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今もそっとポケットの中で・・・。

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   今もそっとポケットの中で・・・。
                     作タンポポ



       1

「ユウ」
「ん?」
「今夜さあ、原チャリパクリに行かねえ? いいマンション見っけたんだよ」
「はあ。まだそんな事してんのか馬鹿者。人様のものを取るな」
「いいじゃんよ~、プイ~っと行って、プイ~っと帰って来ようぜ?」
「俺は犯罪には手を染めないし、今夜は、大事な用がある」
「深夜だよユウ? 何、用事って」
「今夜はな、乃木坂46の、新内眞衣のオールナイトニッポン・ゼロがある」
 月野夕(つきのゆう)はそう言って、まだ温かいコーヒーを飲んだ。学生服のブレザーにコーヒーがかからぬように、顔を少し前に出していた。
「ちえっ。お前何でヤンキーやめたん?」
 浅井哲司(あさいてつじ)は面白くなさそうに、壁のポスターを見上げた。新社会人歓迎と銘打たれたマクドナルドのオリジナル・ポスターであった。
「そもっそも、ヤンキーやりますって言った記憶がないよお前……」
「よっくケンカしてたじゃん。あの、すっげえ、中嶋だ。あのバケモンとタイマンまではって、…伝説だよお前さん」
「ああ、中嶋波平な……。あいつは、ほら。言ってもきかねえから、殴るしかねんだよ」
「殴るしかって……あの中嶋ってバケモン、五人に一人で勝っちゃうらしいぜ?」
「ふうん……。暇だな。煙草ってやつ、吸いたくなるな?」
 月野夕はにやけて、頬杖をついた。ふと向けた視線の先にいた女子中学生たちがきゃあきゃあと黄色い悲鳴を上げていた。
「おいユウ、ガキだぜあんなの。やーめとけ。ナンパなら大人の女に限るってえ」
「冗談だろ、眼ぇ合わせただけだぜ。ナンパなんて、もう……」
「やあ」
月野夕と浅井哲司は同時にその男を見上げた。百八十センチぐらいはあるだろうか。細身の体格をした、眼鏡をかけた高校生であった。
「稲見です。初めまして」
「あ、浅井です。ども」
「イナッチ、座れよ」月野夕は隣の席を手の平で紹介した。「こいつとさ、高一の頃知り合ってさ。今起業やってるんだよ」
「企業?」浅井は眼を瞬きさせる。「違法ですか? 合法ですか?」
 稲見瓶(いなみびん)は、ホットコーヒーとポテトを載せたトレーをテーブルに置いて、月野夕の隣の椅子に着席した。
「合法ですよ」稲見は無表情で答えた。「本当は、学校を辞めてそっちの方に専念してもいいんだけど、ユウがね。卒業しろとうるさいから」
「お前、何やってんの?」浅井は怪しそうに、月野夕を見つめる。「お前んち、母子家庭だよなあ?」
「家庭は関係ない。俺達二人でやってんだ。ほんとに、やりたい仕事をやってるだけなんだ」月野夕は微笑んだ。「煙草ってやつ、やっぱり吸いたくなるな?」
「あと三年の我慢だね」稲見はくすり、と笑った。「実は俺も、浅井君の吸ってる煙草の匂いに惹かれてる。気を弱めると一本吸ってしまいそうだ」
「吸う?」浅井は紙マルボロから、腕を振って一本を器用に飛び出させた。
「いいえ、お気持ちだけ、いただきます」稲見はうん、と頷いた。
「稲見くん、つったっけ?」
「はい」
「今夜俺と仲間達紹介するからさ、一緒に原チャリ、パクリに行かない? 行っちゃう?」
「遠慮しときます。あと、通報もしときます」稲見は無表情で答える。
「はっは、通報はごめん、よして。稲見くん、今キマってるっしょ?」浅井は稲見ににやける。
