで走ると、通称〈いつもの場所〉と呼ばれている東側のラウンジのソファ・スペースが眼に入った。
 四人共、揃っている。
「皆さん!」
 駅前木葉は、躊躇(ちゅうちょ)なく叫んだ。
 風秋夕はその声に振り返る。稲見瓶と磯野波平、姫野あたるの三人も振り返っていた。
「駅前さん……、大変な事になったな」夕は、苦笑して、優しくそう言った。
「はぁ、はぁ……、もう、決定なのでしょうか」駅前は長い髪を肩へと押しのけて夕に言った。「あれは、公式な発表だったのですか?」
「間違いない」夕は低いテンションで頷(うなず)いた。「ブログは公式なものだったし、本人の意思も、硬いものだった」
「これは、なんとも、言い表し難い感情だね」稲見はそう言って、黙り込んだ。
 ソファを立ち上がっていた四人は、駅前木葉を迎えて、五人で向き合うように、ソファに腰を下ろした。
「活動期間、十年か……」夕は溜息(ためいき)をついて、微笑んだ。「すっげえな、いくちゃん」
「おおよ。十年続けるって、なかなかできねえよ?」磯野は眉(まゆ)を上げて、柔らかな表情で言った。「それも、日本一忙しいアイドルで、十年だかんな?」
「すごいよね……」稲見は囁(ささや)いた。
「いくちゃんに、話したい事が沢山あるでござる」あたるは涙を浮かべながら言った。「ありがとうじゃ、足りなすぎるだけの、感謝が、あるでござるよ……」
「そうですね。ありがとうじゃ、伝えきれない」駅前は呟(つぶや)いた。「こんな時、いつもどうしていたのだろうと、思ってしまうんです。私はこんな時に、一体どうやって……、涙をしのいできたのでしょう……」
「いや、泣いたらいいよ」夕はにこやかにそう言って、頬(ほお)に一粒の涙を落とした。「止める事なんてできない、いくちゃんも、悲しさも。だから、泣いたっていいんだよ。駅前さん」
 駅前木葉は、両手で顔を隠して、泣き始めた。
「ベスト・アルバムも、タイトルがタイム・フライズ、だったね」稲見は駅前を一瞥してから言った。「長い間、という意味だ。タイム・フライズと聞くと、アレを思い出す。タイム・フライズ・ライク・アン・アロウ。光陰矢(こういんや)の如(ごと)し、だよ。意味は時は光の矢の如く過ぎるのが早い、という意味だ」
「まるで乃木坂だな」夕は微笑んだ。「ベスト・アルバムにぴったりのタイトルだ」
「表題曲が全部入ってんだよな?」磯野は、何か尊いものを見つめるような視線を、虚空に向けて言う。「歴史が詰まってんだよな……。新しいのも、たぶん入ってるな。新しいもんに期待するのって、何でなんだろうな?」
「今までが素晴らしいものだったからだよ」夕はそう言った。「知ってるんだ、俺達は。次にくるものも素晴らしいって事を」
「歴史、あってこその知識だね」稲見は抑揚(よくよう)もなく言った。「いくちゃんが、乃木坂からいなくなる。その事実が、このアルバムに詰められてると思うよ。いくちゃんの声は、大きく聴こえてる曲が多いからね。それも最後になる」
「寂しくなるな……」夕は虚空を一瞥して、呟いた。
二千二十一年十月二十五日、乃木坂46の一期生、生田絵梨花が、乃木坂46オフィシャルブログにて、今年十二月三十一日をもって、乃木坂46から卒業する事を衝撃発表したのであった。
「乃木坂の歴史そのものだよ、いくちゃんの歴史は」稲見はグラスを見つめながらぼそぼそと言った。「確かな子供から、確かな大人に成長した。俺達ファンを連れて、彼女は乃木坂と共に大きくなった」
「きっかけの、オリジナルメンバーが、いなくなるでござる」あたるはぐっと、涙を堪えて発声した。「受け継がれていくんでござろうなあ、その意志と共に……」
「無表情姉妹もいなくなっちまうなあ」磯野は寂しそうに言った。
「ひたってるとこ悪いな波平、ほっとけねえから訂正だけするわ」夕は眼を瞑(つぶ)る。「からあげ姉妹、な……」
「いくちゃんがいなくなるのは、もう、小生(しょうせい)、耐えられぬでござる……」あたるは眼を瞑り、いっぱいの涙を頬にこぼした。「どうして卒業があるのでござろうか……。もっと、乃木坂でいられるでござろう、ダメでござるのか、それでは……」
「乃木坂のまんまだったら、やりたい事に集中できないだろ?」夕はあたるを見つめて言った。「乃木坂に集中しててくれたんだ、これからは生田絵梨花を推していける。それも喜びじゃないか、ダーリン」
「喜びでござる!」
「いくちゃんは、今日は来ない、のかしら……」駅前は涙をぬぐいながら呼吸を見つめて呟いた。「会いたいわ……、いくちゃんに」