忘れないをポケットに。
「あそう、どっちかなの!」日奈子は磯野に興奮して言った。「ハーフアップかポニーか」
「ポニーテールも確かに捨てがたい」稲見は史緒里を見つめて、考え耽(ふけ)る。
「きいちゃんも、三つ編み、超絶可愛いよ」夕は笑顔で日奈子に言った。「三つ編み似合うな~って、いっつも思ってた」
「可愛いよね」史緒里は眼を見開いて夕に相槌を打った。「すっごい、似合うの。ゆるい三つ編みが。編み込みが大きい奴……」
「わかる」夕は頷いた。
「きいちゃんもポニーテールだなぁ~、俺は」磯野はそう言ってビールを呑んだ。
「お前ポニーテールが好きなんだろ」夕は磯野を一瞥する。
磯野波平ははにかむ、を飛び越えてスケベづらで微笑んだ。「へへ。だって可愛いだろうが、ポニーテールはよぉ……」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
北野日奈子と久保史緒里はぺこり、と会釈をみせた。同じタイミングで、ビールを喉にちびっと傾ける。
「おかわり、頼んどこうね」
風秋夕は、この〈リリィ・アース〉を」統括管理するスーパーコンピューターであり、頼れる電脳執事でもあるイーサンに、ビールと新しいフードを幾つか注文した。
「なーに、ダーリン。全然呑んでないじゃん……」日奈子はあたるの顔を覗き込むように窺う。「まだ泣いてんの?」
「泣くよねー……」史緒里は呟きながら、おつまみを口へと運んだ。
「木葉ちゃん!」日奈子は笑顔で駅前を見つめる。
「はい…」駅前は、なんとか涙をふいて、日奈子を見つめ返した。
「んーもう泣きすぎ。んにっ」日奈子は笑う。「だって日奈子がここにいるんだから、今は寂しくないじゃん」
「そうですね」駅前は答える。「けれど、寂しい事に変わりはありません……」
「じゃあ、日奈子さんがいなかったら、もっと凄いって事?」史緒里は周りを見回す。
「そう、だね」夕は苦笑した。「きいちゃんが卒業発表、したら泣くでしょ、普通に」
「うん、やっぱりポニーテールも捨ててはおけないよね」稲見は思考から解放されて、史緒里を見つめた。「どっちも素敵だ」
「なんの話ですか……」夕は嫌そうに稲見を一瞥した。
「いや、独り言」稲見は答える。
「あ~……、ダメでござる、全然、全く、きいちゃん殿が卒業するという自覚がないでござる」
泣く事から解放された姫野あたるを、その場の誰もが注目して見つめた。
「自覚無しで泣いてんのか、それはそれですげえな」磯野はけらけらと笑った。
「実感はしてるって事だよな」夕はあたるに言う。「覚悟が足りないんだろ。でもそれは、まだ時間があるから……て、あんまないけどさ」
姫野あたるは、ごくりごくりと旨そうにビールを豪快に吞んだ。続いて、ばくばくとつまみを食べる。
「小生は、むぐ、必ず、笑顔で見送るで、ござるよ……」
「急いで呑んじゃダメでしょ、ダーリン」史緒里はあたるを叱る。「一緒に何か口にするのは偉いけど」
「すまぬ久保ちゃん殿……、小生、ただいま吞みたい気分でござるよ」
「ちゃんとゆっくり吞んで」史緒里はしっとりとした顔つきであたるを見つめた。
「はい、でござる……」あたるは照れる。
電脳執事のイーサンのしゃがれた老人の呼び声で、〈レストラン・エレベーター〉にアサヒ・ビールが二十一本届けられた事が知らされた。
キャスタの付いた移動式のキャビネットで、稲見瓶は〈レストラン・エレベーター〉から二十一本のアサヒの缶ビールをソファのテーブルへと運んだ。
「音楽でもかけるか」夕はそう言ってから、空中に向かって呟く。「イーサン、きいちゃんが関わってる乃木坂の曲をかけてくれ。どれでもいい」