「決まってる?」稲見はフリーズする。
 稲見瓶の中にある全知識を集結させて、「今決ってるっしょ?」の真意について思考を傾けた。
「こいつも麻薬はやらないんだよ」月野夕はにこやかに笑った。「キマってるツラに見えたか?」
「あーやらないんだ。それがいいね、一番」浅井はうんうんと深く納得した。
「決ってるとは?」稲見は二人を交互に見る。
「いやガンギマリ、って事でしょう」浅井は苦笑した。
「眼がぎらぎらしちゃうし、身体が力んじゃうし、そういうハイな状態の事な」月野夕はコーヒーを飲んだ。コーヒーはもう、温かくはなかった。
「さっき乃木坂って言ったっけ?」浅井はポテトをひとつまみして、月野夕を見つめて言った。「乃木坂って今凄いよねえ、人気が。ユウも好きなんだ? もしかして、稲見くんも?」
「ああ、ファンです」稲見はにこやかに頷いた。
「君の名は希望、いいよね」浅井は微笑む。「なんだーそっかー……。ユウはこっち側かと思ってたんだけどな~。地元じゃリーダーっぽかったし」
「お前だよ、リーダーは」月野夕は無邪気に微笑んだ。「俺はこれから、やりたい事をとことんする。このイナッチと一緒にな。とりあえず、今夜は新内眞衣ちゃんの、オールナイトニッポン・ゼロだ。聴き逃す手はないだろ」
「卒業しちゃう子?」浅井は二人を見てきいた。
「いや、まいちゅんは、しませんね」稲見はにこやかに答えた。
「一番最後に卒業する人だから、新内眞衣ちゃんはさ」月野夕も微笑んだ。
 浅井哲司と別れた後は、月野夕と稲見瓶は何台かのノートパソコンを買い終えて、二人で借りている赤坂の会社事務所兼たまり場のマンションへと移動した。
 携帯電話で、月野夕は姫野あたるに電話する。ガードマンでバイト中の彼は、深夜のラジオの時間までには集まれるとの事であった。
 続いて、稲見瓶が中島波平に電話した。すぐにかけつけるとの話であった。
 最後に、月野夕が駅前木葉に電話を掛けた。大学院生の彼女は、レポートをまとめた後で参加するとの事であった。
 2LDKのマンションであった。十二畳の広間に、五台のパソコン・デスクが壁を向くように置かれている。部屋の中央にはテーブルがあり、ザブトンが五枚ほど散らばっていた。
「ユウ、凄いね、まいちゅんだけど」
「ああ、ラジオ・パーソナリティだよお前。水曜深夜は夜更かし決定だな!」
「何をしゃべるんだろう……。ダメだ、緊張してきた」
「心配なら、ハガキ職人になればいいじゃん」
「いや、あのね。俺にとってラジオは特別で、その日に何をやるのかもシークレットにしておいて欲しいぐらいなんだ。お楽しみはその時間までとっておきたいんだよ。贅沢かな?」
 二千十六年三月三十一日。初春であるが、この日は室内に低めの設定で暖房がついていた。
 注文していたピザ・ハットからピザが届き、やがて中嶋波平が学ランのままで訪れた。月野夕も、稲見瓶も、互いに学校は異なるが、学生服のブレザー姿のままであった。
「間違えて隣の家に鍵ぶっさしちまった、へへ」
 中嶋波平はどすん、とザブトンの上にあぐらをかいた。
「やめろよ、そういうとこだぞ、お前」
 月野夕は嫌そうに言った。
「よう、稲見」
「ああ、うん。こんばんは」
「ダーリンは?」中嶋は月野夕を見上げる。
 月野夕と稲見瓶はデスクで仕事中である。テーブルの上には五本のファンタ・グレープとピザが無造作に置かれていた。
「あーダーリンなー、今ガードマンやってっから、後で来るってよ」
 中嶋波平はファンタ・グレープを開けた。
「木葉さんは?」
「駅前さんなあ、もうすぐ来ると思うけど、変な事すんなよ……」月野夕は中嶋を振り返って眉を顰めて言った。「真面目なんだから、あの子」