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再見 五 その三の二

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 琅琊閣に戻ったが、長蘇の内力は、中々戻らなった。
 藺晨の鍼や投薬をもってして、体力は戻りはしても、内力はそれ程回復しなかった。
 長蘇は、怒りに任せて内力を出し、そして崩した。藺晨の治療の甲斐で、健全を取り戻したが、内力は、半分程を失ったままだった。

 だが、長蘇の内力の回復の鍵は、飛流に有った。
 それはほんの偶然の事、長蘇が見つけ出した。
 それからは飛流の協力を得て、内力の回復につとめた。
 長蘇と飛流は二人向き合い、両手を合わせる。
 飛流の内力を借りて、長蘇は己の内力を整えた。
 じっとしている事が苦手な飛流だったが、長蘇の為に、じっと我慢をして、協力をする。だが、さすがに長い時間は無理で、そこは長蘇も分かっている。飛流が嫌にならぬ程度に、その分長い日数を要した。
 飛流としては、それでも、うんと精一杯の協力だった。

 長蘇は、ひと月をかけて、内力を戻した。
──この方法が分かっていたら、強烈な発作に、あれ程苦しまずとも良かったのだ。
 、、、、だが、あの頃の飛流には、とても無理だったろう。今だからこそ出来るのだ。──


 一方、藺晨はというと、長蘇の部屋に来て、治療を終えると、それまでとは別人の様になり、琅琊閣の蔵書閣に入り、籠りきりになった。
 以前は暇を持て余し、長蘇の部屋に入り浸る事があったが、治療の他は寄り付きもせず、琅琊閣の蔵書閣に籠った。
 そしてまた、日が変われば長蘇の脈を診て、何らかの指示を与えて、また蔵書閣に戻る。それ以外は、姿を現さなくなった。
 藺晨は、膨大な医書を読み漁る。長蘇の施術に必要な文書を、探すだけでも骨が折れた。
 更には父親の老閣主の記録簿を丹念に調べた。
 食事は従者が蔵書閣に運んだが、手付かずの時もあった。それ程真剣に、事に打ち込んだのだ。
 その後、丸ふた晩をかけて、全ての治療を手順を確認し、書き出した。
《これならば大丈夫だろう。》
 そんな確信を持ち、手に持っていた筆を置いた。
 灯火は消え、すっかり明るくなっていた。
 
 藺晨は、蔵書閣から、久々に外に出る。
 朝の清浄な空気が肺腑を満たし、頭がすっきりとした。
 向かう先は、大岩だった。
《長蘇はそこに居る。》
 約束をした訳ではなかったが、何故かそこにいると確信があった。
 その手には、あの熊王を退治した、長蘇の剣と、書き上げた治療の計画。


 大岩に着けば、長蘇と飛流が向き合って、内力を交わしていた。
 最初は覚束なかった二人だが、ひと月も繰り返し鍛錬していたので、無駄なく短い時間で、済ませる事が出来る様になった。
──もう、これ以上、私の内力は回復しない。
 だが飛流には、この技を覚えさせたい。──
 そう思って、長蘇は自分の回復だけに留めずに、飛流が人に施せるように、訓練をしてきたのだ。
 初めは二人とも、内力を安定させる事が出来ずに、長蘇は飛流の強い内力に振り回され、血を吐いた事もあったが、今はもうそんな事は無い。

