幸せを願う夜だから
鬼が出るとの噂を聞いて、自主的に行った管轄外の警邏帰り。ふらりと入った食堂で、蕎麦を頼んだらオマケにコロッケがついてきた。
クリスマスだからという親父の言葉に、思わず苦笑してしまう。洋食とはいえ、コロッケはクリスマスとなんの関係もないんじゃねぇのかァなどと、いらぬことを言うのは無粋がすぎる。ありがとうよとちょうだいすれば、親父はクリスマスおめでとさんと笑った。
ガラス窓の向こうには、つい先ごろ開業した東京駅が見える。どれだけの電灯が使われているんだか、日は沈んだというのに駅の辺りは馬鹿に明るい。
堂々たるレンガ造りの駅舎を出入りするのは、汽車を利用する者だけではないようだ。駅舎自体を見物しにきたらしい者も、この時間になっても多く集まっている。クリスマスであるのも人足に拍車をかけているのかもしれない。
戦争景気とは言うものの物価は高騰し、青息吐息で暮らしている者も少なくないというのに、太平楽な奴らばかりだ。実弥はコロッケにかじりつきながらわずかに思う。
信じてもいない神様とやらを祝ったり、どんなに立派だろうとたかが駅なぞを見物に寒いなかやってくるのだから、呑気なものだ。鬼狩りに日々命懸けで駆けずり回っている自分らと、窓の外に見える光景は、てんで別の世界に思えてくる。
昔ならこんな日は、玄弥たちに贈り物のひとつもしてやれない自分の不甲斐なさに、八つ当たりまじり舌打ちぐらいしていただろう。けれども不思議と今日は苛立ちはしなかった。
昔ながらのどこにでもありそうな食堂だが、駅舎近い立地もあってか繁盛しているんだろう。店内はそれなりに混んでいる。勤め人や、旅行にでも出かけるらしい人々のなかで、傷だらけの実弥はずいぶんと異質だ。
露骨に不快そうな視線を向ける客もいるなかで、なんのてらいもなく笑いかけてくる親父は、かなり人がいいとみえる。頼んだ蕎麦やおまけのコロッケもなかなかうまい。この辺りにくるときには、贔屓にしようか。
鬼の噂は与太話に過ぎなかったが、わざわざやってきた甲斐はあった。
「うまかったぜ、ありがとなァ」
店主にかけた声は、ガラにもなく少しばかり弾んでいたかもしれない。
クリスマスなぞに浮かれる気は毛頭ないが、殺伐とした日々にもこんな些細な平穏があったって、罰は当たらないだろう。
めずらしく穏やかな心持ちで店を出た実弥の顔は、だが、すぐにしかめられた。
人波に紛れて見えたのは、くそ生意気な鬼連れ隊士の姿だ。なんでまたこんなところにと、実弥の眉間にギュッとしわが寄った。
どうやら駅舎から出てきたらしい。お上りさんよろしく、キョロキョロと周りを見まわしているのは、たしかに竈門炭治郎である。
柱稽古はどうしたサボってんじゃねェと、怒鳴りつけそうになったのを、実弥はどうにかこらえた。ムカつく顔を見て気分は一気に下降している。関わりあってこれ以上不快な思いをする必要はない。
見つかる前に退散するにかぎると踵を返しかけて、ふと違和感に気がついた。もう一度炭治郎を見やる。しっくりこない理由は、すぐに知れた。高慢ちきな同僚の姿がない。
柱は多忙だ。いなくて当然だが、実弥が顔をあわせたときだけでなく、話に聞く炭治郎と冨岡はお神酒徳利よろしく始終一緒にいるようだ。頭のなかではすっかりふたりで一揃いである。
なのにどうして炭治郎は、ひとりで東京駅なぞにいるのだろう。
任務にしては、垣間見える炭治郎の姿は周囲の人々と変わらずいかにも呑気で、威容を誇る駅舎に感心しているように見えた。
いずれにしても、傍らにあって当然と思っている顔が見えないと、なんだか落ち着かない。
ついジロジロと見ていたら、炭治郎と目があった。しまったと顔をしかめたのと同時に、大きく朗らかな声がひびきわたった。
「不死川さん!」
声の大きさのせいで、周囲の視線が炭治郎や実弥に集まる。不躾な視線に、実弥の機嫌はさらに下降の一途をたどった。
能天気な笑顔を浮かべて駆け寄ってくる炭治郎を、八つ当たりまじりに睨みつける。
「接近禁止だろうがァ」
「はい! これ以上は近づきません!」
一間(約二メートル)ほどあけて立ち止まり、大声で言う炭治郎に、そういうこっちゃねぇと思わず舌打ちした。
素直に立ち去ればいいものを、炭治郎はすっかり実弥と会話する態勢である。ついでにそこまで大きな声を出さずとも聞こえるのに、なぜこのガキはこんな人混みで大音量で話すのか。
冨岡といい、こいつといい、本当に人を苛つかせる兄弟弟子だ。実弥は苦々しく鼻にしわを寄せた。
近づかないと言うならなによりではないか。自分もさっさと立ち去ればいい。柱である自分の足に炭治郎が追いつけるとは思えない。だが、実弥はその場にとどまった。
