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自分らしく
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彼方から 第四部 第一話 ― 祭の日・1 ―

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 彼方から 第四部 第一話   ―― 祭の日・1 ――


     おれは逃げようとしていた
     ずっと……

     おまえは【天上鬼】という『化け物』に変わるのだという
     言葉から

     人と違ったこの身から
     この運命から
     逃れられるものなら逃れたいと――

     ……思っていた


          *************

「ん〜〜〜〜〜〜〜」

 ――……どうしよう……

 ノリコは一人……
 眉根を寄せ、空を見上げ、行ったり来たりを繰り返し、迷い、決めあぐねていた。

 早く起きたことで出会えたこの『奇跡』を、自分だけで味わうのはもったいない……
 けれど、だからと言って――――
 でも、でも……やっぱり――

 そんなことを思いながら、本当に幾度も行ったり来たりを繰り返し、漸く……

「イザーク!」
 
 思い切ったように少し急いで駆け寄りながら、想い合う『男性(ひと)』の名を――
 イザークの名を、呼んでいた。

          ***

 朝――――
 まだ冷たさの残る、けれども心地良い爽やかさを感じさせてくれる空気が、辺りを満たしている。
 煌めく陽光。
 澄み切った蒼い空…………
 緑豊かな木々が生い茂る山の中。
 皆と離れ、運命を変える為の当て所ない旅を続けている二人――
 イザークとノリコは、雨が凌げそうなくらいに抉れた山肌を、一夜の宿としていた。

 ノリコの呼び声に薄く……瞼を開く。
 背中から聞こえる軽い足音に、半身を起こす。
「あ……あのね」
 すぐ傍で聞こえる、聞き慣れた声音。
 肩越しに見やれば、
「虹がね、出てるの」
 少し遠慮がちに……
「見て見て、すっごく、すっごくきれいなの」
 少し焦りを含んで……
 地面に手と膝を着き、空を指差しながら、そう言って来る彼女と眼が合う。
 『おはよう』という言葉の代わりに見せてくれるのは、屈託のない笑み。
「こっちにね」
 彼女は立ち上がり、
「見事な半円、描いているの」
 長く伸びた明るい茶色の髪を揺らし、嬉しそうに――楽し気に、跳ねるように……煌めく陽の光を背に浴びながら、誘ってくれる。
 誘われるまま、身を起こす。
 彼女の意向のままに……イザークはその背を追い、足を踏み出していた。

          ***

「 あ 」

 何に気付いたのか……
 小さな声が漏れ聞こえる。
「あれ?」
 驚き、
「……消えてく」
 困ったように、
「ち……ちょっと待って」
 両腕を広げ、空を見上げ……
「やだ、なんで?」
 霞み、消えかけている『虹』に、
「さっきまであんなに、はっきりしてたのに――」
 焦ったように声を掛けている……
 連なる緑の美しい山々を背景に、掠れ、消えゆく虹。
 薄まりゆく虹の七色を瞳に映しながら、イザークはふと、足下に眼を向けた。
 幾つも重なり合い、印されている、小さな足跡。
「ご……ご免、イザーク――昨夜、火の番で寝るの遅かったのに……こんなにすぐ、消えちゃうなんて――せっかく、起きてもらったのに……」
 彼女の、申し訳なさそうな謝りの言葉を耳に留めながら……
「…………」
 イザークはその足跡をじっと、見詰めていた。
「ずいぶん、行ったり来たりしたんだな」
「え?」
 見ていなくとも分かる。
 逡巡し、迷いながら……躊躇いながら、幾度も往復してくれていたことが。

 ――きっと
 ――おれの為に……

「いや……」
 何気ない、彼女の問い返しに、思わず笑みが浮かぶ。
「虹は以前に、何度か見たことがある」
「え? あったの? 何度か?」
「ああ」
 言葉を交わしながら思う。
 『いつのことだったか……』と。
 まだ、微かに残る虹に、背を向ける。
「そ……そっか」
 共に戻って来る彼女の声音に、少し、落胆の響きが籠っている。
「あたしなんか、めったに見たことなかったもんだから、すっかり興奮しちゃって……つい、イザークもっ――とか、思ったの……そっか……」
 分かっている。
 『一緒に』と、そう思ってくれたのだろう。
「何度も見たのか、そっか……」
 けれども、『眠り』を妨げてしまうことに気が引けて……
 幾度も幾度も、行ったり来たりを繰り返して――
 慮ってくれる彼女の心根が、『一緒に』と思ってくれるその気持ちが伝わり、己の中に満ちていくのが分かる。
 『心が満たされる』ことに、何処か面映ゆい想いがするのは、どうしてだろうか……
 いつも、『何か』を与えてくれる彼女がとても愛おしく、大切に思えるのに、どうして――
 
 どうして、『揶揄って』みたく、なるのだろうか。

「だが……」
 夜具に手を掛け、
「消えかけの虹でも、今日の方が美しく見えた」
 片づけ始める。
 いつもと同じように、手慣れた仕草で毛布に付いた草を払い落としながら……

「ノリコといるせいかな…………」

 イザークはさり気ない『一言』を、口にしていた――

          ***

 彼の、さり気ない『一言』に、思考が止まる。
 片づけを進めるイザークの背を、惚けた瞳で暫し見詰め、漸く……

「 え? 」

 と、声が出た。
 きっと赤くなっていると自覚できるくらい、顔が火照る。
 嬉しくて、恥ずかしくて……
「あた あた ……あたしと――え、あた、あたし――――」
 同じ言葉しか、言えなくて……
 どう反応して良いのか分からず、イザークの背中を見詰めるばかりで、本当に――
 本当に、困ってしまう……

     『何をそんなに焦っているんだか』

 振り向く彼の瞳が、そう言っているように思えて、余計に焦る。
 もう『付き合って』いるのだから、このくらいのセリフ、口にして『当たり前』だとでも言うように……
 いつものクールな眼差しと表情で、肩越しに――――
 …………微笑んでいた。
 はたと気づく。
 
「あーーーーーっ!」

 ――揶揄われたっ!!

 思わず、大声が出る。
「あたしの反応見て面白がってる!!」
 思いっ切り反応してしまったことが悔しくて、つい、指を向けて照れ隠しにちょっと、怒ってしまう。
 けれど、次の瞬間、そんな『怒り』など、どこかに吹き飛んでしまっていた。

「 は! 」
「――――っ!!」

 初めて耳にした彼の……
「イザークが声出して笑った!!」
 短いけれども確かな、『笑い声』に――

          ***

   ―― イザークが声出して笑った!! ――

 ノリコの言葉に、気付かされる。
 辿る思い出の中に、『声を出して笑った』覚えが『ない』ことに……
 それを、気にしたことすらなかったことに――
 だが今は…………

「……変か?」

 つい、訊ねてしまう。
 確かめたくなってしまう。
 彼女の、ノリコの眼に……自分がどのように『映って』いるのかを。
 自身の変化に気付かされ、自覚する度に……
 彼女の想いを、知りたくなってしまう――

「ううん、びっくりしただけ」

 素直な言葉に……
「いつも、口の端で笑う顔しか、見たことなかったから……」
 隠すことも取り繕うこともない、