翻弄
煉獄杏寿郎は、人の嘘を見抜くことが得意だ。
気配が戸惑いに揺れるのが肌でわかる。
だから、蝶屋敷で療養するこちらを気にかけて宇髄がものすごい勢いで駆け込んできたことに対し、本人はたまたま通りがかって立ち寄っただけだなどという苦しい言い訳をしてきたが、それが見え透いた嘘であることなどすぐにわかった。
「…目が見えてねえって、本当か?」
宇髄の、表面だけは日常会話でもするように取り繕った声音が優しく響く。
こちらが上体を起こしている隣の寝台に腰掛けたのか、ぎしっと木が軋む音がした。
「うむ。だが他は大事ないぞ」
瞼を閉じたまま、心配を押し隠す相手を安心させるように笑みをのせて頷いてみせる。
昨夜、任務で討伐した鬼の血鬼術により、一時的に視覚が機能しなくなってしまった。
幸い気配を完全に消すことができない相手だったようで、視覚が封じられていても感覚で頸を落とすことはできたが、如何せん帰り道がわからない。
要に先導してもらいながらなんとか蝶屋敷に辿り着いた頃には、日も高く上がる時分になってしまった。
「なかなか難儀なものだな。悲鳴嶼殿には頭が上がらん」
「あの人は化け物だから比べちゃ駄目だろ」
宇髄の、耳に心地よい低い声に安心する。
別段不安を覚えていたわけでもないが、生憎と胡蝶は不在で診察はまだ受けていない。
術主の鬼はもう絶命しているため、この症状もそう長く続くものではないと思うが、確証がなく心許ないのも事実だ。
おもむろに、大腿の上に置いていた手に熱が触れた。
ぴくりと僅かに反応し、逃げそうになってしまう手を捕まえられたところで、宇髄が手を握ってきたのだとわかった。
「…宇髄?」
無言で触れてきたことに少々戸惑う。
加えて今は相手の顔が見えず、何を考えているのかとんとわからない。
「……」
これはなんだ……焦燥感?
相対する人物の思考を推し量れないことで、得体の知れない焦りにも似た感覚が胸の内に渦巻き、鼓動が乱れる。
次いで、指の間にひとまわり大きな宇髄の指がするりと滑り込んできた。
視線を感じる。…強い視線を。
居た堪れなくなり、唇を引き結んで煉獄は顔を俯けた。
…なんというか、辱められている気分だ。
「い、言いたいことがあるなら、言ってくれないか。顔に穴があきそうだ」
もしや顔に外傷でも拵えていたのだろうか。
だがそれなら、蝶屋敷に身を置く給仕の少女たちが放っておかないはず。
平常ではない頭であれこれ思考を巡らせていると、
「…ああ悪い。あんまり綺麗だからつい見入っちまった。飯はちゃんと食えてんのか?」
ようやく宇髄が応えてくれた。
声を聞けたことにほっとすると同時に、言われ慣れない単語が引っかかる。
「食欲は変わらない。しかし、俺に綺麗という表現は分不相応というものだろう」
「俺にはド派手に綺麗に見えるからいいんだよ。…なあ、少し触ってもいいか?」
触るというなら、既に俺の右手は君の手に触れられている。
そう口にしようとしたとき、不意に左の頬を撫でられる感覚。
「ッ……、」
まさか顔面に触れてくるとは思いもよらず、開きかけた口を閉じて動けずにいると、そのまま左の瞼の上を優しく指が這っていく。
その間も、煉獄の右手は宇髄に握られたままで。
一度乱れた鼓動はどんどん滅茶苦茶に暴れていく。
これだけ大きければ、耳のいい宇髄にはこちらの心音も聞こえてしまっているのではないだろうか。
「宇髄……こ、こそばゆーー」
控えめな言葉は、言い切る前に目元から降りてきた指によって遮られた。
唇に…触れられている…
じわじわと熱が首から上に集中していく。
感触を確かめるように親指で唇を押していたかと思うと、そっと割り入ってきて口をこじ開けてくる。
左手は空いている。拒もうと思えばすぐにでも拒めるし、そうなればこの指は呆気なく引っ込むのだろう。
彼が何を思ってこんな筋肉質な男の口を弄っているのかわからない。
彼は今、どんな顔をしている?
俺のどこを見て、何を求めている?
……駄目だ。
考えれば考えるほど身体が熱くなる。
「……は、ッ」
宇髄の乾いた指が舌に当たった瞬間、無意識に止めていた息が熱を孕んで遠慮がちに口から零れた。
途端、ぴたりと指の動きがとまり、僅かに相手の空気が固まる気配。
口を開きっぱなしにされているため、口腔内に溜まった唾液を飲み込むこともできない。
…はしたない顔をしていないだろうか。
同僚である男の醜態に幻滅されていないだろうか。
一気に不安が広がっていく。