大好きのチョコ
思わず引き留めようとした手を、杏寿郎はそのままグッと握りしめた。行っちゃ嫌だなんて、言ったらいけない。
男の子に向かって走り寄る義勇の背に、胸がズキズキと痛むのはなんでだろう。迷子になって不安だった義勇が安心したのだから、自分だって迎えが来てくれて喜ぶのが当然だ。なのになんでこんなに寂しくて、悲しいんだろう。胸が痛いんだろう。よくわからない。
「ひとりで勝手に行ったら駄目だろ。ほら、今度はちゃんと手をつないでこう」
「うん、ごめんね、錆兎。お姉ちゃんもごめんなさい」
「怪我とかしてないならいいの。でも、もう錆兎くんの手を離しちゃ駄目よ?」
仲睦まじい三人を、離れた場所でポツンと立ったまま見つめる杏寿郎の胸は、どんどんと痛くなってくる。よかったと喜んであげなくちゃいけないのに、さっきまで自分のポケットのなかにあった義勇の手が、錆兎という男の子と繋がれているのがなんだかとっても悲しくて寂しい。義勇にお日さまみたいと言われて熱くてたまらなくなっていた頬は、すっと冷めた。
「じゃあね、杏寿郎。送ってくれてありがとう!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
バイバイと手を振った義勇に、杏寿郎は急いでランドセルをおろすと、買ったばかりのチョコをひとつ取り出した。
小さな包みを手に駆け寄って、ぐいっと義勇に差し出す。
「誕生日おめでとう!」
「え……これ、バレンタインのチョコじゃないの? 俺がもらってもいいの? 弟やお母さんたちにあげるやつなのに……」
「いいんだ! 誕生日なんだから貰ってくれ!」
「……じゃあ、これ、大好きのチョコじゃないんだ」
なぜだかちょっとしょんぼりと義勇が言ったのに、杏寿郎の顔がまた真っ赤に染まる。不思議そうな顔をした義勇の姉や従弟の視線も気にならなかった。すぅっと息を吸い込んで、杏寿郎は大きな声で言って笑った。
「誕生日で、バレンタインだ! 大好きだからあげるチョコだ!」
杏寿郎の言葉に、義勇の手が従兄の手から離れて、杏寿郎が差し出したチョコに伸ばされた。
「大好きのチョコ、うれしい。ありがとう、杏寿郎」
そう言って義勇も、やっぱり花のようにかわいらしく笑った。
二月の商店街は、相変わらず赤やピンクで華やかだ。寒風が吹くなかを、小学六年生の杏寿郎はひとり歩く。ランドセルのなかには、ラッピングしてもらったチョコが今年も入っている。
小学生になって以来、毎年、杏寿郎は二月になるとこの商店街のお菓子屋さんで、チョコを四つ買う。父と母と弟の千寿郎にあげて、残るひとつは、あげられないけど義勇のぶん。
義勇とはあれきり逢えないまま、杏寿郎も来月には小学校を卒業する。
あれから何度かこの商店街に足を運んだけれど、義勇の姿を見ることはなかったし、母が通う病院でも、義勇に逢うことはなかった。義勇の従弟だという男の子も見かけたことはない。
義勇の姉や従弟にもお礼を言ってもらったけれども、連絡先はかわさなかった。一番年上の義勇の姉だってまだ小学生だったのだ。お礼のために連絡先を聞くなんてことは思いつかなかったのだろう。杏寿郎だって、家や電話番号を教えてほしいなんて言えなかったのだから、しょうがない。
逢えないまま、それでもここに来るたび義勇の姿を探してしまうのを、杏寿郎はやめられずにいるし、義勇のための誕生日プレゼントでバレンタインの大好きのチョコも買ってしまう。あげる宛てはないから、チョコはいつでも杏寿郎自身が食べるしかない。
義勇へのチョコを口にするたび、胸のなかに大好きが溜まっていく気がする。今年もきっと、このチョコは杏寿郎の腹に収まるだけだろうし、甘くてちょっぴり苦い大好きの気持ちもチョコのぶんだけ胸に溜まるのだろう。
それは少し切ないけれども、やめるきっかけも見つからないし、そんな気にもなれない。
いつか、また逢えるだろうか。
揺れるピカピカとしたハートのバルーンを見るともなしに見やり、杏寿郎は胸のなかで小さくつぶやいた。
杏寿郎はまだ知らない。春になったら中学校で、きれいな海の色の瞳をした、花のように笑うその人と再会することを。
春は、もうすぐそこだ。