忘れないをポケットに。
忘れないをポケットに。
作 タンポポ
1
「みんな、集まったな」
風秋夕(ふあきゆう)は、まだ到着したばかりで、吐息を弾ませている駅前木葉(えきまえこのは)を一瞥しながら言った。
稲見瓶も、磯野波平も、姫野あたるも、ソファに腰掛けている。
二千二十二年一月三十一日の現在、港区の高級住宅街に秘密裏に存在する巨大地下建造物〈リリィ・アース〉。その地下二階のエントランスフロアの東側に在るラウンジにて、乃木坂46ファン同盟の五人は連絡を取り合い、集合したのであった。
時刻は、深夜をむかえそうであった。
「きいちゃんが、卒業する」夕は力無く、そう言った。
「くっ」磯野は顔をうつむけた。
「次の駅で降りようと、決心したんだね」稲見はそう囁いた。
「日常の歌詞ですね。きいちゃんからは、何も聞いていませんでした。卒業されるなんて、一ミリも……」駅前は言葉と表情を詰まらせる。
「嫌でござる~」あたるは堪らずに泣き出した。「嫌でござるよ~……」
二千二十二年一月三十一日に、北野日奈子は乃木坂46公式ブログを更新し、乃木坂46からの卒業を衝撃発表した。
活動は、二千二十二年の四月いっぱいの予定との発表であった。
「サンクエトワールが……、消えていくでござるぅ……」あたるは顔をしかめて泣く。
「最後の一人だったもんな」夕はそう呟いた後で、小さな溜息を吐いた。「サンエト、マジで好きだよ。そうか、きいちゃんが……」
「五期も加入が決定して、きいちゃんもこのタイミングでって決めたんだろうね」稲見は指先に抜き取った煙草に、ライターで火をつけた。「どんなに悩んだだろうね。メンバーには、相談してたのかもしれない」
「乃木坂から、きいちゃんさんの笑顔が無くなると思うと、恐ろしいですね……。それだけ、笑顔の印象があります、きいちゃんさんには……」駅前は、声を震わせながら言った。彼女も、泣いている。
「こんな感じかな、いつも」
風秋夕は、そちら側に微笑んだ。磯野波平も、稲見瓶も、そちら側を見つめた。姫野あたると駅前木葉は、うつむいて泣いている。
「ふうーん……。泣くんだね?」
北野日奈子ははにかんで、小さく笑っていた。
「再現なんて、うまくできないよ」稲見は日奈子を見る。「本人がいる時点で、ベクトルが違う」
「次の駅で降りるんだね、とか上手い事言ってたじゃん」日奈子は鼻筋に皺を作って笑った。「イナッチ」
「自然を演出して、不自然になった」稲見は下手くそな苦笑を浮かべた。
「こんなシチュエーションでよう、なんて言ったらいいかわかんなかったぜ」磯野は弱い笑みを浮かべて、日奈子に言う。「でも、卒業、マジでしちゃうんかよ、きいちゃん」
「うん。するよ」日奈子は笑みを浮かべて頷(うなず)いた。
「今夜は呑まないとな」夕はそう言って、グラスをかかげた。「きいちゃんに、乾杯」
乾杯――という声が集まった。
皆がアサヒのビールを吞んでいた。クリア・アサヒと、アサヒ・ザ・リッチである。ビールはグラスに注がれていた。
「んで、まだ泣いてんの、その二人は……」日奈子は二人を交互に観察する。
「きいちゃんの卒業、待ったでござる~」あたるは涙をふきながら言った。
「私は引き止められませんが、少し泣かせて下さい……」駅前は顔を両手で隠しながら弱々しい声で言った。
「泣いてくれんの、嬉しいよ」日奈子は顕在的(けんざいてき)な笑みで言った。
「久保ちゃんは泣いた?」
風秋夕は北野日奈子の隣を見つめた。そこにはゆっくりとビールを呑んでいる久保史緒里の姿があった。
