月に想う
さわさわと湿った空気が肌にまとわりつく、少し肌寒い森の中。
月が傾きかけた時分は、夜明けまでまだ暫く猶予があることを顕している。
星が強く瞬く空は暗闇などではなく、周囲に灯りもない場所でも十分な視界を確保できた。
そんな中、殊更目を惹く人物が無言で空を仰いでいた。
裾に燃え上がる炎の模様を施した白い羽織と、先が赤く染まった金色の鮮やかな髪。
そこにいるだけで自然と視線を集めてしまうその人物こそ、炎柱ーー煉獄杏寿郎だ。
「……」
そして周囲の景色から凄絶に浮かび上がって見えるその男を、やや離れた木の上から眺めていた男ーー宇髄天元は、やれやれとばかりに細く息を吐いた。
…いつまでああしてるつもりかねぇ。
元々煉獄はこの森に任務のために訪れたらしい。
宇髄がここに来たときには既に煉獄が隠たちに指示を飛ばしているところだった。
その後鴉を飛ばしたと思ったら、これまで張り上げていた声も引っ込めて唐突に空を見上げ、そのまま立ち尽くしているのだ。
作業を終えた隠もとうに撤収しており、今やあいつ一人そこに佇んでいる。
きりのいいところで顔を出すつもりだった宇髄だが、どうにも間を逃してしまった。
…しかし立ち姿まで様になっているのだから、本当に煉獄という男は人心を惹きつける。
おそらく方角から鑑みて月を見ているのだろうが、別段美しい満月というわけでもなし。普段と変わらない少し欠けた月だ。
時折り雲に呑み込まれては姿を現し、徐々に沈んできている。
このまま朝まで突っ立ってる気じゃねえだろうな…
「……」
一度思い立つと、なんだか本当に朝までいそうな気がしてきた。
第一風邪でもひいたらどうするんだ。…いやまあ鍛えているのだから易々と風邪などひかないだろうけれどもそれはそれとして。
座り込んでいたおかげですっかり固まった膝を伸ばし、宇髄は殺していた気配を晒して木から飛び降りた。
途端、ぼんやり佇んでいただけの煉獄が刀の柄に手をかけて無駄のない体捌きでこちらを振り返る。
「よぉ、煉獄」
「……、宇髄…」
何者かが近づいてくるということには気がついていたはずなのに、こちらを認める煉獄の表情は驚きに染まっている。
どこか戸惑っているようにも見えるその姿に違和感を覚えた。
普段泰然としている煉獄の、動揺するような素振りは戦いの最中であってもこれまで見たことがない。
そんな胸中を悟られないよう宇髄はあっけらかんと笑ってみせる。
「なに幽霊でも見たような顔してんだよ」
「ああ、いや…。君が何故ここに?」
取り繕うような笑顔を張りつけてはいるが、やはりいつものこいつではない。
「昨日の時点で鬼の寝ぐらは掴んでたからな。日が沈んですぐ突撃して任務完了だ」
「ほう、さすが宇髄だな!計画的に物事を進める手腕、見習わねば」
「おうおう、好きなだけ見習ってくれ。俺は神だからな、崇めて損はねえ」
腕を組んで大仰に言い切ってやると、煉獄は声を出して笑った。
「んで、帰りにたまたまお前を見つけたってわけ」
「それはまたすごい確率だな。帰路に森の中を選ぶとは、やはり忍の性なのか?」
本当は煉獄がこの近辺で今夜任務にあたることを事前に知っていたため、己の仕事を速攻で終わらせ会いにきたのだが、聞きようによってはつけまわしているようでそれはとても言えない。
ふとしたときに無性にこいつの顔を見たくなるのは、自分自身にない眩しさを恋しく思うからだろうか。
会話をすれば他の連中と比べても楽しいし、裏表のない態度にこちらも気が軽くなる、自然と探してしまう相手だ。