竜胆
「冨岡の援護、ですか?」
お館様の呼び出しに煉獄が急ぎきてみれば、命じられたのは後方支援だった。それはいっこうにかまわないが、柱が二人であたらねばならぬ任務とは穏やかではない。よほどの鬼なのだろうか。
緊張感を孕ませた煉獄の声に、お館様は静かに笑った。
「うん、鬼を斬るだけなら義勇だけで充分だろうけれど、それまでがちょっと厄介でね。お願いできるかい? 杏寿郎」
「はっ! お館様の命であれば否やなどありません! さっそく向かいます!」
勇んで言って一礼した煉獄に、お館様の笑みが深まる。
「頼んだよ。義勇は人と話すのが苦手だからね、少し心配なんだ。下級の隊士には少々荷が重いようだしね」
フフッと少し愉快そうに言うお館様に、わずかばかり疑問はわいたが、問い質すほどのことでもない。なによりも、冨岡との共同任務という一事に、煉獄の胸は隠しようなく弾んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「よう、今から冨岡のとこか?」
背後から聞こえた声に煉獄が振り返れば、宇髄が立っていた。庭の玉砂利を踏みしめ歩いても、宇髄が足音を立てることはない。忍者というのはすごいものだなと、毎度のことながら煉獄は感心してしまう。
「うむ! しかし、なぜ宇髄がそれを知っているんだ?」
「最初は俺様にきた話だからな。煉獄のほうが適任だって派手に推しておいてやったぜ。感謝しろよ?」
ニヤリと笑う宇髄に、煉獄は大きな目をパチリとしばたたかせた。
煉獄には任務の詳細は告げられていない。冨岡を探し、成り行き次第で助け出せとの命だ。冨岡に危険が及ぶほどの敵ともなれば、もしや上弦の鬼の可能性もあるのかと気色ばんだが、お館様の態度にはどうにも楽観の気配があった。詳細がわからないこともあり、今までの任務とはどうにも勝手が違う。
しかも最初は宇髄が任にあたるはずだったなどと言われれば、ますます疑問は募る。
「冨岡に逢いさえすればわかると思っていたのだが……後方支援とは、なにをすればいいんだ?」
「お館様には冨岡を助け出せって言われたろ? そのまんまだよ。冨岡が危ないと思ったら、声をかけて連れ去ってやりゃあいい」
「冨岡に危険が及ぶ可能性があるのか? たしかに、お館様は下級隊士には荷が重い任務だとおっしゃっていた。柱である冨岡が向かわねばならなかったほどの相手ならば、危険なことに違いはないと思うが、よもや上弦か?」
だが、それならば連れ去れというのは解せぬ。逃げろと同義ではないのか。鬼と相対しながら冨岡を連れて逃げろとは、いったいどういうことだろう。
「危険っちゃあ危険だろうが、おまえさんが考えてるようなもんじゃねぇよ。場所は聞いたんだろ?」
「あぁ。浅草十二階近辺だとか」
あの辺りは治安が悪い。日本有数の歓楽地である浅草は、言うまでもなく浅草寺の門前町だが、それはすなわち花街としての顔を持つということだ。活気あふれる雷門からつづく仲見世通りはまだしも、凌雲閣(りょううんかく)の辺りなど煉獄にはとんと縁がない。
清廉な印象の冨岡にもまた、不似合いな街だと煉獄は思う。
なのに冨岡が選ばれたのはなぜだろう。改めて考えてみれば、どうにも腑に落ちない。
「鬼がいるのは間違いないが、それほど強いわけじゃなさそうだ。だが、身を隠すのがうまいようでな。下級隊士程度じゃ鬼の気配が見つけ出せねぇんだと。ともかく、冨岡に声をかけてくる奴らのなかに鬼がいねぇようなら、冨岡を連れてずらかるのがおまえさんの役目だよ」
「ふむ。子細はよくわからんが心得た! だが、なぜ俺に? 宇髄の手に余るというわけではないのだろう?」
任務の内容以上にそちらのほうが、煉獄には解せない。万事派手好みの宇髄だが、潜入任務の後方支援など地味だから嫌だというわけでもあるまい。元忍びだけあって、情報収入に関して宇髄は一日の長がある。潜入任務にことさら煉獄を推す理由がわからなかった。
「あぁん? だっておまえさん、冨岡に惚れてんだろ?」
「よもや! 知られているとは思わなかった……その、そんなに俺は筒抜けだろうか」
驚愕に知らず身を固くした煉獄に、宇髄は愉快そうに笑った。煉獄の肩をガシリと抱き、派手な化粧を施した顔を近づけてくる。
「俺様を誰だと思ってやがんだ? それぐらい察せなくてどうするよ。けどまぁ、ほかの奴らは気づいちゃいねぇだろうから安心しな」
「いや、俺は知られてもかまわないが……冨岡にまだ想いを告げたわけではないのだ。ほかの者から俺の想いが冨岡に伝わるというのは、少し悔しい!」
伝えるのなら、誠実に、自分の口から伝えたいものだ。
言えば宇髄は、先ほどの煉獄のようにキョトンとまばたくと、声をあげて笑った。