「あ、はいはい。泣きました」史緒里は真顔で夕に答える。「でもぉ、本格的に泣くのは、これからだと思う」
「嘘、泣いてくれんの?」日奈子はぴょこんと横を振り返ってにやける。
「泣きますよ~」史緒里は砕けた笑顔で言った。「もう意識しちゃうから、いつでもうるっときちゃう」
「しーちゃん! ハーフアップ可愛い!」
「ありがとぉございます。日奈子さぁん! 三つ編み、可愛いです」
「あーりーがーとー! んひっ」日奈子はにんまりと微笑む。「いつもこんなだから、うちら。んね?」
「そうですね」史緒里は屈託なく笑った。
「お。一人泣きやんだぞ」夕は駅前の方を見た。
「あふう~。……はい、落ち着きます。ビール、いただきます」駅前はゆっくりとビールの炭酸を喉の奥へと流し込んだ。「はあ~……。美味しいぃ~……」
また泣き始めた駅前木葉をしらけっつらで見つめていた磯野波平は、ビールをごくごくと呑み込む。
「あー、呑むのはやーい」史緒里は磯野を可愛らしく睨んで指差した。
「そんなに急いで吞まなくても……」日奈子は磯野をまじまじと見つめる。
「ぷあっ~………。呑まなきゃいけねえ夜ってのがなあ、大人にはあんだよ」磯野はソファにふんぞり返った。
「日奈子の方が年上なんですけど……」日奈子は磯野を見ながら言った。
「きいちゃん年上に見えない」夕は笑った。
「あー、ゆったなあー!」日奈子は眼を見開いてリアクションしてから、小悪魔のように夕を威嚇する。「っく……」
「怖くない。可愛い」夕はにっこりと微笑む。
「経験値で言えば立派な大人だよ」稲見は無表情で言った。声に抑揚もなく顔には表情もないが、これが稲見瓶の通常である。「乃木坂で、九年、だからね」
「そうだぞ~」日奈子は夕を威嚇する。
「知ってる。ずっと見て来たよ」夕は新たに日奈子に微笑んだ。「泣き顔も、笑った顔も、しんどい時の顔も、輝いてる顔も。みいんな見てきた」
姫野あたるは、嗚咽をあげて泣き続ける……。
「大人になったね」夕は日奈子に微笑んだ。
「うふんっ!」日奈子はふざけたリアクションでかん高く大きく頷いた。
その場が明るい笑い声に包まれる。
「でもんっと、本人に会えてっからだいぶ違げえな」磯野はビールを片手にそう言った。
「しーちゃんもいてくれてるしな」夕は史緒里に微笑む。「ありがと」
「ふふ」史緒里は笑顔で応えた。
「二十二枚目のシングルできいちゃんと久保ちゃんは仲良くなったよね」稲見はビールを片手に二人を交互に見つめて言った。「名前順が、北野、久保、という事もあって近いから、乃木坂工事中でも隣り合わせになる事が増えていって」
「あーそだね」日奈子は笑顔で史緒里を一瞥する。「心が繋がってるもんね?」
「繋がってますね」史緒里はおっとりとした笑みで答えた。
「うちらね、生まれる前は、一つだったの」日奈子は笑いながら皆に言う。「意味わかる? 生まれてくる前は、一つの存在だったの。うちら。で、生まれてくる時に、二つに分かれたの」
「だから元々は一つなんですよね?」史緒里は日奈子に言った。
「そうなの」日奈子は当然のような表情で皆を見た。
「双子、みたいなものかな」稲見は囁いた。
「そう、なの!」日奈子は納得する。
「さっきさ、きいちゃん久保ちゃんのハーフアップ誉めてたじゃん?」夕は楽しそうに言う。「俺も大好きなの、久保ちゃんのハーフアップ」
「ありがとうございます」史緒里は恐縮する。
「可愛いよねえ!」日奈子は興奮した。
「俺ぁ~ポニーテールだなあ、久保ちゃんは」磯野はビールを放さずに言った。
作 タンポポ