「アレはどうしたァ」
冨岡のことなんかどうでもいい。考えるのも嫌だ。けれども、当たり前だと思っているものが違う状態でいるのは、据わりが悪くてどうにも気にかかった。
「アレ?」
「いつも一緒だろうがァ」
名前を出すのも癪で言葉を濁したが、炭治郎は即座に察したようだ。パッと眉が開き、声も先より明るさを増した。
「あ、義勇さんですね! 今日は伊黒さんと柱稽古です。いつもなら一緒に行って見取り稽古させてもらうんですけど、あいにく俺は、甘露寺さんにクリスマスのご馳走を作る手伝いを頼まれてたもんですから。それで朝から別行動だったんです。クリスマスってのは西洋の神様のお祝いなんですけど、不死川さん知ってました?」
クリスマスを知らないほうが驚きだ。銀座辺りじゃキラキラとクリスマスの飾りがあふれているし、浅草の芝居小屋もクリスマスの題目ばかり、ダンスホールも盛況だと聞く。実弥には縁のない行事ではあるが、今どきクリスマス自体を知らない奴など見たことがない。
どんだけ田舎者だよと、フンと鼻を鳴らして知ってるに決まってんだろうがァと、いくぶん厭味を込めて言ってやる。炭治郎にはまったく伝わらなかったようだけれども。
「不死川さんも知ってましたか。俺は山育ちなもんですから、そういうハイカラな行事には縁がなくて。甘露寺さんから頼まれたときも、義勇さんに説明してもらうまでクリスマスもサンタクロースも知りませんでした。あ、今はお遣いの帰りでして、横浜まで行ってきたんです。不二家のクリスマスケーキってやつ、知ってますか? 甘露寺さんが注文してたのを受けとってきたんですけど、やっぱり汽車は早いですねぇ! 横浜まで一時間とかかりませんでした。クリスマスケーキもすごいんですよ? 砂糖の衣が雪みたいにたっぷり塗られてて、白くてきれいな菓子なんです! えっと、あらびん? なんか違うな……あ、そうだっ、アラザンだ! えぇと、アラザンっていう銀色のピカピカしてるやつも振ってあって、あんなきれいな菓子もあるんですねぇ。食べられるんですかってお店に人に聞いて、笑われちゃいました。そうだ! 不死川さん、甘いの好きですよね。義勇さんたちも後からくるし、一緒に行きましょうよ!」
なんなんだ、こいつは。
息をつかせぬほどにしゃべりまくる炭治郎に、腹立ちはいや増すばかりだけれど、口をはさむ隙もない。誘い文句には憤慨すらした。
クリスマスだからという親父の言葉に、思わず苦笑してしまう。洋食とはいえ、コロッケはクリスマスとなんの関係もないんじゃねぇのかァなどと、いらぬことを言うのは無粋がすぎる。ありがとうよとちょうだいすれば、親父はクリスマスおめでとさんと笑った。
ガラス窓の向こうには、つい先ごろ開業した東京駅が見える。どれだけの電灯が使われているんだか、日は沈んだというのに駅の辺りは馬鹿に明るい。
堂々たるレンガ造りの駅舎を出入りするのは、汽車を利用する者だけではないようだ。駅舎自体を見物しにきたらしい者も、この時間になっても多く集まっている。クリスマスであるのも人足に拍車をかけているのかもしれない。
戦争景気とは言うものの物価は高騰し、青息吐息で暮らしている者も少なくないというのに、太平楽な奴らばかりだ。実弥はコロッケにかじりつきながらわずかに思う。
信じてもいない神様とやらを祝ったり、どんなに立派だろうとたかが駅なぞを見物に寒いなかやってくるのだから、呑気なものだ。鬼狩りに日々命懸けで駆けずり回っている自分らと、窓の外に見える光景は、てんで別の世界に思えてくる。
昔ならこんな日は、玄弥たちに贈り物のひとつもしてやれない自分の不甲斐なさに、八つ当たりまじり舌打ちぐらいしていただろう。けれども不思議と今日は苛立ちはしなかった。
昔ながらのどこにでもありそうな食堂だが、駅舎近い立地もあってか繁盛しているんだろう。店内はそれなりに混んでいる。勤め人や、旅行にでも出かけるらしい人々のなかで、傷だらけの実弥はずいぶんと異質だ。
露骨に不快そうな視線を向ける客もいるなかで、なんのてらいもなく笑いかけてくる親父は、かなり人がいいとみえる。頼んだ蕎麦やおまけのコロッケもなかなかうまい。この辺りにくるときには、贔屓にしようか。
鬼の噂は与太話に過ぎなかったが、わざわざやってきた甲斐はあった。
「うまかったぜ、ありがとなァ」
店主にかけた声は、ガラにもなく少しばかり弾んでいたかもしれない。
クリスマスなぞに浮かれる気は毛頭ないが、殺伐とした日々にもこんな些細な平穏があったって、罰は当たらないだろう。
めずらしく穏やかな心持ちで店を出た実弥の顔は、だが、すぐにしかめられた。