「あの朴念仁で辛気臭い野郎に、煉獄がテメェに惚れてるってよなんて、わざわざご注進する酔狂な奴はいねぇだろうが、まぁ気持ちはわからんでもないな。ま、派手に頑張れや」
「うむ! 応援感謝する! だが、冨岡は辛気臭いわけではないぞ。たしかに人慣れず交流下手ではあるがな! 麗しく努力家で、尊敬すべき柱だ!」
人の輪に入ることを拒む傾向はあるが、不死川が言うように高飛車な奴だなどと、煉獄は思ったことがない。むしろ、冨岡は周りをよく見ている。わかりにくいやさしさは、人に伝わりにくいようだが、煉獄にとっては好ましさを覚えるものだった。
断言した煉獄に、宇髄は笑いながら肩をすくめただけだった。宇髄には冨岡の素晴らしさはわからないのかと、ちょっとばかり煉獄は落胆したが、宇髄は気にした様子もない。
「はいはい。それよか、冨岡見て派手に腰抜かすなよ? 俺様の特訓の成果は上々らしいぜ?」
思わせぶりな言とともに宇髄が浮かべたのは、楽しげだけれどどこか人が悪い笑みだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
凌雲閣――別名、浅草十二階を擁すその界隈は、日本有数の歓楽地である浅草のなかでも、もっとも人間の欲望が渦巻く場所であろう。数百を超える私娼窟が広がる、東京府の闇の顔。それが浅草十二階の一面だ。
明治天皇の御代において、男色を禁じるべく発布施行された鶏姦律令により、吉原から消えた陰間茶屋も――今は秘密クラブなどと名称を変えてはいるが――この界隈ではいまだ健在である。
芝居小屋やらカフェーなどが立ち並ぶ表通りから外れ、幟や看板もろくに見当たらないどこか薄暗い道筋をえらんで入り込めば、一気に頽廃的な空気が濃くなった。路地に立つ客引きや女性たちに、煉獄はかすかに眉を寄せる。どう見ても尋常小学校に通う年ごろの少女までもが路地に立ち、男に声をかけられているのを見るのは、なんとも不愉快だ。
彼女たちにも様々な事情があるのだろうが、年端もない少女が身を売らねばならぬのかと、忸怩たる想いしか浮かばない。
鬼に襲われることなどなくとも、悲劇はいくらでも転がっている。刃を振るうだけでは救えぬ人たちがいる。交渉が成立したのか父親ほどの男に手を引かれて、暗がりに消えていく少女のか細い背中を見つめ、煉獄は深く嘆息した。
お館様の呼び出しに煉獄が急ぎきてみれば、命じられたのは後方支援だった。それはいっこうにかまわないが、柱が二人であたらねばならぬ任務とは穏やかではない。よほどの鬼なのだろうか。
緊張感を孕ませた煉獄の声に、お館様は静かに笑った。
「うん、鬼を斬るだけなら義勇だけで充分だろうけれど、それまでがちょっと厄介でね。お願いできるかい? 杏寿郎」
「はっ! お館様の命であれば否やなどありません! さっそく向かいます!」
勇んで言って一礼した煉獄に、お館様の笑みが深まる。
「頼んだよ。義勇は人と話すのが苦手だからね、少し心配なんだ。下級の隊士には少々荷が重いようだしね」
フフッと少し愉快そうに言うお館様に、わずかばかり疑問はわいたが、問い質すほどのことでもない。なによりも、冨岡との共同任務という一事に、煉獄の胸は隠しようなく弾んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「よう、今から冨岡のとこか?」
背後から聞こえた声に煉獄が振り返れば、宇髄が立っていた。庭の玉砂利を踏みしめ歩いても、宇髄が足音を立てることはない。忍者というのはすごいものだなと、毎度のことながら煉獄は感心してしまう。
「うむ! しかし、なぜ宇髄がそれを知っているんだ?」
「最初は俺様にきた話だからな。煉獄のほうが適任だって派手に推しておいてやったぜ。感謝しろよ?」
ニヤリと笑う宇髄に、煉獄は大きな目をパチリとしばたたかせた。
煉獄には任務の詳細は告げられていない。冨岡を探し、成り行き次第で助け出せとの命だ。冨岡に危険が及ぶほどの敵ともなれば、もしや上弦の鬼の可能性もあるのかと気色ばんだが、お館様の態度にはどうにも楽観の気配があった。詳細がわからないこともあり、今までの任務とはどうにも勝手が違う。
しかも最初は宇髄が任にあたるはずだったなどと言われれば、ますます疑問は募る。
「冨岡に逢いさえすればわかると思っていたのだが……後方支援とは、なにをすればいいんだ?」
「お館様には冨岡を助け出せって言われたろ? そのまんまだよ。冨岡が危ないと思ったら、声をかけて連れ去ってやりゃあいい」
「冨岡に危険が及ぶ可能性があるのか? たしかに、お館様は下級隊士には荷が重い任務だとおっしゃっていた。柱である冨岡が向かわねばならなかったほどの相手ならば、危険なことに違いはないと思うが、よもや上弦か?」