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「みんな、集まったな」
風秋夕(ふあきゆう)は、まだ到着したばかりで、吐息を弾ませている駅前木葉(えきまえこのは)を一瞥しながら言った。
稲見瓶も、磯野波平も、姫野あたるも、ソファに腰掛けている。
二千二十二年一月三十一日の現在、港区の高級住宅街に秘密裏に存在する巨大地下建造物〈リリィ・アース〉。その地下二階のエントランスフロアの東側に在るラウンジにて、乃木坂46ファン同盟の五人は連絡を取り合い、集合したのであった。
時刻は、深夜をむかえそうであった。
「きいちゃんが、卒業する」夕は力無く、そう言った。
「くっ」磯野は顔をうつむけた。
「次の駅で降りようと、決心したんだね」稲見はそう囁いた。
「日常の歌詞ですね。きいちゃんからは、何も聞いていませんでした。卒業されるなんて、一ミリも……」駅前は言葉と表情を詰まらせる。
「嫌でござる~」あたるは堪らずに泣き出した。「嫌でござるよ~……」
二千二十二年一月三十一日に、北野日奈子は乃木坂46公式ブログを更新し、乃木坂46からの卒業を衝撃発表した。
活動は、二千二十二年の四月いっぱいの予定との発表であった。
「サンクエトワールが……、消えていくでござるぅ……」あたるは顔をしかめて泣く。
「最後の一人だったもんな」夕はそう呟いた後で、小さな溜息を吐いた。「サンエト、マジで好きだよ。そうか、きいちゃんが……」
「五期も加入が決定して、きいちゃんもこのタイミングでって決めたんだろうね」稲見は指先に抜き取った煙草に、ライターで火をつけた。「どんなに悩んだだろうね。メンバーには、相談してたのかもしれない」
「乃木坂から、きいちゃんさんの笑顔が無くなると思うと、恐ろしいですね……。それだけ、笑顔の印象があります、きいちゃんさんには……」駅前は、声を震わせながら言った。彼女も、泣いている。
「こんな感じかな、いつも」
風秋夕は、そちら側に微笑んだ。磯野波平も、稲見瓶も、そちら側を見つめた。姫野あたると駅前木葉は、うつむいて泣いている。
「ふうーん……。泣くんだね?」
北野日奈子ははにかんで、小さく笑っていた。
「再現なんて、うまくできないよ」稲見は日奈子を見る。「本人がいる時点で、ベクトルが違う」
「次の駅で降りるんだね、とか上手い事言ってたじゃん」日奈子は鼻筋に皺を作って笑った。「イナッチ」
「自然を演出して、不自然になった」稲見は下手くそな苦笑を浮かべた。
「こんなシチュエーションでよう、なんて言ったらいいかわかんなかったぜ」磯野は弱い笑みを浮かべて、日奈子に言う。「でも、卒業、マジでしちゃうんかよ、きいちゃん」
「うん。するよ」日奈子は笑みを浮かべて頷(うなず)いた。
「今夜は呑まないとな」夕はそう言って、グラスをかかげた。「きいちゃんに、乾杯」
乾杯――という声が集まった。
皆がアサヒのビールを吞んでいた。クリア・アサヒと、アサヒ・ザ・リッチである。ビールはグラスに注がれていた。
「んで、まだ泣いてんの、その二人は……」日奈子は二人を交互に観察する。
「きいちゃんの卒業、待ったでござる~」あたるは涙をふきながら言った。
「私は引き止められませんが、少し泣かせて下さい……」駅前は顔を両手で隠しながら弱々しい声で言った。
「泣いてくれんの、嬉しいよ」日奈子は顕在的(けんざいてき)な笑みで言った。
「久保ちゃんは泣いた?」
風秋夕は北野日奈子の隣を見つめた。そこにはゆっくりとビールを呑んでいる久保史緒里の姿があった。
