彼方から 第四部 第二話 ― 祭の日・2 ―
彼方から 第四部 第二話 ― 祭の日・2 ―
夜の帳が、静かに町に降りる。
空には数多の星が……地上には町を照らし出す無数の灯火が――
互いに競い合うかのように、煌めいている。
年に一度の祭の本祭を、明日に控えた町。
昼間、その祭を見に来た大勢の人々で溢れ返っていた大通り。
その喧騒も今は鎮まり、表面上は穏やかに、刻は流れてゆく。
「前夜祭は、何事もなく過ぎたな」
町中にある、大きな宿……
その上階に位置する部屋の窓から、壮年の男が二人、眠りに就こうとしている町並みを見下ろしている。
「そうだな」
額の広い、理知そうに見える男が、同伴者の男の言葉にそう、相槌を打った。
夜闇に沈む町を改めて見回し、
「ここが……我ら、カーン参議陣営の宿敵、スワロのくそ野郎が生まれ育った地――」
理知そうな男は憎々し気に、そう言い放つ。
「我らの進出を阻み続けた奴の行為が、これで漸く……天の意思に反したものだと、世間に知らしめられる――」
続けられた男の言葉に、
「本番は明日か……」
同伴者の男も言葉を重ねてゆくが、その表情はあまり優れない。
期待と不安が入り混じった、複雑な面持ちをしている。
だからなのだろう……
「しかし……本当に失敗するのか? この祭りは……」
同伴者の男の口から、このようなセリフが吐かれたのは。
だが……
「間違いない」
理知そうな男は同伴者の男の言葉を、そう断じていた。
月明かりが落とす、夜の影よりも濃い、『闇』……
そんな闇を見据えるように、町に視線を落とし、
「力のある呪者が、この計画に力を貸してくれていると“言っていた”」
男はそう……言葉を綴る。
『言っていた』――と。
そして、その『誰か』の言葉を信じ、
「強力な魔の力が、我らの味方をしているのだ――」
疑うことはなかった。
自らが属する『陣営』の勝利を…………
『強力』な、『魔』の力とやらを――――
*************
「本当にあの人、そんなにすごいアクロバット能力あるの?」
「うん! それはもう、ばっちり!」
祭の町……
女性の町長が治める町。
その町長の屋敷の中、娘ニーニャと二人、少し懐疑的な言葉を交わしながら、彼女は客人がいる部屋へと、歩を進めていた――
***
夕刻――
客人を連れ、家に帰って来た娘の頬が、赤く腫れあがっているのを見た時は流石に驚いた。
娘婿のカイザックなどは、訳を話そうとした妻の言葉など碌に聞かずに、彼女の後ろで所在無げに立っていた客人二人に、『誰がやったんだ! もしや、あんたか!?』などと宣い、いきなり掴みかかろうとしたぐらいだ。
手と足を痛め、松葉杖を突く身では、それは勿論叶わなかったが……
『違うわよ、この人にはね、祭神の代役を頼んだのよ』
夫の早とちりを客人に謝りながら言った娘の言葉には、更に驚かされた。
とにかく、経緯を訊ねる。
聞けば二人は、旅の途中――偶然この町に立ち寄っただけで、しかも、『ノリコ』という少女の方は、どうやら体調が優れないらしい。
年に一度の祭の日にぶつかったせいで、宿を取ることも出来ず、とりあえず何か買ってこようと彼、『イザーク』が、彼女の下を少し離れた際――
一人待つ彼女の姿を見止めた口入れ屋が、違うと訴えているにも拘らず、彼女の手を強引に掴み、仕事を紹介してやると言いながら、何処かへ連れて行こうとしていたのを見咎め、止めに入ったところ……
『その口入れ屋に殴られちゃったのよ』
と、言うことだった。
その時のことを思い出しのか……痛む頬を擦りながら、ムッとするニーニャ。
だが、直ぐに、
『でもね、その後、彼が凄く高い建物の上から、飛び降りて助けに来たのよ! 彼女のこと! あたしもう、びっくりしちゃって、その上背格好までカイザックにそっくりで! ほんとにもう、彼に頼むしかないって、そう思ったのよ!』
興奮冷めやらぬ面持ちで、一気にそう、捲し立てていた。
『とにかく祭の衣装を合わせてみてよ、それから、二人を家に泊めてあげてよ、ねっ!』と、迫るニーニャをとりあえず落ち着かせ、老補佐に部屋の手配と衣装合わせを頼み、次第に赤みを増し、腫れてゆく頬の手当てをする為に、別室へと連れて行ったのだ。
***
「もう必死で頼んだわよ、彼以上の代役なんていないもの」
――ニーニャが言うほど、似ていたかしら……
何処か嬉し気に聴こえる娘の言葉を聞きながら、彼の青年の姿を思い浮かべる。
確かに……娘婿のカイザックに、背格好は良く似ていた――ような気がする。
アクロバット能力の方も、ニーニャは太鼓判を押してくれたが……
国専占者の占いのお陰で、勝手に国の行く末が賭けられてしまった祭。
この町に偶然立ち寄っただけのただの旅人である彼らに、そのような重い責を、背負わさせてしまうような真似をして良いものかどうか――
事故の無いよう、花籠も綱も万全を期してはいるが、占者に『失敗する』と予言されている以上……何が起こるか分かりはしない。
見物客は勿論、代役を引き受けてくれた青年にも、怪我などして欲しくはない。
『どうしてこんなことになってしまったのか』
そんな、仕方のない想いを胸に抱きながら、町長は衣裳部屋へ娘と共に、足を踏み入れていた。
***
鏡の前に立つ青年……イザークの後ろ姿に、思わず足が止まる。
祭神の衣装を身に着け、最後の仕上げを使用人に手伝ってもらっている青年を前にし、
「あ、町長」
共に雑務を熟す老補佐役がこちらに気付き、
「衣装合わせ、終わりました」
そう、声を掛けて来た。
祭神の仮面を着け、肩越しに振り向くイザーク。
その様は、
「婿殿……」
町長が思わずそう呟いてしまうほど、婿、カイザックにそっくりだった。
「はい」
「……は、こっち」
呼ばれ、返事をする『本物』の婿殿を、町長は改めて確認するかのように見やる。
「ど?」
イザークの傍らに立ち、その肩を軽く叩きながら、
「祭衣装の仮面を着けたら、ほとんど分からないでしょ。ダンナの方がちょっと足、短いぐらいでさ」
悪びれる風もなく、自身の亭主を軽く落とし、自慢げにそう言ってくる。
「ニーニャ……」
事実だけに、愛する妻の言葉に二の句が継げずに、情けなくも困ったような笑顔を浮かべるカイザック……
町長は幾度も婿殿の『足』とイザークとを、遠慮もなく見比べ、
「ほうほう――」
と、納得したように頷いていた。
ぱちぱちぱち……
不意に、小さな拍手が皆の耳に届く。
集まる視線の先に居たのは、部屋のもう一つの出入り口から、こっそり顔を覗かせたノリコ……
熱っぽさの残る、少し赤みの差した頬を綻ばせ、
「すごい、イザークきれい、かっこいい――!」
と……
まるで自分のことのように喜び、嬉しそうに小さく手を叩いている。
素直な言葉と屈託のないその笑顔に、見ているこちらの頬も自然と、緩んでしまう。
しかし…………
作品名:彼方から 第四部 第二話 ― 祭の日・2 ― 作家名:自分らしく