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五月雨と君の冷たい手 後編

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「さて、これから部活に出なきゃいけないんで、あまり時間がない。手短に済まそうか」

 しとしとと降る雨のなか、錆兎は笑ってそう言った。
 委員会が終わったと同時に錆兎にうながされ、連れだってやってきたのは、校舎の裏手にある大きな桜の木の下だ。放課後になってからすでにかなり時間が経っている。雨のせいもあってか、ほかの生徒の姿は周囲にはなかった。

 時間がないと言うわりには、わざわざこんな場所まで出向くなんて、よほど人に聞かれたくない話なのだろうか。
 もしも牽制のつもりなら、ここまでお膳立てする必要はないはずだ。よもや暴力に訴えるということはあるまいが、いずれにせよ、錆兎が味方となるかどうかの正念場であるのは間違いない。対応次第では、錆兎はおそらく、杏寿郎が義勇と関わるのを阻むだろう。杏寿郎の緊張感はいやおうなしに高まった。傘の柄を握る手にもわれ知らず力がこもる。
 錆兎のことを、杏寿郎はよく知らない。学年も違えば部活も違うのだ。接点はほぼない。しいて言うなら同じ体育委員であるぐらいだ。
 とはいえ、クラス代表の委員長でもなければ、顔をあわせる機会は皆無である。実際、学校を欠席した委員長の代理として錆兎が委員会に参加しなければ、杏寿郎が錆兎と会話することなどなかったはずだ。少なくとも、義勇を介さずに錆兎と顔を合わせる事態など、杏寿郎は想定していなかった。
 それでも、ほかの先輩にくらべたら、錆兎について杏寿郎が知る情報は、段違いに多い。
 どうしたって気になる存在なのは確かだが、杏寿郎が望んで調べたわけではない。勝手に耳に入ってくるのだ。


 錆兎はこの学校では有名人だ。たぶん、中等部の生徒ならほぼ全員が、鱗滝錆兎という名を聞いたことがあるだろう。噂話にうとい杏寿郎でさえ、錆兎の名は、教室でも部活でも何度も耳にしていた。
 二年生にしてすでに水泳部のエース。将来的には国際強化選手にえらばれるだろうと目されているほどの実力者。性格は男らしく正義感にあふれ、気さくで頼りがいがある。先輩風を吹かせるようなこともなく、驕り高ぶった態度も一切取らない。礼儀正しく教師の覚えもめでたい模範生だ。
 だからといって堅苦しいわけでもなく、それなりにノリもいいというのだから、ケチのつけようがない。杏寿郎が耳にした錆兎の話は、全面的に好意的だ。押しも押されもせぬ人気者とは、鱗滝先輩のことだと、クラスメイトの水泳部員は我がことのように誇らしげだった。
 女子の人気はとくに高いらしく、初等部から高等部まで広くファンがいる。去年までは、当時三年生だった体操部の先輩とともに中等部での人気を二分していたそうだが、先輩が高等部にあがった今は、女子人気はほぼ独占状態だと聞いたことがある。
 人気のほどを裏づける光景も、入学した当初にはときどき見かけた。
 初等部から持ち上がりの生徒には遠巻きにされていたが、それでも、義勇に話しかけてくる生徒がいなかったわけではない。声をかけてきたのは主に編入組の女生徒で、義勇に近寄るなり開口一番告げるのはいつでも「冨岡くんって鱗滝先輩の従兄なんでしょ?」だった。
 錆兎の噂は学外にも響いているのだろう。従兄である義勇から錆兎の情報を聞きだそうとする女子は、少なくはなかった。
 あまりにも義勇の対応がそっけないものだから、今ではもう、めったに見られない光景ではある。
 そんな女子のうちの何人かは、義勇と会話するきっかけがほしくて錆兎の名を出しただけだったと、杏寿郎が気づいたのはつい最近だ。恋愛ごとにうとい杏寿郎が、自身で思い至ったわけではない。義勇に話しかけてきた隣のクラスの女子が、廊下で友人たちとコソコソと話しているのを偶然小耳にはさまなければ、今も気づけずにいただろう。

 偶然……と言い切るには、少々いたたまれなくもないが。盗み聞きのような真似をしてしまって、あの女子には申しわけないかぎりだ。

 杏寿郎がその少女を意識に止めたのは、義勇に話しかけてきた子だったからにほかならない。だからこそ、廊下で話しているのがその子であるのにも気づいたし、聞こえてきた声につい耳をそばだてもした。
 不躾な真似をしてしまったと反省すべきだろうが、あのときはそれどころじゃなかった。

『冨岡くんってイケメンなのに、本当にもったいないよね。ノリが悪いし、話しててもつまんない。人に無関心っていうか……なんか冷たすぎて、ガッカリしちゃった』

 聞こえたその言葉に杏寿郎が感じたのは、なんとも複雑な衝撃だった。
 勝手なことを言う女子への憤りは当然あった。けれども湧き上がった感情は、怒りだけではなかったように思う。不思議な焦燥にうろたえもしたし、なぜだか悲しいと思いもした。
 この子は義勇を好いていたのか。思った瞬間に、なぜあんなにもショックを受けたのか。自身のことだというのに、いまだに杏寿郎にはよくわからない。
 義勇がみんなと交流を深めることを邪魔するつもりなど、毛頭ない。義勇が好かれるのは喜ばしいことのはずだ。ショックを受ける謂れなどない。むしろ、積極的に、義勇が交流の輪を広げる手助けをすべきだろう。
 けれど、それは誤解だ、義勇はとてもやさしい人なのだと、その子に言うことはできなかった。幻滅されるいわれはないぞと、怒ることも。
 義勇のやさしさを、外見にしか興味なさげなあの子には教えたくない、なんて。なんでそんなことを思ってしまったのか。いまだに理由はわからないままだ。

 表面上は排他的な態度を崩さずとも、義勇は、本当は人が好きなはずだ。杏寿郎はそれを疑っていない。
 クラスメイトには意外に思われるかもしれないが、義勇は人に関心がないどころか、周りのことをよく見ている。事実、具合を悪くしている者がいると、チラチラと気遣わしげに視線を向けていることはままあった。誰も気づいていないときでも、義勇は気づく。そして無表情ながらも心配げな視線を向けるのだ。
 いつも義勇を意識している杏寿郎が、それに気づいたのは当然のことだった。
 義勇の視線の意味に気がつくたび、席を立ち大丈夫かと不調の者に声をかけにいくのは、自分の役目だと杏寿郎は思っている。義勇が声をかけられないのなら、自分が補ってやればいい。
 しかしながら、クラスメイトはみな、杏寿郎が気づいてくれたのだと思うらしく、感謝されるのはいつでも杏寿郎だけだ。
 すぐに否定し、気づいたのは自分ではなく義勇だと告げるのだが、必ず疑わしげにされるし、義勇自身も咎めるような眼差しを向けてくるのが、杏寿郎にとっては少々不満だ。やっぱり君はやさしいなと笑いかける杏寿郎に、義勇からなんの反応も返らないことも、なんだか悔しい心地がした。

 まるで義勇は、自分の価値を自ら放り捨てているみたいだ。

 少し悔しくて、悲しくて、歯噛みしたくなる。それでも、義勇のやさしさに気づく者も、少しずつ増えていくはずだ。廊下にいたあの子は義勇の顔立ちにしか興味がなかったのだろうが、もしかしたら義勇に話しかけてきた女子のなかには、義勇の心根にこそ惹かれた者もいたかもしれない。