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天空天河 一

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 長蘇は恭しく会釈して、差し出された靖王の手に、己の手を重ね、馬車に乗り込む。

 繋いだ手は、互いに離し難く、、、。
 惜しみながら離れていった互いの手には、靖王の掌の温もりと、羽根の様に軽い、長蘇の体の重みが名残る、、、。

 靖王は、都の街道に慣れぬ御者を、また泥濘に嵌らぬ様、戦英に先導させた。

 そして靖王は、屋根に飛流を乗せた、長蘇の馬車に並ぶ様にして、馬を走らせた。

 我が主は、この蘇哲と言う男の、何がこんなに気になるのかと、、、戦英は不思議でならない。
 靖王は決して、皇太子の様な底意地の悪い性格では無いが、会ったばかりの人間の手を取って、馬車に乗せる程、気の利いた人間ではない事を、戦英は良く知っている。
「殿下はこの者を、気に入ったのだ。」
 医女を母に持ち、母の位の低さから、小さな頃から、皇太子一味に虐げられる。
 誉王は知らぬ振り。
 時折誉王は、皇帝の前で、靖王を労る姿を見せ、己の度量の広さをひけらかす。
 どちらも碌(ろく)な兄では無い。

 靖王を変えた赤焔事案。
 赤焔事案では、尊敬する長兄祁王と、共に育った親友、林殊を失った。
 辛酸を舐めながらも、これ程立派に成長した。
「何か一つ位、良い事が有っても、、、。」
 自分達、靖王府の部下では、主の心を慰められぬのを、痛い程知っている。
「硬く凍りついた殿下のお心を、この男ならば解(とか)せるかも知れぬ。」
 共に走る馬車を気遣いながら、金陵へ向かう靖王。
 それを脇目に見ながら、戦英はそう思った。


 この季節ならば、馬車は窓を開け、帳も上げられる。心地良い風は、馬車内を温かな空気で満たされ、乗る人の心を明るくするのだろうが。
 長蘇の馬車は、灰色の布帛(ふはく)がぴたりと巡らされ、馬車の中は伺えない。
 中は見えない、、そう分かっていても、靖王は、ちらりと視線を送ってしまう。

 長蘇は、帳の繋ぎ目に指を差し、薄く開いて、外を伺う。
 僅かな隙間から、靖王の勇ましい姿が見え、長蘇の胸が高鳴った。
 靖王がこちらを振り向き、目が合った。
 靖王に見えているかは分からぬが、長蘇は座ったまま、軽く会釈をする。
 靖王は微笑んで、前を向いた。


 やがて、馬車に乗る長蘇は、馬車が止まり、城門の前へ着いたのだと気が付く。
 長蘇は、急いで降りようとした。
「、、痛たた、、、。」
 乗っていたのは、大したの時間では無かったが、廊州から座り通しの馬車旅で、動かそうとすると、体が軋む。
 すると、馬車の外から帳が捲られ、馬上の靖王が顔を覗かせる。
「降りずとも良い。」
 馬車を降りようとする、長蘇を見て、そう声をかけた。
 長蘇は、畏まって拱手をする。
「間もなく、金陵の南門だが。この先には泥濘は無い。
 私は皇宮に行かねばならぬ故、ここで別れるとしよう。」
 突然の別れだった。
「何から何まで、ありがとう存じました。
 後日、お礼に、、、。」
「礼、、礼なぞは、良い、、が、、。
 、、、、、暇があるなら、寄れ。歓迎する。」
「、、、、殿下、浮かぬ顔ですね。」
「探るな、ふふふ、、、。」
 靖王は、笑いながら長蘇を叱るが、不機嫌さはない。
 側で聞いていた戦英は、驚いていた。
 初対面の男に、ここまで親切にする靖王を、初めて見た。

