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Nosta -ノスタ-

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 金の木の光を受けて、南に聳え立つ緑深いタニクウェティルの山麓が笑っているように見えた。
 この地上で最も高いその山の頂には長上王マンウェ・スーリモと星々の女王ヴァルダの宮殿イルマリンがあり、そのヴァラールの膝元には全エルダリエの上級王であるヴァンヤールの王イングウェが暮らしていた。
 ヴァンヤール族とノルドール族は初め、彼らのためにヴァラールがペローリの山並みを切り裂いて造ったこの谷間で共に暮らしていた。
 それで、トゥーナの丘に聳えるミンドンも元々は上級王イングウェのために建てられた『イングウェの塔』だったというのだが、いつからかヴァンヤの大部分はこのティリオンの都を捨てヴァラールの国土へ移住して行き、フェアノールやフィンゴルフィンの世代の子供達が物心ついたころには、都に金髪のヴァンヤールの姿はほとんど無くなっていた。
 「ヴァンヤールは、常に満ち足りて暮らすことを願うのです」
 上級王イングウェの近親者である母インディスは、ヴァンヤールの生き方をそう言った。
 ヴァラールの力に満ちたこのアマンで、国土を照らす二つの木、金のラウレリンと銀のテルペリオンの光に浴し、ヴァラールの与え給う緑野と森の実りを喜び、ヴァラールの御稜威に感動する、それがこの地で心満たされたヴァンヤールの生き方だと。
 ノルドールはそうではなかった。
 ノルドールは己の手の技を尽くし何かを作り出すことを喜んだ。
 ヴァラールから与えられた土地に自分達が暮らす丘を築くだけでは飽きたらず。山から石を切り出し組み上げ、ティリオンの都を作り、石を彫り金属を溶かし、己の手が作れるものを次々に模索して行くのが、彼らの喜びであり生き方だった。
 ノルドの父とヴァンヤの母の間に生まれ、自分の心はどちらに近いかと言われれば、フィンゴルフィンはやはり父の一族の、技術や何かを作り上げる事に飽くことを知らぬノルドの不動の心の持ち主だった。
 フィンゴルフィンの白馬は、カラキルヤの光の谷間を西に向かって駆けた。
 幸いなことに、兄が銀の刻にそちらの方に馬を駆って行ったのを、都の多くの者が見ていた。
 「それにしても、どこに行ったのだろう?」
 兄は弓を背負うでもなく、極めて軽装だったという。
 それなら決して遠出ではない筈なのだが…。
 フィンゴルフィンは愛馬の背に膝を乗せると、上半身を高く上げて遮る物のない谷間のその先を見渡した。
 カラキルヤを抜ければ、そこはもうヴァラールの国の広野である。
 左右に迫る渓谷の壁の向こうには、遮る物なく降り注ぐ金の木の光に満たされた夏草の野に、ライレの大振りな花々が群れ咲いているのが見えた。


 「あ!」
 愛馬が白い風のように広野に踏み出すや、フィンゴルフィンは遠からぬ場所に騎手のない馬の姿を見つけた。
 彼は馬の背に膝を乗せて辺りを見回しながら、その馬の方へ馬首を向けた。
 金の木の燃える炎のような花の咲き誇る時間、黄金の光に満ちて色濃い広野の、花が覆う小高い丘にフィンゴルフィンは兄フェアノールの姿を見つけた。
 柔らかい草地は、馬の蹄の音を響かせず。
 遙か遠くのラウレリンとテルペリオンの二本の木を見上げる丘の西側に寝転んだ兄は、何者かが自分に近づいてきたことに、まったく気付いていないようだった。
 「…なんでこんな所で眠っているんだ?」
 馬を降りて、ほんの数歩の高さの丘を登ったフィンゴルフィンは、そこでぐっすりと眠っている兄の姿に呆れたように呟いた。
 兄の姿は、一週間工房に詰めていたと言うそのままの姿だった。
 邪魔にならぬよう後ろで一本に纏められた黒々とした髪、前髪を押さえるために額に付けられた赤い宝石の付いた金の輪、金属や石を削った粉末であちこちざらついた上着と編み上げ靴、辛うじて、外出の為に纏ったらしいマントだけが汚れておらず、それは寝転んだ背に気持ちよさげに広がっていた。
 広野を渡るそよ風が、フェアノールの額にかかった髪を揺らした。
 フィンゴルフィンは今までおよそ見たことの無かった、兄の寝顔を見つめた。
 兄の鋭く輝く目は常に探検や探求や手の技に向かっており、このように瞼を閉じて口元を薄く開いて寝入っている姿など、今まで想像さえしたことはなかった。

 これでは起こせないではないか…。

 兄は、まったく目覚める気配は無い。
 フィンゴルフィンは、彼方の金の木の花が満開になり、周囲の明るさが一段と増したのを感じた。
 もう、今更兄をせき立ててティリオンに戻ったところで、予定されていた会食の時間には間に合わない。
 「思い通りになったな」
 フィンゴルフィンはフェアノールを見てそう呟くと、自分もマントを広げてごろりと丘の上に横になった。


 「―――アラカーノ?」
 フィンゴルフィンは兄、フェアノールの声で目を覚ました。
 「…あれ?」
 心地よく寝入ってしまったらしく、フィンゴルフィンは初め自分がどこにいるのかときょろきょろと辺りを見回した。
 そうして目の前に座っている兄の姿に、自分がここに来た目的を思い出した。
 「そなた…なぜここに居るのだ?」
 フェアノールは、心底驚いたようにフィンゴルフィンを見て言った。一人でそこに来たはずが目を覚ますと、隣にフィンゴルフィンが転がって、すうすう寝息を立てていたのだ。
 「兄上こそ、なぜこんな所におられたのです?」
 フィンゴルフィンは言った。
 ここできっぱり、ノスタの会食が煩わしいと言ってくれれば、もうそのまま母と姉に伝えれば、この気疲れする行事もなくなると言う物だ。
 「私は――」
 フェアノールはそう言うと、傍らの青草の上にあった革張りの小箱を持ち上げ、その蓋を開けた。
 「これは?」
 箱の中は二つに区切ってあり、片方には白い石、もう片方には澄んだ無色の石が収めてあった。
 フェアノールは、興味深げに箱を覗いたフィンゴルフィンの顔をちらりと見ると、そのまま遠くの二つの木へ視線を向けた。
 すでに金の木の光は薄らぎ、辺りは銀の木が目覚める黄昏れに近づいていた。
 「本当は、エルダマール湾の方に行きたかったのだが、こちらの方が近かったのでな」
 そう言うとフェアノールは立ち上がり、箱の中から二つの石を取りだして手のひらに乗せた。
 「見ていろ」
 フェアノールは金の木の光の粒子が漂う空を見上げて言った。
 静かに静かに金の粒子が減りその分を補うように目を覚ました銀の木の光の粒子がちらちらと、空に漂ってくる。
 そうして地上が柔らかな光に包まれ、空の光の粒子のベールの向こうに、色とりどりの星がきらきらと数えられた時、フェアノールの手の上の石に不意に光が灯った。
 「あっ…」
 フィンゴルフィンは思わず発した声を飲み込んだ。
 それぞれの石の中で光はみるみる強くなり、それは青と銀の火のようになってフェアノールの手の上で輝いた。
 「エルダマール湾の北側のように星明かりだけの場所なら、もっと強く輝く」
 フェアノールは、両手の石を交互に掲げ見て言った。
 「これを、作っていたんですか?あの…炉を使って」
 「ああ、見たのか」
 フェアノールは言った。
作品名:Nosta -ノスタ- 作家名:葉月まゆみ