月に想う
…やっといつもの調子に戻ってきた。
なんの忌憚も翳りもない笑顔。
ざわついていた心が凪いでいくのを感じる。そして同時に、俺がこいつの笑顔を引き出したのだという高揚感。
煉獄の隣に並び立ち、宇髄は空を見上げた。
「…で、お前はひとりで月見か?」
「……。…まあ、そんなところだ」
またもや言い澱む相手をちらりと横目で窺うと、どことなくはにかむような微笑を浮かべていて。
すとん、と腑に落ちた。
…ああ、なるほど。
「…煉獄。お前想い人いるだろ」
「なっ、なんだ藪から棒に…」
なんだよ、焦るなよ。
それじゃあ認めてるのと同じじゃねぇか。
つい先程芽生えた高揚感はどこかに消え去り、代わりに気管を掴み上げられるような息苦しさに襲われる。
潰れそうな胸の痛みに、今まで薄々勘づいていた己の気持ちを突きつけられた。
ただの憧れかと思っていたが、この感情はそんな綺麗なものではないらしい。
溢れ出す嫉妬心は大人気なくて笑えてくる。
……俺は、煉獄に惚れているのだろう。
しかしそんな気配をおくびにも出さず、宇髄はにっと笑ってみせた。
「照れることねーだろ。月に誰かへの想いを寄せるなんて、風情があっていいじゃねえか」
「そうではない…っ、月を見ていたのは君に似ていると思ったからだ」
「……え?」
余裕ある対応で乗り切れたと安堵したのも束の間、慌てて言葉を重ねる煉獄に反応し損ねてしまった。
困ったように美しい双眸を伏せ、はっきりと言い切るこの男にしては珍しく言葉を選んでいる。
「その…月の銀色が、君の髪に重なって見えて……見惚れていたら、本当に君が来たから驚いた。どんな顔をしたらいいか分からず……すまない。」
一瞬夢でも見てるんじゃないかと疑った、と言って小さく笑う眼前の男に、自覚できるほど鼓動が大きくなっていく。
いや見惚れていたって言っても限度があるだろう。
どんだけあの木の上で待ってたと思ってるんだ。
だが待て。じゃあさっきの吃驚した表情も、はにかむように笑った可愛い顔も、全部俺のことを考えていたから…?
「なあ、煉獄ーー」
「そういうことだから、俺に想い人などいない。この話はこれで終いだ!」
「いや待っーー」
「そういえば腹が減ったな!このあと蕎麦でもどうだ、宇髄!」
聞けよ!
てか、こんな真夜中にやってる店ねぇよ!
…違うな、待つのは俺か。
煉獄にとって、星の数ほどいる他人の中から月を見て連想してもらえる位置付けになっているだけで十分だろう。
自分の想いに気がつくことができたのだ。
この先はどうにでもなるし、その自信はある。
青白い月明かりが降り注ぐだけの闇夜では、こいつの表情を細かく観察することはできない。
できないけど、
「いいなぁ蕎麦!町戻って店探そうぜ」
「うむ!すっかり身体が冷えてしまった。鴨南蛮が食いたいな!」
今は、隣にこの笑顔があるだけでいい。
何気ない仕草で煉獄の肩に腕をまわすと、ぴくりと相手の肩が跳ねる。
色彩を正確に捉えることができないが、僅かに耳の先が色付いて見えるのは気のせいではないかもしれない。
「…宇髄、歩きにくい!」
「寒いんだろ?俺体あったけーの。分けてあげる」
「そ、そうか。そういうことなら有り難くいただこう」
こうしてなし崩しにして距離をつめていって、いずれは目を背けることができないくらい心を捕えてみせる。
そう決意を固めたとき、ちょうど顎のあたりにある金色の髪からふわりと理性を揺さぶる甘い匂いがして。
「……、」
煉獄を落とす前に我が身がもつだろうか…
のろのろと視線を横に逃し、一気に自信をなくす宇髄なのであった。
fin.