 この男は、謙(へりくだ)りつつ靖王と対等に語り、しかも靖王は、笑いながら叱責した。
 靖王とここまで『談笑』出来た者なぞ、久しぶりに見た。
「青白い書生にしか見えぬのだが。本当に何者なのだ、この男。」
 靖王と長蘇が、幾らか話を交わしている間に、戦英は、後尾にいる騎馬兵を呼び付け、兵に『蘇哲』が何者なのか、極秘に探れ、と命令を出した。
 この兵は、こういった情報を得る事に、長けている。
 皇帝に、軍務報告を提出している間に、『蘇哲』を調べあげるに違いない。
 靖王は皇帝に、報告書を、ただ届けに行くだけなのだ。それだけなのだが、、、、。
 立派に軍務を果たしたのにも関わらず、何かと難癖を付けられ、只では済まないのだ。
 皇帝だけでは無い。
 皇太子の難癖が、これまた酷い。
 朝から日が落ちるまで、養居殿の前で、待たされたり、、、王陵に数ヶ月も跪かせられたり、、。
 皇帝と皇太子の難癖を、表情一つ変えずに、受け入れる。そう、慣らされてしまった。盾付いて、良い事は何一つも無い。面倒になるだけだった。
 普段、感情を余り表に出さない靖王が、この者の前で僅かに露わにし、、、。
 だが、その機微を読み取るこの者も、「只者では無い」、と戦英は思った。

「では。」
 靖王はそう言って、捲った帳を下ろした。
「皇宮へ行くぞ。」
 靖王が戦英に言う。
 戦英は隊に号令をかける。
 戦英の号令の元、靖王府の軍は南門を、勢い良く抜けて行った。

 長蘇は靖王が下げた帳を再び上げ、少し顔を出し、、靖王の姿を追った。門の中に消えていく、靖王の姿を逞しく思った。
 長蘇が御者を促すと、馬車が動き出す。
 程なく、馬車の屋根から、飛流が中に入ってきて、長蘇の隣に座る。
「、、私は、、上手くやれたか?。」
 飛流に尋ねるが、良く分からない飛流は、キョトンと不思議な顔をしている。
 飛流に答えを求めている訳では無かった。
 ただ、酷く不安になったのだ。口に出さずには居られなかった。
 今になり震えが出た。
──私の正体が分かってしまったなら、、、景琰を酷く傷つける、、、。
 分からぬままでいる事が、景琰は幸せなのだ。
 『梅長蘇に騙され操られた』形が、一番良いのだ。
 私が景琰を傷つけてしまうなぞ、、私の方が苦しく、耐え難い。──

 靖王の手に、重ねた己の右手を、目の前に翳(かざ)す。
──私の指の方が、今では細い。──

 長蘇の細い手を、靖王の手は、全て包んでしまう様だった。
 今だ体に残る、靖王の掌、指先。その温かみ、力強さ、、、靖王の優しく大きな気の様なものが、去った後でも、長蘇を守るように包んでいる。
──景琰、、。──
 靖王の優しさを抱き締める様に、長蘇は自分の体を抱いた。

 長蘇が靖王への想いに浸っていると、それを壊すように、飛流が抱きついてきた。
「これ、飛流、、、あはははは、、。」
 主が、何時もと違う様子を見せるので、飛流が不安になったのか、ぎゅっと長蘇を抱き締めた。
「大丈夫だ。心配ない。」
 飛流の顔を見て、穏やかに話す。
 飛流は安心したようで、帳を上げて、また馬車の屋根に上がった。
「さぁ、行こう。」
 長蘇が言うと、御者は鞭を振り、馬車の速度が上がった。
 靖王に包まれた右手を、左手で包む。
──この温もりで、私は歩ける筈。──
 視線鋭く、策士 梅長蘇に戻る。

 長蘇は、馬車の外の、金陵で暮らす人々の喧騒を聞きながら、起こすべき風雲の策謀を、巡らしていた。






   天空天河 二   に続く
作品名:天空天河 一 作家名:古槍ノ標