竜胆
「い、いやっ、冨岡、意味がわかっているのか!?」
「なんで触りたいのかは知らんが、煉獄ならかまわない」
さらりと宣う冨岡には、まったく躊躇や羞恥は見られない。
これは本気でわかっていないようだ。なんだか肩が落ちてしまうが、それもまた冨岡らしい気がして、煉獄は思わず笑った。
「やめておこう。俺が触れたがっていることだけ覚えていてくれたら、それでいい」
言いながら襯衣の釦をとめてやれば、存外素直に冨岡はされるがままになっている。布地に隠されていく肌は、まとう襯衣よりもよほど白く輝いて見え、煉獄の目に強く焼きついた。
煉獄になら触れられてもかまわないというのは、本心なのだろう。それはそれで舞い上がりそうにうれしくはあるが、それだけでは足りない。
求めるだけではなく、求められたいのだ。冨岡とは、同じ想いで触れあいたい。
落ちている上着を拾い、冨岡にはおらせてやりながら、煉獄は不敵に笑った。
「だが、冨岡が俺に触れられたいと思ってくれたのなら、遠慮はしない。覚悟しておいてくれ」
わけがわからないと言わんばかりに首をかしげたままの冨岡は、それでも「わかった」とうなずくから、煉獄の笑みはますます深まる。
群れずひっそりとひとり咲く竜胆の花。ほかの誰にも手折らせてなるものか。
「竜胆はかなり苦いそうだが、君は甘そうだ」
先ほどまでとは違い、冨岡の唇はいつものように引き結ばれている。小ぶりなこの唇に触れたのなら、きっと天上の甘露の如く酔うのだろう。竜胆の花だって、薬になる根は苦くとも、蜜は甘いに違いない。
「……煉獄の言うことは、よくわからない」
「うむ、今はわからなくてもかまわん! わかってもらえるよう努力するまでだ!」
快活に笑って、煉獄は手を差し出した。キョトリとまばたく瞳を見つめ、じっと待つ。
首をひねりながらも冨岡は、そっと煉獄の手に己の手を重ねるから、ギュッとその手を握った。
今はこれぐらいでいい。というよりも、これぐらいは許してほしい。
「この界隈は変な輩が多いからな! 手を繋いでいこう!」
「……子供みたいだ」
「たまには童心に帰るのもいいだろう?」
心のうちにあるものは、子供のような純粋さばかりではないけれども。
握り返しこそしないものの、拒まず煉獄の手に引かれる冨岡が、どうしようもなく愛おしい。
「しかし、堂に入ったものだったな! 君にあんな演技ができるとは思わなかった!」
「宇髄が、いつものようでは鬼は寄ってこないと。いろいろ教えてくれたが、俺はかなり不出来だったらしい。視線の遣り方が違うとか、もっと隙を見せろとか、いっぱい怒られた」
常になく幼い物言いに、思わずキョトンとして冨岡を見やれば、冨岡は先ほどまでの凛々しさなどどこへやら、なにやらしょんぼりとしてさえ見える。まるで稚い子供のようで、微笑ましくすらあった。
「そんなことはない! 君は立派に潜入任務を務めあげた! 誰も君を疑う者などいなかっただろう?」
わずかに小首をかしげる様が、慰められて甘える子どものように見える。ひとたび剣を振るえば勇ましく猛る竜の如くにも見えるのに、頑是ない子供のように煉獄を見つめてくるから、煉獄の胸には恋しさが募るばかりだ。
凛々しく雄々しい剣士としての冨岡も、無垢な幼子のような冨岡も。男の欲を掻き立てる様もすべて含めて、冨岡が好きだと思う。そのどれもが冨岡義勇の一面であるのなら、すべてをこの目にしたい。冨岡のすべてを、いつかこの手にしたかった。
今はまだ、こうして手を握るだけだけれど。
朝はまだ遠い。こんな街では男同士で手を繋ぎ歩いていても、奇異の目で見る者もない。
冷たく冴えた見た目と違い、冨岡の手は、ほんのりと温かかった。