彼方から 第四部 第一話 ― 祭の日・1 ―
留まることで、彼ら自身も癒されているのだということが分かる。
ふと、苦笑が浮かぶ。
『君たち人間の』と……言われたことに。
己の存在がどんな『モノ』であるのか、己が一番、よく理解しているだけに――――
***
興味深げに……
そのチモは 君のかい?
珍しい色だね
チモを見たのも 久しぶりだよ
そう言いながら、イルクが覗き込むようにして黒チモを見やる。
イルクの姿が見えるのか、それとも気配が感じ取れるのか――
黒チモは、少し驚いたように短い鳴き声を上げ、逃げるように反対の肩へと移動してゆく。
その様に笑みを零し、
「……ええ、そうよ……」
首元で、身を隠すようにしながらイルクを見上げるチモの頭を、優しく撫でる。
「さぁ……行きなさい……」
エイジュは黒チモを手の平に乗せると、樹へと……
そう言って朝湯気の樹へと、誘っていた。
随分と 疲れているようだね
返事を返すように一声鳴き、自らの意思で樹へと、瞬間移動をする黒チモ。
軽やかに白い幹や枝の間を移動し、登るチモを見やりながら、イルクがそう訊ねてくる。
「ええ……能力を――使い過ぎて、しまったわ……」
エイジュは気怠そうに言葉を返しながら、今度は馬の首に触れ、優しく撫で擦る。
「あなたも……好きな所へ、行きなさい――」
彼女の言葉が分かったのか……
名残惜し気に彼女の手に鼻面を寄せ、匂いを嗅ぐと、馬は嘶きながらそのまま森の中へと走り去っていく。
次第に小さくなってゆく、葉擦れの音に耳を傾けながら、
あれから 何があったんだい?
疲れ切ったように樹に凭れ掛かるエイジュに、イルクは再び、問い掛けていた。
大きく息を吐き……
「色々と……あったわ……」
力無く、ずり落ちるように地に腰を下ろし、頭上に浮かぶイルクを見上げるエイジュ。
そう……
イルクは相槌を打ちながら、眼を細めて彼女を見やり、
良かったら 話してもらえないかい?
ぼく達が寝ている間
君と彼ら……
イザーク達の身に 何があったのかを
少し厳しい表情を浮かべ、説明を求めていた。
「…………」
瞼を閉じ、エイジュはそっと、胸元に指先を添える。
と、同時に……
――っ!?
何かの『気配』を感じ、イルクは思わず、辺りを見回していた。
これは……
何かを思案しているようにしか見えない彼女の周りに、幾本もの細い光の帯が、集まっていくのが見える。
光の帯は胸元に添えられた彼女の指先へ……
いや、その『胸元』へと、集まっているようにイルクには思えた。
( 彼女は一体…… )
( 何者なんだ? )
『精霊』とは言え、何もかも全てが分かると言う訳ではない。
『人』よりも、確かに長い刻を過ごしてはいるが、それだけで、『世』のことを全て知り得ることが出来るのなら何も困りはしない。
精霊と言えど、自身の眼で見て確かめるなり、『誰か』に教えてもらうなりしなければ、知りたいことを知るのは、難しいのだ。
「……良いわ――」
指先を胸元から離し、ゆっくりと瞼を開くエイジュ。
「イルク、あなたになら……全てを話しても――」
小首を傾げ、笑みを浮かべ……
「その代わりと言っては……何なのだけれど……」
エイジュは朝湯気の樹の幹に体を預けたまま、言葉を続ける。
その代わり……?
問い返すイルクに、
「このままあなた達と一緒に……」
少し寒そうに、肩に掛けたままの、アゴルの上着を引き寄せ、
「ここで、休ませてもらっても……構わないかしら――?」
エイジュは許可を、求めていた。
もちろんだよ
屈託のない笑みを浮かべ、大きく頷くイルク。
こんな状態の君を
放っておくわけには いかないからね
すぅっと、その身をエイジュの傍まで寄せると、
存分に癒されると良いよ
こんな森の奥地まで 誰も 来やしない
何せここはまだ 『魔の森』と呼ばれているからね
まるで悪戯っ子のように、ウィンクをして見せていた。
思わず、笑みが零れる。
「……有難う――感謝するわ」
エイジュは安堵したかのように大きく息を吐くと、
「じゃあ……どこから話しましょうか……」
宙に浮かぶ、イルクの透き通った姿を見やりながら、これまでの記憶を辿るように瞼を閉じていた。
***
夜空に、真円を描いた月が浮かんでいる。
朝湯気の樹の樹上……
そこに腰掛けるかのように浮かんだ、イルクの姿がある。
あれから 十数日……
疲れ切ったエイジュが、突として姿を現した日。
あの日、話を終えてからずっと……
エイジュは眠りに就いたままだった。
安らかな寝顔は、まるで死んでいるかのようにも見える。
緩やかに波打つ胸の動きが無ければ……
彼女の首元で小さく、丸くなって眠る黒いチモの姿が無ければ……
その蒼褪めた面は到底、『生きている』ようには見えなかった。
一人……
彼女の口から訥々と語られた『真実』を、思い返す。
『彼らの助けに、なってあげてもらえるかしら……』
小首を傾げ、済まなそうな笑みを浮かべ……
眠りに就く直前、そう頼んできたエイジュの言葉が、いつまでも胸に残っている。
現今……
この世界に起こっている出来事。
これから起きようとしている物事。
その全てを、エイジュは教えてくれた。
彼女がこの世界に存在する目的と、その……正体も――
円く、青く、光を放つ月。
何事もないかのように煌めく、星々。
それらを覆い隠すかのように薄く広がる、邪気の気配……
ぼく達も
力を蓄えておかなくちゃ……
朝湯気の樹の根元で、静かに眠るエイジュを暫し見詰め……
イルクはその姿を、樹に溶け込ませていた。
彼方から 第四部 第一話 ―― 祭りの日・1 終 ――
作品名:彼方から 第四部 第一話 ― 祭の日・1 ― 作家名:自分らしく