甘求者
左近が牢人になってから世話になっている宿から出てくると、通りに人だかりができていることに気付いた。
こんな朝っぱらから何事かと思ったが、日はとうに高く登り時刻も昼時。
どうも最近は生活が不規則になっていけない。
あくびを噛み殺して怠い身体を引き摺り、集まっている人々の頭の間から中の様子を窺ってみて、眠気は一気に吹き飛んだ。
「さあさあ見てくんなァ。無刀取りのお披露目だよォ」
均整のとれた長身に、高い位置でまとめた長い黒髪。
緩んだ口調に緩んだ顔。
間違いない。
とっくにどこぞの地へと移ってしまっただろうと思っていた、あの甘味処の男だ。
まさかまだ大和に残っていたとは…
呆然と立ち尽くすこちらには気付いていないようで、男は輪の中心でもう一人男を立てて演武を披露している。
それは不思議な演武だった。
よく見る打ち合いの類ではなく、一方は刀を持っているが一方は持っていない。
持っている側が打ちかかった刀を、無手側が流れるような動きでいなして奪うというものだ。
なにが起きたのかと湧く観衆同様、左近も呆気にとられていた。
確かに体つきや眉の傷から武に通じた人物だろうとは思っていたが……何者だ、あの男。
何種類か演武を披露すると、男は礼儀正しく一礼して幕を下ろした。
拍手や感嘆の声と共に徐々に散っていく観客に紛れて左近もその場を離れようとしたのだが、つい最後まで見入ってしまったのが運の尽き。
「あー待った待った!」
人と人の間から伸びてきた長い腕に手を掴まれた。
余程慌ててこちらに来たのだろう。振り返るとつんのめりながら前屈みになって必死に手を握ってくるあの男の姿。
「せっかく最後までいたんだから少し時間もらえないかなァ…島殿」
「あんた…」
名乗った覚えはない。
つまり、どんな手を使ったか知らないが調べたのだ。
含みのある微笑を浮かべてみせる相手に、警戒の色を隠さず対峙する。
そんなこちらに片目を瞑り、男は共に演武を行った男たちに解散を告げた。
「さてと…ゆっくり話したいし、とりあえず場所移そうか」
左近はそう言って促してくる相手を一瞥し、大人しく男に従った。
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「…で、ゆっくり話せる場所が飲み屋ですか」
「んん? もしかして、拙者の家とかの方がよかったかなァ」
真っ昼間とはいえこういった酒の店は混み合っている。
確かにゆっくり話はできるかもしれないが騒がしいからと、男は店の者に座敷づくりの個室を用意させた。
が、男女ならともかく男同士で個室というのは少々落ち着かない。
適当に話して適当に帰ろうと左近が内心思っていると、机を挟んだ向こうから杯に酒を注ぎつつ冗談めかして男がそんなことを言ってきて嫌な予感がした。
「家? …あんた、この辺に住んでるんですか?」
「そう、生まれも育ちも大和。同郷なんだからそんなに構えないでほしいんだけどねェ」
初対面で男相手に接吻を仕掛けておいて構えるなと言われても無理があるが、そこはひとまず置いておくとして。
ここら一体で腕が立つという噂の人物を、一人知っている。
実際に会ったことはないが、その人物は想像の中ではもっと堅物で節度があって厳格で。
…まあ、想像というか理想というか。
とにかくそれを取っ払って現実を見てみれば。
「……さっき、無刀取りって言ってましたよね。…まさかあんた、」
先の弟子のような男たちに加えてこの余裕。
どこぞの武将という感は見受けられないが、あの腕と覇気。
もしかして、この男。
探るような目を向けるこちらに男は参った参ったと苦笑し、もっと雰囲気のあるときに言いたかったのになどとぶつくさ言いながら改めて口を開いた。
「――お察しのとおり。拙者、柳生宗矩と申す」
雰囲気のある中で名前を教えてどうしたかったのかは理解できなかったが……柳生、やはりそうか。
無刀取りという単語だけで気がついてもよかったほどだ。
演武で立ち回った男は門下生といったところか。
納得すると同時に、左近の目には剣呑な色が滲む。
酒が並々と入った杯に口を付けて、低い声で訊ねた。
「……大剣豪さんが俺なんかになんの用です?」
「まあまあそんなに怖い顔しないで。別におじさん何も企んでないんだから」
「教え子を探してるんならほかをあたってもらえませんかね。今更型なんて覚えられないんで」
「そうだねェ……こっちとしても、教えるならもっと素直で判りやすい子がいいかなァ」