間もなく、地下二階のエントランスフロア全域に、乃木坂46の『日常』が流れた。
「おお」あたるはにこやかに天井を見上げる。
「日常か」夕は微笑んだ。
「いいな、酒の価値が上がんぜ」磯野は嬉しそうに言った。
「やっぱり、きいちゃんさんと言えば、この曲在り、ですね」駅前はそう言って、カラになったグラスに、新しいビールを注いだ。
「酔っぱらうまで吞もうか、どう?」稲見は、日奈子と史緒里を交互に見る。
「えー。いいよー」日奈子は無邪気に微笑んだ。
「いいよう」史緒里は小首を傾げて、微笑んだ。
2
〈リリィ・アース〉最深部である地下二十二階の施設〈プール〉にて、乃木坂46二期生の北野日奈子と鈴木絢音と山崎怜奈と、OGの堀未央奈と、三期生の山下美月と向井葉月と梅澤美波と佐藤楓と阪口珠美、四期生の賀喜遥香と柴田柚菜と早川聖来と金川紗耶と黒見明香と北川悠理と田村真佑と遠藤さくらは、温水プールでのひと時を楽しんでいた。
乃木坂46ファン同盟からは、風秋夕と磯野波平と稲見瓶が参加している。
男子はハーフパンツタイプの海水ズボンで、女子は水着の上にTシャツと短パンを着用していた。
通称百メートルプールでは、北野日奈子を中心としたメンバー達がプールの中で何やらについて語り合っていた。
「日奈子も卒業だね」未央奈はきりりとした大きな瞳で日奈子を見つめた。「も、みんな卒業してっちゃうね、二期生も」
「まずはまいちゅんからね」日奈子はにこっと笑った。「私はぁ、四月までまだ時間あるから」
「あっという間だよね」怜奈は感慨深く囁いた。「不遇の二期生人生も、そう悪いもんでもなかったなー」
「不遇とか言わないの」未央奈は玲奈を一瞥した。
「頑張っては来たよね」絢音は周囲の皆の顔を見回して言った。「やれる事はやった」
「絢音はこれからもまだあるでしょう」未央奈は言う。「卒業しちゃうの?」
「ううん」絢音は微笑む。「まだしなーい」
「私も最後まで残ってやろうとか思ってるけど」怜奈は笑いながら言った。「どうなんだろうね。先の事は誰にもわからないからなー」
「みんな、スタイルいいよね。にひっ」日奈子は悪戯に微笑む。「ちょっと男達の前でTシャツ脱いでみて来てよ」
「こーら!」未央奈は粛正する。「ほんと子供なんだから。大人になりなさい」
「日奈子大人だもーん」日奈子は笑んだままで眼を反らす。「ただ言っただけじゃん」
「すっごい、なんか楽しんでるよね」絢音はそちら側を見つめながら囁いた。視線の先には三期生達の姿がある。「青春なのかなー……」
「あでも、そうじゃない? うちらって、みんな乃木坂が青春みたいなもんだったじゃん」未央奈は眼をぱちくりとさせて言った。「全盛期なんじゃないの」
「波平のあの嬉しそうな顔。んふっ」日奈子はそちらを眺めながら笑った。
「あれ。今日ダーリンいないね?」絢音は気が付いたかのように呟いた。
「あ。木葉ちゃんもいなぁい……」怜奈も呟く。「お仕事、かなあ?」
「うちらプールにいるんだよ? ダーリンが仕事以外で来ないわけがないじゃん!」日奈子は可笑しそうに言った。
「えでも木葉ちゃんは、別に、女の子だし」怜奈は考えながら言う。「そんなに興味はないでしょう」
「乃木坂の、んもう、大ファンなんだよう?」日奈子は顕在的に大きな瞳を見開いて、怜奈に言った。「そうの乃木坂が、プールで遊んでるんだよ? 水着で、あTシャツ着ちゃってるけどさぁ。仕事以外で来ぉないわけないじゃん!」
作品名:忘れないをポケットに。 作家名:タンポポ