「あ、はいはい。泣きました」史緒里は真顔で夕に答える。「でもぉ、本格的に泣くのは、これからだと思う」
「嘘、泣いてくれんの?」日奈子はぴょこんと横を振り返ってにやける。
「泣きますよ~」史緒里は砕けた笑顔で言った。「もう意識しちゃうから、いつでもうるっときちゃう」
「しーちゃん! ハーフアップ可愛い!」
「ありがとぉございます。日奈子さぁん! 三つ編み、可愛いです」
「あーりーがーとー! んひっ」日奈子はにんまりと微笑む。「いつもこんなだから、うちら。んね?」
「そうですね」史緒里は屈託なく笑った。
「お。一人泣きやんだぞ」夕は駅前の方を見た。
「あふう~。……はい、落ち着きます。ビール、いただきます」駅前はゆっくりとビールの炭酸を喉の奥へと流し込んだ。「はあ~……。美味しいぃ~……」
また泣き始めた駅前木葉をしらけっつらで見つめていた磯野波平は、ビールをごくごくと呑み込む。
「あー、呑むのはやーい」史緒里は磯野を可愛らしく睨んで指差した。
「そんなに急いで吞まなくても……」日奈子は磯野をまじまじと見つめる。
「ぷあっ~………。呑まなきゃいけねえ夜ってのがなあ、大人にはあんだよ」磯野はソファにふんぞり返った。
「日奈子の方が年上なんですけど……」日奈子は磯野を見ながら言った。
「きいちゃん年上に見えない」夕は笑った。
「あー、ゆったなあー!」日奈子は眼を見開いてリアクションしてから、小悪魔のように夕を威嚇する。「っく……」
「怖くない。可愛い」夕はにっこりと微笑む。
「経験値で言えば立派な大人だよ」稲見は無表情で言った。声に抑揚もなく顔には表情もないが、これが稲見瓶の通常である。「乃木坂で、九年、だからね」
「そうだぞ~」日奈子は夕を威嚇する。
「知ってる。ずっと見て来たよ」夕は新たに日奈子に微笑んだ。「泣き顔も、笑った顔も、しんどい時の顔も、輝いてる顔も。みいんな見てきた」
姫野あたるは、嗚咽をあげて泣き続ける……。
「大人になったね」夕は日奈子に微笑んだ。
「うふんっ!」日奈子はふざけたリアクションでかん高く大きく頷いた。
その場が明るい笑い声に包まれる。
「でもんっと、本人に会えてっからだいぶ違げえな」磯野はビールを片手にそう言った。
「しーちゃんもいてくれてるしな」夕は史緒里に微笑む。「ありがと」
「ふふ」史緒里は笑顔で応えた。
「二十二枚目のシングルできいちゃんと久保ちゃんは仲良くなったよね」稲見はビールを片手に二人を交互に見つめて言った。「名前順が、北野、久保、という事もあって近いから、乃木坂工事中でも隣り合わせになる事が増えていって」
「あーそだね」日奈子は笑顔で史緒里を一瞥する。「心が繋がってるもんね?」
「繋がってますね」史緒里はおっとりとした笑みで答えた。
「うちらね、生まれる前は、一つだったの」日奈子は笑いながら皆に言う。「意味わかる? 生まれてくる前は、一つの存在だったの。うちら。で、生まれてくる時に、二つに分かれたの」
「だから元々は一つなんですよね?」史緒里は日奈子に言った。
「そうなの」日奈子は当然のような表情で皆を見た。
「双子、みたいなものかな」稲見は囁いた。
「そう、なの!」日奈子は納得する。
「さっきさ、きいちゃん久保ちゃんのハーフアップ誉めてたじゃん?」夕は楽しそうに言う。「俺も大好きなの、久保ちゃんのハーフアップ」
「ありがとうございます」史緒里は恐縮する。
「可愛いよねえ!」日奈子は興奮した。
「俺ぁ~ポニーテールだなあ、久保ちゃんは」磯野はビールを放さずに言った。
作品名:忘れないをポケットに。 作家名:タンポポ