例えば、こんなメロディをポケットに響かせて。
「イヴはリリィでクリスマス会したでしょ、でえ、クリスマスは真夏とクリスマス会したでしょう?」絵梨花は考える。「もう、レコ大も終わって、いよいよ明日だよ!」
二千二十一年十二月三十日。〈リリィ・アース〉の地下二階、エントランスのメインフロアの、東側のラウンジ、通称〈いつもの場所〉で、題63回輝くレコード大賞の終わった後にここに立ち寄った乃木坂46の数名が、談笑を交えて夜更かしをしていた。
いつものように、はるやまのスーツ姿で、風秋夕と稲見瓶はここにいた。
「とうとう、来るんだね、卒業の、その時が」稲見はしぶしぶと呟いた。
「来ちゃうよ~! やだよ~」絵梨花は苦笑する。
「いくちゃん、一つ約束しようか」夕はそう言って、絵梨花に優しく微笑んだ。「紅白が終わったら、うーん、予定もあるだろうから、ここには来れなくていい。でも、番号教えとくから、電話して。今後のリリィへのやり取りはその電話でやりたいから」
「まいやんもまちゅも、みんなそうしてるんだ」稲見は言葉を付け足した。「何かに招待したいし、ここも五期生の登場でがらっと変わるだろうからね。電話は意外と必須になる」
「ああわかった」絵梨花は携帯電話を取り出した。
それから、一時間もしないで、生田絵梨花は帰宅して行った。最後の夜を自宅で実感したいとの事であった。
「明日は、俺達ファン同盟の五人で、紅白を見送ろう」夕は煙草の煙を短く吐いた。「フー寂しいな……イナッチ」
「夕は帰省しないの?」稲見は煙草に火をつける。
「ここってさ、すげえ素敵じゃん?」夕は笑った。「実家なんか、もう興味ねえよ。乃木坂いねえもん」
「お母さんに優しいくせに」稲見は微笑む。「一日には帰るんだろ?」
「そうだなー。母親の顔は見たい」夕は煙草を吸いながら考える。「CDTV観てからだな、フウ~~」
スペシャルサンクス・乃木坂46合同会社
二千二十一年最終日大晦日の夜。第72回紅白歌合戦が始まった。
〈映写室〉で見守るのは、乃木坂46ファン同盟の、風秋夕、稲見瓶、磯野波平、姫野あたる、駅前木葉である。
巨大スクリーンに乃木坂46の生田絵梨花と秋元真夏と齋藤飛鳥と北野日奈子と山下美月と遠藤さくらの姿が映し出された。画面右上には生放送を意味するLIVEの文字がある。
司会の大泉洋が紹介を始める。
『さあ続いては、今年結成十周年を迎えた乃木坂46でーす』
『よろしくお願いしまーす』
『結成から活動してきた生田絵梨花さんは、今夜の紅白が、乃木坂46として、ラストステージになりますが、今どんなお気持ちですか?』
『そうですね。十年、乃木坂として、あの生活させて頂いていたので、この、ステージが終わって年が明けたら、乃木坂じゃなくなるって事は、想像だけでも凄く寂しいんですけれども、でも今日は、乃木坂に関わって下さった全ての皆様に感謝を込めて、メンバーの一員として、出来る事を、全うしたいです』
『頑張って下さい。それでは歌の準備をお願いします』
『よろしくお願いします』
『この十年間の締めくくりが、紅白というのはやっぱりこう、思い入れもひとしおでしょうね』
『はい、そして今夜歌って頂ける『きっかけ』は、メンバーの卒業や、グループの大切な節目で歌われてきて、ファン人気が特に高い曲ですね』
『では、乃木坂の十年の歩みを振り返る、映像と共にお聴きください。乃木坂46で、きっかけ……』
スペシャルサンクス・秋元康先生
生田絵梨花がピアノを弾き、一期生、そしてメンバー達が歩み寄ってくる。
