天空天河 一
──私が祁王や林一族の事を知った時、私の傍には梅嶺で生き残った仲間が居た。
だが、今の藺晨には、、、
飛流すら、これから私が連れ去ってしまうのだ。──
岩屋の部屋の中に、七弦があり、その側には、笛があった。
長蘇は起き上がり、笛を手に取る。
美しい横笛だった。重い玉の笛かと思ったが、とても軽く、だが、竹材の物でも無かった。見た事の無い素材の、美しい笛。
吹口に唇を当て、息を吹き込む。
少しの息で音が出た。
意外と笛は体力を使うが、病み上がりの様な長蘇でも、奏でる事が出来た。
──私は、七弦は弾けぬが、笛は好きだった。
林府や、野駆けした先で吹いていた。
その側には、何時も景琰が、、、。──
長蘇は、闇から解放されるまで、遠くで七弦の奏でる音を聞いた。
天空の風の囁き、
天河の刻の物語。
物悲しくも、力強い調べを、長蘇はすっかり覚えてしまったのだ。
藺晨の背負ってきた物と、耐えてきた遥かな刻を慰撫する様に、奏で続けた。
哀悼する心に、寄り添う様に、、。
藺晨も長蘇の気持ちを受け取り、調べに心を任せる。
止めどなく流れる涙を、拭くこともせずに、琅琊塞の方角を、藺晨は黙って見つめていた。
別れの日が訪れる。
ずっとこの岩屋に居る訳にもいかぬ。
藺晨もまた、成すべき事を見出した。
嘗て琅琊塞に居た、藺一族の子孫を集めて、新たな琅琊塞を築くという。
「この岩屋の奥には、古文書が山の様にあり、膨大な宝の知識だ。百数十年の間に、解読して、今はもう、読み飽きていたのだ。
誰が誰の為に、置いた物かは分からぬが。」
「そうか、忙しくなるな。」
長蘇は眩しそうに藺晨を見た。
藺晨は居住まいを正して、長蘇に向き直った。
「、、ただ一つ、長蘇に、願いがある。」
「何だ?、それは。私に出来ることならば、叶えたい。」
「ふふふ、、出来るかどうか。
琥燁玉は砕け、『魔』監視の呪いは解けたが、不死の呪いは解けない様だ。
その証拠に、、触ってみろ。」
藺晨は手首を長蘇に差し出して、脈を触れさせた。
「、、??。」
長蘇の眉間に皺が寄る。長蘇にはよく分からない。
「私には脈が無いだろう?。」
「えっ?、、、。」
「私の不老不死の呪いとは、こういう事だ。私だけ、刻が止まってしまったのだ。
ここに来ると間もなく、自分の脈が取れなくなった。腹も空かず、暑さ寒さも感じず、老いる事も無い。
人は皆、不老不死を求めるのだろうが、、こうも強制的に、不老不死にされてもな。
私が承允しないから、飛流が腹立ち紛れに、私に呪いを掛けたのかとも、思ったのだが、飛流にも呪いは解けぬ。残念ながら、そうでは無いらしい。
解く方法が無いかと、岩屋の古文書を幾度も探し、読み返してもみた。だが、そんな記載は一つも無かった。」
「長蘇、、我が身の呪いを解いて欲しい。もし、方法を見つけたなら、どうか知らせて欲しいのだ。」
長蘇は微笑み、
「分かった、必ず。」
そう答えた。
藺晨は、岩屋の縁に立ち、遥かな琅琊塞を望んだ。
別れの時だった。
「では、な、短き縁(えにし)で有ったが、、。
去らば。」
藺晨はそう言うと、衣を翻し、外へ飛んだ。魔道の力なのか、藺晨の体の武功なのかは分からぬが、滑空し、地上の黒い森の中へと、見事に降りていった。
「藺晨、見事なものだ。
百数十年も、ここに閉じ込められていなければ、きっと後世に、名を残したに違いない。
今後の活躍を祈ろう。
そして不老不死の呪いを解く方法が分かったなら、必ず伝えにお前の居る琅琊塞へ行こう。」
長蘇は後ろに控える飛流を振り返る。
──この飛流の主は、私なのだ。──
「私達も行こう。」
長蘇は、この岩屋の中を、ぐるりと見渡した。
岩屋の壁や、床石に、何処か懐かしさを覚える。
──梅嶺でも、岩山を利用した砦に、こんな部屋があったな、、、。だから懐かしいのか?。
ふふふ、、、。──
長蘇は飛流の手を取って、確りと握る。
目が眩む様な高さだが、飛流との承允を考えれば、僅かな事の様に思え、飛流の手を握れば、『飛流ならば任せられる』そう思った。
「頼むぞ、飛流。」
「ん。」
飛流は無表情に、頷いた。
そして二人、藺晨の様に、岩屋の外の世界へ飛び出した。
──この一歩は、地獄へ踏み込む一歩也。
覚悟は決めていた。
何が有ろうと、後悔はせぬ。
全ては祖国の為、仲間の為。
私は一人では無い。
景琰がいる。
、、ただ、、、
景琰は、、私の事を恨むだろう、、。
、、、だがいつか、
許しはせぬが、理解はする筈。
もう迷ってはならぬ。 ──
……………そして、更に五年の刻が流れる。