だが、それならば連れ去れというのは解せぬ。逃げろと同義ではないのか。鬼と相対しながら冨岡を連れて逃げろとは、いったいどういうことだろう。
「危険っちゃあ危険だろうが、おまえさんが考えてるようなもんじゃねぇよ。場所は聞いたんだろ?」
「あぁ。浅草十二階近辺だとか」
あの辺りは治安が悪い。日本有数の歓楽地である浅草は、言うまでもなく浅草寺の門前町だが、それはすなわち花街としての顔を持つということだ。活気あふれる雷門からつづく仲見世通りはまだしも、凌雲閣(りょううんかく)の辺りなど煉獄にはとんと縁がない。
清廉な印象の冨岡にもまた、不似合いな街だと煉獄は思う。
なのに冨岡が選ばれたのはなぜだろう。改めて考えてみれば、どうにも腑に落ちない。
「鬼がいるのは間違いないが、それほど強いわけじゃなさそうだ。だが、身を隠すのがうまいようでな。下級隊士程度じゃ鬼の気配が見つけ出せねぇんだと。ともかく、冨岡に声をかけてくる奴らのなかに鬼がいねぇようなら、冨岡を連れてずらかるのがおまえさんの役目だよ」
「ふむ。子細はよくわからんが心得た! だが、なぜ俺に? 宇髄の手に余るというわけではないのだろう?」
任務の内容以上にそちらのほうが、煉獄には解せない。万事派手好みの宇髄だが、潜入任務の後方支援など地味だから嫌だというわけでもあるまい。元忍びだけあって、情報収入に関して宇髄は一日の長がある。潜入任務にことさら煉獄を推す理由がわからなかった。
「あぁん? だっておまえさん、冨岡に惚れてんだろ?」
「よもや! 知られているとは思わなかった……その、そんなに俺は筒抜けだろうか」
驚愕に知らず身を固くした煉獄に、宇髄は愉快そうに笑った。煉獄の肩をガシリと抱き、派手な化粧を施した顔を近づけてくる。
「俺様を誰だと思ってやがんだ? それぐらい察せなくてどうするよ。けどまぁ、ほかの奴らは気づいちゃいねぇだろうから安心しな」
「いや、俺は知られてもかまわないが……冨岡にまだ想いを告げたわけではないのだ。ほかの者から俺の想いが冨岡に伝わるというのは、少し悔しい!」
伝えるのなら、誠実に、自分の口から伝えたいものだ。
言えば宇髄は、先ほどの煉獄のようにキョトンとまばたくと、声をあげて笑った。
「あの朴念仁で辛気臭い野郎に、煉獄がテメェに惚れてるってよなんて、わざわざご注進する酔狂な奴はいねぇだろうが、まぁ気持ちはわからんでもないな。ま、派手に頑張れや」
「うむ! 応援感謝する! だが、冨岡は辛気臭いわけではないぞ。たしかに人慣れず交流下手ではあるがな! 麗しく努力家で、尊敬すべき柱だ!」
人の輪に入ることを拒む傾向はあるが、不死川が言うように高飛車な奴だなどと、煉獄は思ったことがない。むしろ、冨岡は周りをよく見ている。わかりにくいやさしさは、人に伝わりにくいようだが、煉獄にとっては好ましさを覚えるものだった。
断言した煉獄に、宇髄は笑いながら肩をすくめただけだった。宇髄には冨岡の素晴らしさはわからないのかと、ちょっとばかり煉獄は落胆したが、宇髄は気にした様子もない。
「はいはい。それよか、冨岡見て派手に腰抜かすなよ? 俺様の特訓の成果は上々らしいぜ?」
思わせぶりな言とともに宇髄が浮かべたのは、楽しげだけれどどこか人が悪い笑みだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
凌雲閣――別名、浅草十二階を擁すその界隈は、日本有数の歓楽地である浅草のなかでも、もっとも人間の欲望が渦巻く場所であろう。数百を超える私娼窟が広がる、東京府の闇の顔。それが浅草十二階の一面だ。
明治天皇の御代において、男色を禁じるべく発布施行された鶏姦律令により、吉原から消えた陰間茶屋も――今は秘密クラブなどと名称を変えてはいるが――この界隈ではいまだ健在である。
芝居小屋やらカフェーなどが立ち並ぶ表通りから外れ、幟や看板もろくに見当たらないどこか薄暗い道筋をえらんで入り込めば、一気に頽廃的な空気が濃くなった。路地に立つ客引きや女性たちに、煉獄はかすかに眉を寄せる。どう見ても尋常小学校に通う年ごろの少女までもが路地に立ち、男に声をかけられているのを見るのは、なんとも不愉快だ。
彼女たちにも様々な事情があるのだろうが、年端もない少女が身を売らねばならぬのかと、忸怩たる想いしか浮かばない。
鬼に襲われることなどなくとも、悲劇はいくらでも転がっている。刃を振るうだけでは救えぬ人たちがいる。交渉が成立したのか父親ほどの男に手を引かれて、暗がりに消えていく少女のか細い背中を見つめ、煉獄は深く嘆息した。