人波に紛れて見えたのは、くそ生意気な鬼連れ隊士の姿だ。なんでまたこんなところにと、実弥の眉間にギュッとしわが寄った。
どうやら駅舎から出てきたらしい。お上りさんよろしく、キョロキョロと周りを見まわしているのは、たしかに竈門炭治郎である。
柱稽古はどうしたサボってんじゃねェと、怒鳴りつけそうになったのを、実弥はどうにかこらえた。ムカつく顔を見て気分は一気に下降している。関わりあってこれ以上不快な思いをする必要はない。
見つかる前に退散するにかぎると踵を返しかけて、ふと違和感に気がついた。もう一度炭治郎を見やる。しっくりこない理由は、すぐに知れた。高慢ちきな同僚の姿がない。
柱は多忙だ。いなくて当然だが、実弥が顔をあわせたときだけでなく、話に聞く炭治郎と冨岡はお神酒徳利よろしく始終一緒にいるようだ。頭のなかではすっかりふたりで一揃いである。
なのにどうして炭治郎は、ひとりで東京駅なぞにいるのだろう。
任務にしては、垣間見える炭治郎の姿は周囲の人々と変わらずいかにも呑気で、威容を誇る駅舎に感心しているように見えた。
いずれにしても、傍らにあって当然と思っている顔が見えないと、なんだか落ち着かない。
ついジロジロと見ていたら、炭治郎と目があった。しまったと顔をしかめたのと同時に、大きく朗らかな声がひびきわたった。
「不死川さん!」
声の大きさのせいで、周囲の視線が炭治郎や実弥に集まる。不躾な視線に、実弥の機嫌はさらに下降の一途をたどった。
能天気な笑顔を浮かべて駆け寄ってくる炭治郎を、八つ当たりまじりに睨みつける。
「接近禁止だろうがァ」
「はい! これ以上は近づきません!」
一間(約二メートル)ほどあけて立ち止まり、大声で言う炭治郎に、そういうこっちゃねぇと思わず舌打ちした。
素直に立ち去ればいいものを、炭治郎はすっかり実弥と会話する態勢である。ついでにそこまで大きな声を出さずとも聞こえるのに、なぜこのガキはこんな人混みで大音量で話すのか。
冨岡といい、こいつといい、本当に人を苛つかせる兄弟弟子だ。実弥は苦々しく鼻にしわを寄せた。
近づかないと言うならなによりではないか。自分もさっさと立ち去ればいい。柱である自分の足に炭治郎が追いつけるとは思えない。だが、実弥はその場にとどまった。
「アレはどうしたァ」
冨岡のことなんかどうでもいい。考えるのも嫌だ。けれども、当たり前だと思っているものが違う状態でいるのは、据わりが悪くてどうにも気にかかった。
「アレ?」
「いつも一緒だろうがァ」
名前を出すのも癪で言葉を濁したが、炭治郎は即座に察したようだ。パッと眉が開き、声も先より明るさを増した。
「あ、義勇さんですね! 今日は伊黒さんと柱稽古です。いつもなら一緒に行って見取り稽古させてもらうんですけど、あいにく俺は、甘露寺さんにクリスマスのご馳走を作る手伝いを頼まれてたもんですから。それで朝から別行動だったんです。クリスマスってのは西洋の神様のお祝いなんですけど、不死川さん知ってました?」
クリスマスを知らないほうが驚きだ。銀座辺りじゃキラキラとクリスマスの飾りがあふれているし、浅草の芝居小屋もクリスマスの題目ばかり、ダンスホールも盛況だと聞く。実弥には縁のない行事ではあるが、今どきクリスマス自体を知らない奴など見たことがない。
どんだけ田舎者だよと、フンと鼻を鳴らして知ってるに決まってんだろうがァと、いくぶん厭味を込めて言ってやる。炭治郎にはまったく伝わらなかったようだけれども。
「不死川さんも知ってましたか。俺は山育ちなもんですから、そういうハイカラな行事には縁がなくて。甘露寺さんから頼まれたときも、義勇さんに説明してもらうまでクリスマスもサンタクロースも知りませんでした。あ、今はお遣いの帰りでして、横浜まで行ってきたんです。不二家のクリスマスケーキってやつ、知ってますか? 甘露寺さんが注文してたのを受けとってきたんですけど、やっぱり汽車は早いですねぇ! 横浜まで一時間とかかりませんでした。クリスマスケーキもすごいんですよ? 砂糖の衣が雪みたいにたっぷり塗られてて、白くてきれいな菓子なんです! えっと、あらびん? なんか違うな……あ、そうだっ、アラザンだ! えぇと、アラザンっていう銀色のピカピカしてるやつも振ってあって、あんなきれいな菓子もあるんですねぇ。食べられるんですかってお店に人に聞いて、笑われちゃいました。そうだ! 不死川さん、甘いの好きですよね。義勇さんたちも後からくるし、一緒に行きましょうよ!」
なんなんだ、こいつは。
息をつかせぬほどにしゃべりまくる炭治郎に、腹立ちはいや増すばかりだけれど、口をはさむ隙もない。誘い文句には憤慨すらした。