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甘求者

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筒井家を離れ、次の仕官先も特に積極的に探すでもなく城下をぶらぶらと歩いていた左近は、なんとなしに視界に入った甘味処にふらりと立ち寄った。

わざわざ買って食べるほど甘いものが好きというわけではなかったが、気がつけば足は吸い寄せられていて。
とはいえ店内の座敷は若い娘たちで埋まっていたので、頼んだ団子と茶を手に、追いやられるように軒先の長椅子に腰掛けた。

そこかしこで戦が勃発している世の中、こういう賑やかな人の往来は心を休ませてくれる。
流れに乗って足早に進み続けるのもいいが、ときには立ち止まって辺りを見渡す余裕も大切かもしれない。


「お隣、失礼するよォ」


団子を口に含んだちょうどそのとき、頭上に影が下りて左近は顔を上げた。

……でかい御仁だ。

こちらが座っていることを差し引いても十分な身長であることが判る。
自分も背丈にはそれなりの自信があるが、この男はそれ以上だ。


団子を啌えたまま「どうぞ」と言って相手の空間を広めにあけてやると、男は垂れ目がちな細い目をさらに細めて「どーも」と笑い、こちらと同様団子と茶を持って隣に腰を下ろした。

当然といえば当然なのだが、座ってもでかい。
しかしただ背が高いだけというわけではなく、肩や胸はがっしりしていて無駄がない。
筋肉の付き方からして武人であることは間違いなさそうだが……なんというか、緩い。

服装もだいぶ着崩していて胸元はざっくりひらいているし、顔付きも引き締まっているというよりは弛緩している(まあこれは単に団子を食って幸せに浸っているからなのかもしれないが)。
それ以上に、纏う雰囲気が緩い。
穏やかとはまた違う、気怠そうなものを感じる。


横目でこっそり観察していると、視線に気付いたのか男はこちらに顔を向けて意外そうに訊ねてきた。


「…お宅、甘いもの好きなの?」


言われて手元の団子を見下ろす。
みたらしや餡がついたものではなく、少し砂糖が混ざっただけのほんのり甘い素朴な団子。


「まあ……嫌いじゃないってとこですかね。そういうあんたは?」

「好きだねェ、甘いもの」


逆に問い返してやると、予想通りの答えが返ってきた。
緩い顔をより緩ませて頬張る様を見れば誰もそれを疑うまい。

が、残念なことに見るからに自分と同じくらいの年齢……俗にいうおじさんなわけで。
よくよく見れば左眉の上には古い傷も走っていて。


「……顔に似合わないって、よく言われません?」

「んー、確かに言われるけど、お宅もでしょ」

「…浮いてる自覚はありますよ」

「じゃなきゃあ外で細々と食わないよねェ。拙者もだけど」


高い位置でひとつにまとめた長い黒髪を揺らしてくつくつと笑った男は、いい歳して場違いなところにいる者どうし近いものを感じたのか、己の膝に肘を突くようにして軽く身を乗り出してきた。


「…なんでだろうなァ。お宅とは初めて会った気がしない」

「……なんですか、そのベタベタな口説き文句みたいな台詞」


苦笑いを浮かべて左近が茶を啜ろうとするが、湯飲みを持ち上げた手はひと回りほど大きな手に掴まれて止められてしまう。

まだ十分熱い茶が残っている湯飲みから危うく中身を零しそうになり、抗議しようと顔を上げると猛禽類を思わせる鋭い視線がまっすぐ向けられていて。


「拙者、口説くのは得意だよォ…?」


あんまり真剣にそんなことを言われるとなんだか変な気分になってくるが、左近は誤魔化すように不敵に笑ってみせる。


「俺も言葉には自信がある。…まあ、おじさんを口説く趣味はありませんがね」


やんわりと相手の手をどかして茶を口に含む。じっと見つめられると落ち着かないが、ここは気付かないふりを通しておこう。

そんなこちらをどう思ったのか、男はまだ半分近く残っている団子と茶を持ったままゆっくり立ち上がった。


「じゃあ、次に会うことがあったらおじさん本気で口説いちゃおうかな」

「そりゃ楽しみだ。ちなみに、人の茶を零しかけたんだ、減点発進ですよ?」

「えぇ? ちょっと手厳しいんじゃないの?」


余裕に満ちていた顔が途端に引き攣る様が面白くてつい肩を揺らして笑ってしまう。
底の知れない男だが、案外人間くさくて判りやすい性格かもしれない。


「口説くの得意なんでしょ? 頑張ってくださいよ」

「そうだなァ……ご褒美があったら頑張れそうかな」

「ご褒美?」


意地悪く言ってやってから茶に視線を戻した左近には、男の細い目の奥に怪しい光が射したのは見えていなくて。

不意に顎を持ち上げられたかと思った直後には、ちゅっと音を立てて唇と唇が触れ合っていた。


「ーー!?」

「…あ、これ前祝いね」


すぐに離れた男がそんなことを言いながら立てた人差し指を口に当てて、片目を瞑ってお茶目に笑ってみせる。
事態を理解できずに息をすることも忘れていた左近だったが、団子を持った手の甲で相手の感触が残る唇を緩慢な仕草でごしごしと拭う。


「あんた……いったい何考えてんですか…」


ゆらりと立ち上がり静かに訊ねる。
なんだろう、この混乱と怒りと羞恥と呆れがごちゃごちゃになった感情は。
というかこの男誰なんだ。普通じゃない。

男は左近の異変を感じ取ったのか、そろそろと後退しつつ苦笑した。


「い、いや……おじさん二人のことなんて誰も見てないし大丈夫だよォ……って、あれ? お宅ちょっと、老けた…?」


…自覚なしなのか?
悪気はないと? 天然だと?
いやこの際なんだっていい。

老けたか、だと…?


「あんたのせいでしょうがあ!!」

「ええ? あんな一瞬でそんなに老けるかなァ…」

「どうでもいいんで何発か殴らせてください」

「それはちょっと……拙者痛いのは好きじゃないもんで。あ、そうそうお宅名前は?」

「あんた俺に喧嘩売ってんですか」


こんな危ない人に名前なんて教えたらどうなるか判ったもんじゃない。
判りやすい性格かもなどと一度でも思ってしまった自分を呪いつつ、左近が頭ひとつ分ほど大きな相手を睨み上げると、男はひょいと団子を差し出してきた。


「これ、残りどうぞ」

「……」


残り、という意味を考えるまでもなく食べかけのものだ。
なにが悲しくて見ず知らずのおっさんの食いかけの団子を俺が処分しなくてはならないのか。

しかし、生来より世話焼きである己の口から出たのはそんな不満ではなくて。


「…甘いものは好きなんじゃなかったんですか」

「団子なんぞよりもっと甘いもの、さっき頂いちゃったんでねェ」

「……」


こんなにすごい勢いで後悔したことなんて今までにあっただろうか。

少し厚めの唇をぺろりと舐める男を視界から外し、のろのろと椅子に座り直す。
なんだか更に老け込んだ気がする。


「まあ、また会ったらお手柔らかに頼むよォ」


男は団子の皿を椅子に置くと、楽しそうに笑ってその場を去っていった。

…なんだったんだ、あの男は。二度と会いたくない。
どっと押し寄せてくる疲労を感じながら、左近は残りの茶を一気に飲み干した。


+++


それからひと月近く経った頃。
作品名:甘求者 作家名:緋鴉