泡沫
「…はあー、随分な厚遇だねェ、島殿」
「自分でも驚いてますよ」
妬みや忌憚が一切ない純粋な感嘆の声が、だだっ広い屋敷の前にぼそりと落とされた。
口を半ば開いたまま突っ立って、まるで見たことのない建築物でも目の当たりにしたかのような隣の男の反応に、左近は自嘲気味に笑った。
「こんなとこにずっといたら目立ちますよ」
あんたただでさえ上背があるんだから、と長身の相手一一柳生宗矩に小さく微笑し、左近は屋敷の中へと先に足を踏み入れた。
ここが己の居住地になってから少し経ったが、分不相応な気がしてまだ慣れない。
まあ、置いて行かれないようきょろきょろしながら後ろにぴったりついてきている男に比べれば落ち着いたものだが。
幾月か前、左近は羽柴秀吉子飼いの将、石田三成に請われて仕官した。
初めこそ城下に家を借りて登城する生活を送っていたが、それもすぐに終わりを告げる。
三成は参入したばかりの左近を城の敷地内に住まわせようとしたのだ。
恐れ多いと感じ入る質でもなかったが、なんだか面倒なことになりそうでとりあえず断った。
近い方が便利だろうという言に対し、城下だってそんなに変わりませんよと笑って返し。
何か入り用なものがあればすぐに用意させられるぞという言に対しては、必要なものは自分で揃えますからとかぶりを振り。
言われるたびにやりすごしていたのだが。
左近貴様俺に何かあって遅参したらどうするのだという半ば脅しの入った問いには言葉が詰まってしまい、結局あれよあれよという間に三成の屋敷のすぐ近くに自分の屋敷が設けられた。
「あんただって秀次さんに寄生してるんでしょう? それなりの処遇を受けてるんじゃないんですか」
一室に通して適当に座るよう促しながら訊ねると、宗矩は腰を下ろして胡座をかき苦笑した。
「ただの用心棒みたいなもんだもの。生活に余裕はないよォ」
「…ま、そうでしょうよ。金ってのは貯めようとしないと貯まりませんからね」
昼夜問わず酒を好み、無頼漢とまではいかなくともそれに近い生き方をしているのだから余裕のある生活など望めまい。
遊び人とは違うが、自分のためなら金を惜しまないといったところか。
揶揄するように言って障子をあけると、気にした様子もなく日当たりのいい縁側に宗矩はのそのそと移動する。
「じゃ、今度からは島殿に面倒見てもらおうかねェ」
「冗談。あんたみたいな大食漢の世話できるほど俺も持ってませんて」
「でもお好きでしょ?」
くつくつと肩を揺らして笑う男に嘆息し、食えない御仁だとぼやきながら左近は部屋をあとにした。
残された宗矩はぐるりと屋敷を見渡す。
あまり生活感のない、さっぱりとした空間は本人の性格を顕しているのかそれとも持て余しているだけなのか。
どちらにせよ、身の丈に合わないと思っているであろう左近の胸中を想像すると同情してしまう。…口には出さないが。
「石田殿、ねェ…」
差し込んでくる冬の優しい日差しに目を細めつつ、宗矩はぼそりと呟いた。
ここまでして左近を手元に置こうとする気持ちはわかる。
少々言葉が過ぎてしまうか、もしくは足りないが為に不要な敵を作りがちな三成自身の性格をよく解した上での正しい人選だろう。
しかし、選ばれた側の左近はどうだ。
苦労することは火を見るよりも明らか。
自分ならまず受けないような話だ。
確かに世話焼きなところはあるものの、面倒を自ら買って出るような性格ではなかったと思うが…
「島殿もとうとう焼きがまわったかァ…」
残念だと呟き湿った溜め息を吐く宗矩の頭上に、不意に影が下りた。
「…誰が焼きがまわったって?」
「痛っ」
固いもので後頭部を小突かれて振り返ると、左近のげんこつ…などと可愛いものではなく、無機質な盆の縁だった。
「もので突くなんて…愛情が足りないんじゃない?」
「これでもまだそんなこと言いますか」
たいして痛みなどなかったがわざとらしく後頭部をさすってみせる宗矩に、左近は呆れ気味に言いながら手にしていた盆を相手の目線まで下げてやる。
そこには二人分の湯飲みと饅頭がのっていて、途端に宗矩の表情はぱっと明るくなりいつもに輪をかけてへらりと弛緩した。
「いやァ、気遣わせてるみたいで悪いねェ」
「そんなんじゃないですよ。お茶菓子は切らさない主義なんで」
「そんなこと言って、島殿間食しないじゃない。こりゃあ拙者がマメに来てあげなきゃ傷んじゃうねェ」
おじさん忙しいのに参ったなァと肩を揺らして笑う様は愉しそうで、つられて左近も小さく笑った。