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嘘から出たまこと

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陰鬱で奇妙な塔のその中の、薄暗い部屋のその中のひとつ。そこに足を踏み入れる度に、僕は誰かの幻を見る。
 誰なのかはわからない。あの顔に覚えがなかった。それでも、何故だか懐かしさがあった。後ろ髪をひかれるような思いで、いつも部屋を後にした。
 何度目かの目覚め。溜息をつく金髪赤目の天使に見送られながら、神経塔の最下層へ向かう。あの部屋の幻のことを尋ねようと思ったけど、話すことができないからやめた。
 今日も、いつもと同じ部屋で、あの幻が僕を見る。見知らぬ男の顔。懐かしい顔。……僕の顔? いや、あの顔は……。
「……っ」
 幻を呼び止めようとして、震えない声帯に眉をしかめた。幻は、こちらの様子など気にもとめず姿を消してしまった。それがひどく惜しく思える。
 あの顔は、きっとあの人だ。僕が大好きだった、あの人の顔だ。僕が永遠に失ってしまった、あの人だ。あの人がいた。ここに……。
 そこから立ち去ることができないまま、ぼんやりとあの人がいた場所を見つめる。不意に、僕はバランスを失ってその場に崩れおちた。わけがわからないまま冷たい床に頭をすりつけながら体を確認すると、宙を舞う魚が僕の片足を齧り取っていた。神経質な天使の渋面が頭に浮かぶ。
 ああ、ごめんなさい。天使さま。でも、兄さんがここにいることを何故言ってくださらなかったんですか?
 ごりごりと肉と骨を噛み砕く音を聞きながら、僕はそんなことを思った。

 また、目が覚める。いつもと同じ赤い空の下で、外壁のただれた廃墟が自らの死を待っている。少し歩けば、様々な姿をした人々の集まる広場が。
 けれど、今はそんなことどうだっていい。崩れそうな建物も、異形の姿も、あの塔から発せられる唸り声も――。
「どうだっていい。どうだっていい。早く、早くあそこに行かなきゃ」
 角のはえた女が無機質につむぐ言葉の横を通り過ぎ、棺を背負う男がおかしな顔をするのも無視して、神経塔と呼ばれる場所へ向かう。
 眉をひそめて小言を言う天使から奪うように銃を受け取ると、彼はその整った顔を更にしかめた。でも、それもどうでもいい。
「おい。貴様、一体何を考えている?」
 凄みのある声も、今はどうでもよくて顔を背けて走り出す。背後で舌打ちが聞こえたけど、それさえもどうでもよかった。

 昔。この目に映る空の色が赤ではなくもっと別の色をしていた頃。僕には、双子の兄がいた。僕が寝ている間にしか彼は起きていられなかったから直接話したことはないけれど、手紙で語りかけられた兄の言葉はいつも優しかった。
 直接会ったことのない兄は写真でしか見たことがない。でも、写真の中の彼は手紙の中の彼と違わず優しく微笑んでいて、僕はそれがとても嬉しかった。
 兄とチェスをして遊んだこともある。僕が起きている間に僕が一手進めて、兄が起きている間に兄が一手進めるという状態だったから、決着がつくまでにとても時間がかかったけど、それがとても楽しかった。僕の進めた一手を眺めて、兄はどうするんだろうか。どんな顔をして、どんなことを思うんだろうか。それを考えるだけでとてもワクワクして、明日がとても待ち遠しくなった。時々手紙とは別にチェス盤にひと言メッセージが添えられていることもあって、それが更に僕を落ちつかなくさせた。
 そして、兄はとてもチェスが強かった。僕が周りの大人たちに助言をもらっても、兄には勝てなかった。
 優しくて賢い、僕の兄。僕と同じ顔の彼は僕のあこがれで、大好きで、大事な家族だった。たったひとりの、僕に残された家族。「僕が死ぬ」と言って、僕の代わりに死んでいった、たったひとりの家族だった人。
 ――そんな大事なことを、僕は今まですっかり忘れてしまっていた。
 部屋に踏み入れると、いつものように彼が僕を見た。……ああ、兄だ。写真で何度も見た、優しい兄だ。
「……」
 兄さん、と呼びかけたくても声が出ない。それを初めて恨めしく思った。やっと会えたのに、呼びかけられないなんて。
 会いたかった。僕は両手を広げて、兄に近づく。抱きつきたい。抱きしめたい。僕は多分、笑っているのだろう。この部屋は壁も床も無機質な鉄板に覆われていて、おまけに氷の中のように冷えていたけど、そんなことだってどうでもよくなるくらい嬉しかった。
 兄が僕を見てにっこりと笑う。ああ、兄さん。僕の手が、あと少しで兄に触れる。
 ――その間際で、兄は身を翻した。僕の手から逃れ、部屋を出ていく。兄さん? どうして? 兄さん! 待ってよ!
 微笑みながら離れていく兄を追いかける。道行く異形に体を齧られ、突き飛ばされどこかの骨が折れても、どうでもよかった。今は、兄を見失うほうが怖い。
 暗く狭まっていく視界の端で兄の姿がちらつく。体はいつのまにか支えなしでは進めなくなっていて、僕は壁に体をこすりつけるようにして歩を進めた。走ることもままならなくなっていたことが、兄に置いていかれてしまうという不安を大きくした。耳鳴りがするほどに静まり返った塔内で自分の呼吸の音がやけに大きく響く。この音を全て声にできていたらよかったのに。そうしたら、待って、行かないで、と言えるのに。悔しくて、重い体をひきずりながら涙が出そうだった。
 兄が消えた曲がり角にやっとの思いで辿り着くと、その先は今まで見たこともない程に広く開けていた。異形の姿はない。ただ、奥の壁に大きな丸い穴が開いていて、そこから赤い空がのぞいていた。
 そして、その穴の前には兄がいる。
 兄は僕に微笑んで、さっき僕がそうしたように大きく両手を広げた。
「おいで」
 柔らかな声でそう言っている気がした。僕は駆け出す。体の痛みは嘘のように消えていた。
 ああ、兄さん。やっと、やっと一緒にいられるね。
 喜びに広げた両腕は兄の体をすり抜け、気付けば僕の視界いっぱいに赤い空が広がっていた。


「なんなんだこれは……」
 解析データを確認していた研究者は、その内容に思わず頭を抱えた。
 データは、数時間前に送り出した彼が神経塔から転落死したことを伝えていた。それは良い。神経塔内部は不定だ。彼が転落するような穴が出現していても不思議ではない。問題は、その原因だった。
「兄さんってなんだよ。あいつに兄なんていないだろ」
 彼は彼の兄の幻覚を追いかけて転落した。実在の兄と思いこんで。しかし、彼に兄がいたなどという話は聞いたことがない。今も、彼は彼ひとりきりだ。
「あれ、知らなかったっけ?」
 背後からの声に、研究者はデータから目を離した。後ろに、いつのまにか白衣の女が立っていた。女の顔は自分と同じくはがれない仮面に覆われてしまっている。彼女の持つマグカップには、泥の跡がこびりついていた。
「知らなかったって、何を?」
「その子の双子の兄の話」
「やっぱり兄がいたのか?」
 研究者の問いかけに、女は、いいえ、と首を横に振った。
「いなかった。彼は彼ひとりきり。他の家族もいない」
「なら、なぜ」
作品名:嘘から出たまこと 作家名:酒井ヨウ