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泡沫

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「素っ気ないなァ。気持ちだけじゃあ面白くないじゃない」


宗矩は胡座をかいていた足を縁側の外に投げ出し、ごろりと仰向けに寝転がると芝居がかった溜め息をひとつ落とした。
その様子に左近はふむ、と顎に指をかけて思案する素振りを見せるが、たいして考えを巡らせるでもなく適当に口を開く。


「そんなに心配してくれるんなら、それなりの距離にいればいいじゃないですか」

「んん?」


転がったまま小首を傾げる宗矩に横目を投げ、改めてでかい身体してるなと呆れつつも左近は言葉を続ける。


「俺はあんたの目の届くところには留まらないが、あんたが俺から目を離さなければ問題ない」


特に他意はなく、思いついたことをそのまま口にしただけだったのだが。
宗矩は細い目を天井からそろそろとこちらに向け、ゆっくりと上体を起こすとまるで聞いたことのない言語を耳にしたような奇妙な面持ちで見つめてきた。


「……」

「…なんですか」

「……やっぱり拙者、夢見てるのかも」

「はい?」


ぼそりと小さく呟くなり、宗矩は無造作に左近の両肩を掴み体重をかけ、勢いのままに覆い被さると腰を跨いで唇を重ねた。


「ちょ……ッなん…!」


強く背中を打ちつけるも痛がる隙すら与えてもらえず、左近は訳が判らないまま強引に唇を割り舌を弄ってくる相手に翻弄される。

ぬるりと舌を絡め取られて強く吸われ、呼吸さえ奪われる。
本人の背を滑ってきたのか、宗矩の黒髪の房が首筋にさらりと落ちてきて思わずびくりと身を強張らせた。

逃げようにも己よりもがたいのいい男に馬乗りにされてはどうにもならず、歯列をなぞられたり唾液を流し込まれたり唇を噛まれたりとされたい放題だ。
どちらのものともつかない熱っぽい吐息が深い口付けの間隙に漏れる頃には、下腹部に着物の上からでも判る固い肉棒が擦り付けられていた。


「…はあっ、」


ひとしきり口腔を蹂躙し、こちらの唇を最後に軽く吸って顔を離した宗矩は、すっかり体温の上がった右手を左近の袷に滑り込ませる。

ーー直後、左近は漸く自由になった左の拳で渾身の一撃を宗矩の頬に叩き込んだ。

完全に油断していたのか、馬乗りになっていた長身はぐらりと傾いて左近の隣へと崩れ落ちた。
床に突っ伏した男を尻目に左近は呼吸を整え身体を起こす。


「急に何すんです…」

「…それ、島殿が言う…?」


…まあ、確かに我ながら結構いい具合に入ったと思うが、顎は外したのだから許してほしい。
しかし大剣豪とはいえ痛いものは痛いらしく、殴られた頬にそっと両手を当てがいもぞもぞと丸くなって震えていた。


「今のは流されるところでしょ…」

「いきなりはナシですよ。びっくりしてほら、手ぇ出ちゃうんだから」

「……、冷静に機会窺ってたくせによく言うよォ」


徐々に回復してきたのか、のろのろと座りなおす宗矩に左近は苦々しく告げる。


「…あんたのその前触れなく盛るところ、どうにかならないんですかね」

「いやいやだって、島殿が夢みたいなこと言うから、気持ちいいことして現実かどうか確かめようとしただけだって」

「夢みたいなこと?」


問い返す左近に、宗矩はこくりと頷く。


「そばにいて欲しいだなんて甘い台詞、島殿の口から出たら夢だと思うでしょ」

「……そばにいて欲しい?」


俺、そんなこと言いましたっけ。

目を点にして重ねて問い返す。
言った言わない以前に、この危険極まりない男を前にしてそんな発言思い付きもしないだろう。
理由は簡単だ。端的に言うと少々可哀想な感も否めないが、そばにいて欲しいと思ったことがないから。

…この御仁、本当に夢でも見ていたんじゃなかろうか。


怪訝そうに眉を潜める左近の記憶をどうにか掘り起こそうとする宗矩は、やだなァと苦笑した。


「俺を捕まえててくれって、顔を赤くしてお願いしてくれたじゃない」

「……」

「そのくせ拙者の手元にいるつもりはないっていうんだから…」

「……」


どこか恍惚とした表情で、もの思いに耽るように雲が覆う空に視線を投げる宗矩に。


「…蠱惑的だよねェ」

「……」


何も言えなくなってしまった。

世の中様々な人間が存在するが、存外個人の能力というものはある程度均衡が保たれているものなのかもしれない。
例えば主君の石田三成。政に関して人並みならぬキレを見せる反面、協調性に欠ける。
この大剣豪も、天賦の才とも思える剣の腕を備えているにも関わらず、思考回路が時折不具合を起こすようだ。


「そういうことで、島殿、」

「…なんです」

「夢じゃないって確かめるの、協力してくれないかなァ」


柔和な微笑を浮かべて再び肩に伸びてくる宗矩の手を、左近は容赦なくはたき落とす。


「さっき殴られて、痛かったんでしょ? 十分現実ですよ」

「えぇー…」

「えーじゃなくて。そろそろお引き取り願えますかね。夕方には殿のところに行かないと」


子供のようにぶうたれる男に帰宅を促すと、宗矩はやれやれとばかりに残りの茶を飲み干した。


「島殿が忙しくなると寂しくなるねェ…。おじさんもついて行っちゃおうかな」

「これまでだって頻繁に会ってたわけじゃないでしょうに…」

「お互い不自由になるとものの見方が変わるってことかァ」

「俺は別に変わっちゃいませんがね」


相変わらずの微妙に噛み合わない応酬をしつつ湯呑みを盆に置いて立ち上がる宗矩。
素直に帰る姿勢を見せる男に意外な眼差しを向けると、きょとんとした顔が返ってきた。


「どうしたの島殿。ほら、行くんでしょう?」

「…あぁ、いや、俺は夕方までに行けば問題ないんで」

「早く行けば早く用事が終わるじゃない」

「えーと…これはあんたも来るってことですかね」

「だって拙者暇だから」

「……」


部外者が来たところで当然同席などできず、良くて別室、最悪外で待つ羽目になるのだが。
それを言ったところで考えを曲げる男でもない為、左近は諦めて腰を上げた。


「……じゃ、番犬として連れてくってことで」

「承知」


満足げに頷く宗矩に苦笑し、こんな見上げるような番犬がいたら恐ろしいななどと思う反面、実際雇うことができたらどれだけ心強いか…とも思う。

思うだけで、口にはしない。してはいけない。

それが気付かぬうちに暗黙の了解になっていた。
決して、一方向では交わることのない運命の上を生きているのだろうから。


「石田殿の茶、一度でいいから飲んでみたいんだよねェ」

「番犬は水で十分だと思いますけど」

「うわ…、エグいね島殿。島殿の茶だって美味かったよォ」


この世はままならないことが多すぎる。
人の命運なんて最たるものだ。
だからせめて、泡沫の今を愛でよう。

一歩前を歩く左近の口元に浮かんだ小さな笑みは、宗矩に見つかることなくそっと消えた。


fin.
作品名:泡沫 作家名:緋鴉