翻弄
耐えきれず、汗ばんだ左手をぎゅっと強く握り込んで宇髄から逃れようと顔を背けかけたとき。
握られていた右手を引っ張られ、唇を柔らかな熱が覆った。
舌が吸い上げられ、口の端から溢れそうになっていた唾液が水音を立てて奪われる。
「んんっ、…ぅ、」
視覚がないぶん、与えられる刺激を敏感に拾い上げてしまう。
口腔を蹂躙してくる厚い舌の動きと、相手の熱に浮かされたような色っぽい吐息にぞくぞくと危険な快感が背筋を走る。
「っは……、ん」
ぬるぬると舌同士が擦れあい、絡んだと思ったら舌の裏側の弱いところを舐め上げてくる。
…このままでは……まずい。
兆しはじめた自らの雄に気づき、焦燥が募る。
生理現象とはいえ、同僚からの口吸いでこんな状態になったと知れたときにはどれほど気味悪がられるか。
「う、宇髄っ……もう、」
ずっと握られていた右手を引き寄せて相手の手から逃げ、宇髄の顔を押しやる。
案の定、宇髄は素直に身体をひいてくれた。
唾液まみれになった口の周りを手の甲で拭い、呼吸を整える。
「まったく…君という男は行動が読めない。何故こんなことをーー」
するんだ、という言葉は、掛け布越しに形を確かめるよう触れられた雄への刺激の前に飲み込まれた。
「ッこら宇髄!今度は何をする!」
「いや…窮屈そうなのが布団の上から見えてよ」
飄々と答える宇髄の手を、今度は容赦なくはたき落とした。
「こ、これは君のせいだろうっ」
「応とも。だから責任を取ってやろうかと」
「取らなくていい!大体、先刻のはなんだ!以前にも君は俺に口付けまがいのものをしてきたが、なんの意図がある!」
手を握られ、口に指を突っ込まれ、濃厚な口吸いに続いて股間を撫でられる…
短時間のうちに色々ありすぎて、整理が追いついていない。
「まあまあ、そうでかい声出すなって。お前が嫌ならもうしねぇよ。気持ち悪かったか?」
「ッ気持ち……悪、くは…」
主張するかのように、己の息子がぴくりと反応した。
そもそも不快だと感じていたらこうはならない。
脳内を混乱が大きく占めていたが、先程全身に走った高揚感は官能の類だ。
自分の心にも身体にも、結局嘘はつけない煉獄だった。
「……ないが。」
「ならいいじゃねえか。またしようぜ」
「駄目だ」
悪びれた様子もなく、にこやかに言う宇髄をばっさりと切り離す。
「ええっ、何が駄目なんだよ!」
「全部だ。場所、時間、内容。全てが駄目だ」
厳しすぎるだろ、とぶうたれる宇髄に対し、大きく頷いた。
「そして何より、俺の判断力が著しく低下する。よって、今後こういったことは控えてもらいたい」
「ふうん…。」
こちらの訴えを反芻するような相槌が返ってくるが、やはり表情は見えないので腹の底が読めない。
ということは、だ。と宇髄は神妙に続けた。
「蝶屋敷以外で、夜、口吸いじゃないことをすりゃいいわけだな」
「まったく違うな!」
潑剌と否定するが宇髄は意に介さず、寝台から立ち上がる。
「ま、細かいことは気にするなよ。目が見えなくなったって聞いてすげー心配したんだからな。そのぶん安心させてもらわなきゃ割に合わねぇだろ」
「心配をかけたことは悪いと思っている。しかし君の安心材料はよくわから……むっ、」
ちゅ、と音を立てて今度は額に口付けが落とされた。
「だ、だから!そういうことをするなと言ったばかりだろう!」
「はははっ」
「笑いごとではないっ」
些細な触れ合いだけで、また落ち着かない気分になってしまう。
もっと大きく構えなくては、柱として面目が立たない。
細く長い吐息を漏らし、自らを律する。
「…君は誰にでもこんなことをするのか?」
嘆息混じりに訊ねると、まるで打ちひしがれたかのような沈黙が降りた。
「……嘘だろ煉獄、俺のことそんな節操なしに思ってたのか…」
「相手が男だというのに躊躇いがない。それに手慣れていて…う、上手いからな。そう思った」
しょぼくれた声音の宇髄に、そうと判断した理由を述べると更にしょぼくれた重たい溜め息が落ちた。
「…こんなことお前にしかしねぇよ」
俺にだけ……何故俺なんだ?
ますます疑問が深まる反面、どことなく安心している自分がいた。
「…奥方が知ったら悲しむぞ。そして先程も言ったが、今後は控えてほしい」
「いやいや、次からはそっちの処理も責任とるから、大目に見てくれって」
そっちの、というのは恐らく我が息子のことだろう。
注がれる視線を感じ、眉間にしわが寄る。
こちらからの苦言が出るより早く、宇髄の注意が逸れる気配。
「おっと、胡蝶の音だな。邪魔してるとまたどやされるから俺は行くわ」
「む、そうか。次に会うときは快復しているだろう。要らぬ心配をかけた」
切り替えの速さはさすがといったところか。
がたがたと窓を全開にする音がする。
扉から出ると胡蝶と出くわす可能性もあることから、窓から脱出しようという算段なのだろう。
「またな」
「うむ」
短い応酬を残し宇髄が去ったあと、診察が始まる前に萎えかけた雄をしっかり鎮めようと、煉獄は気合を入れて集中するのだった。
fin.