 藺晨が来ると、程なく、二人の内力の修練が終わった。
「終わったのか?。」
『ん。』
 長蘇は短く答えると、にこりと微笑む。飛流は急いでその場を離れた。
 藺晨が来たからだ。
「まさか飛流に、こんな能力があろうとはな。ははは、、、。」
 そう言いながら、長蘇と膝を突き合わせて座った。
 藺晨は、何かをやり遂げ、充実した瞳をしていた。だが、目は落窪み、頬は痩けている。精悍というには、やや無理がかかったのが分かる。
──藺晨、、だいぶ無理をしたのだろう、目の下に隈が、、。
 ただただ、感謝しかない。──
 藺晨が蔵書閣に籠り切りになっているのは、自分の為なのだと、長蘇は分かっていた。
 藺晨は長蘇に、丁寧に畳まれた紙を渡した。
 長蘇は右手で受け取ったが、手元をじっと見つめ、紙を開こうとはしなかった。
 そして微笑んで、そのまま藺晨に返した。
 藺晨は眉間に皺を寄せる。
「何故、見もせずに返すのだ。これを何だと?。」
『見なくても分かる。私の治療法針か、計画書のどちらかだろう?。
 見なくてもいい。藺晨を信じている。
 お前の言うことを全て聞くし、どんな治療も何も言わず受ける。その結果がどうなっても、お前を恨まぬ。』
「、、、、。」
 藺晨は受け取ると、急いで長蘇に背中を向けた。
《父ではなく、私を信じ、全てを委ねると、、、。》
 嬉しさもあり、長蘇の身の上を思うと切なさもあり、そして、自分に寄せられる全幅の信頼という、心が痺れる様な感覚を覚えた。
 藺晨は、涙が溢れてくるのを、必死に堪えた。
 背中の長蘇が、優しく微笑んでいるのがわかる。
《よし、長蘇の為に、力を尽くさねば。》
 藺晨は長蘇に向き直る。
「分かった。信頼してくれて良い。私は決して、寄せられる期待は裏切らぬ。」
 長蘇は『頼む』と微笑んだ。
「そして、これだ。
 お前、あの時、剣を捨てて去っただろう?。私が拾っておいた。
 、、驚いた。あれ程の闘いで、傷が一つだけだとは。」
 藺晨が、黒い鞘から剣を抜いた。
「刃零れもしていない。見事、という他ない。
 良い勉強になった。
 もう、剣は握れるのだろう?。
 これからは体力を付けて、気血を整えて、施術に備えねばならぬ。剣術も良いだろう。」
 剣を鞘に収めると、長蘇に渡す。長蘇は熊王が鞘に付けた、深い傷を撫でていた。
「脈を見よう、顔色が、いつもより良いようだな。」
 長蘇は剣を置き、藺晨に脈を診せた。
「ん、脈には力強さが戻っている。」
 にこりと長蘇が笑う。
《白い毛の下の、この屈託のない笑顔に、忽ち虜にされた。
 熊王の事がある迄は、髪を髷にしていたのだが、今は、、、、。
 長蘇にも心境の変化が有ったのか、それとも、何かを覚悟したのだろうか。》
 今は髪を結わずに肩に流している。手入れのされた美しい長い髪が、肩に背中に流れていた。顔に自然に掛かり、長蘇の表情を隠す白い髪すら、人には無いような美しさを醸していた。
 藺晨は触れずには居られなかった。
 顔に掛かった髪を、指で掻き上げる。美しい整った顔と、誰も消す事の出来ない焱を秘めた瞳。
《長蘇の瞳に吸い込まれてしまう、、
 せめて、この髪を一筋、自分の物に出来たなら、、。》
 施術をすれば、この美しい髪は無くなってしまうのだ。自慢にしたいとか、この麗しい姿を思い出に残しておきたい、とか、、そういった事とは違う思いが、藺晨の中に沸き起こる。
《施術が終わり、回復をしたなら、長蘇は琅琊閣を去って行くのだろう。
 ただ長蘇の欠片を、傍に置きたい。、、、私の愚かな欲望だが、、、、それはやるまい。
 長蘇の髪を、私が隠し持つ事なぞ、容易(たやす)いが。
 この世は何が起こるか分からない。万が一私が捕らわれ、私が懐に持つ長蘇の髪が、長蘇の起こす風雲の発覚に繋がっては、これからの治療に苦しみ、耐え抜き、運命を進んで行く長蘇に申し訳がない。
 秘密の綻びは、意外な所に潜むものだ。》
 指の間を流れる、長蘇の髪は心地が良い。名残り惜しいが、何時までも触れているのも妙だ。
 最後に、両手で長蘇の顔を包むようにして、指で髪を梳き、払ってやった。 
作品名:再見 五 その三の二 作家名:古槍ノ標