いつのまにか、ステージの階段にもメンバーがいっぱいに広がっていて……。
生田絵梨花は、笑顔で歌う。
この体制で歌う『きっかけ』はこれで見納めだろう、と、この瞬間と計り知れぬ感動、感謝を、風秋夕は強く胸に刻んだ。
涙を瞳いっぱいに溜めて、『ありがとうございまいた』と囁いた生田絵梨花。
最後にファンのみんなに一言お願いします。という司会からの言葉に。
『はい。十年間、応援して下さってありがとうございました。これからも、乃木坂46をよろしくお願いします』
いっぱいの涙でそう微笑んだ生田絵梨花は、そしてファン達にとって、とても幸せな十年間だったのだろう。
スペシャルサンクス・今野義雄氏
風秋夕は天井を見上げる。すう――と涙が頬に落ちていった。
「さあ、新しい出発だな」夕は笑う。
「泣きてえなら、泣けよ」磯野はじめじめしている。
「もう泣いたさ」夕はうっすらと微笑んだ。
「きっかけだったんだね、いくちゃんの最後の曲は」稲見はしみじみと呟いた。
「はああ~、涙が止まらないでござるう~」あたるは泣いていた。
「いくちゃんさん、ご卒業、おめでとうございます……」胸の前で手を組んで、駅前はそう唱えた。
スペシャルサンクス・
東京ドーム乃木坂46真夏の全国ツアー2021ファイナル!
乃木坂46生田絵梨花卒業コンサート
乃木坂46生田絵梨花卒業ライブ二日目
乃木坂46新内眞衣のオールナイトニッポン
猫舌ショールーム
乃木坂配信中
テレビ東京
NHK
日テレ
TBS
スクール・オブ・ロック!
乃木坂ロックス!(賀喜遥香)
「ああ~、泣いた~! ふっかーつ!」磯野は両腕の筋肉を浮き上がらせる。「年明けCDTVまで時間あんだろ? なんかゲームでもすっか?」
「いや、紅白を観ようよ」稲見は磯野を一瞥して言った。
「知らないでござるか二人とも?」あたるは驚いた顔で二人に言う。「これからバナナムーンゴールドにまなったんと飛鳥ちゃん殿が出るでござるよ~!」
「おマジかよ!」と磯野。
「それはそれは」と稲見。
「何時からか、今調べますね。ちょっと待ってて下さい」駅前は楽しそうに調べ始める。
風秋夕の、ポケットから、携帯電話が着信音を奏で始めた……。
脚本・執筆・原作・タンポポ
「誰から電話だよ、んな真夜中に~!」磯野は夕の背中に顔をしかめる。「ああ~女かこの野郎!」
「誰でござる?」あたるは夕を振り返った。
「親御さんじゃないかな」稲見は煙草を用意する。
駅前木葉は、その着信音に注目する。
その曲は、乃木坂46の歌う『君の名は希望』であった――。
「もしもし、うん。お疲れ様、いくちゃん」
風秋夕は、電話の向こう側に微笑みを浮かべる。
「いくちゃんだとう!」磯野は身体を力ませる。
「ああ、そうか」稲見は夕を振り返った。「お疲れさまだね、いくちゃん」
「いくぢゃーーん殿~~!」あたるは最熱する。
「君の名は、希望……ですか」駅前は、微笑んで、調べものを再開させる。
「いくちゃん、改めて、卒業おめでとう。きっかけ良かった、最高だったよ」
風秋夕は微笑んで、どうしようもなく、彼女の事を称賛した。
人により、明日とは様々なものだろう。しかし、等しく、明日とは未来であり、次の自分自身なのである。どうやって幸せを掴み取るかが重要であり、それが難しいのだが……。
ならば。
例えば、こんなメロディをポケットの中に響かせて、これから明日に希望を見るのはどうだろう。
電話の向こう側の生田絵梨花は、大きな声で、笑っていた。
二千二十二年一月三日 完
作品名:例えば、こんなメロディをポケットに響かせて。 作家名:タンポポ