権利
「…それをお前が言うか。俺だって投げられたことなんてねぇよ」
「そうか!おあいこだな!」
はっはっは、と豪快に笑ってみせるこの男が、俺は本当に好きなようだ。
気づけば、往来から外れた細い路地に煉獄を引き込んでいた。
人気はなく、真っ昼間だというのに太陽の光が届かない狭い道。
素直についてきてくれた相手に、低い声で訊ねる。
「で、だ。…お前はさっきみたいな奴からの誘いに困ってるってことで、あってるか?」
「…うむ。気の利いた文句でもあればいいのだがな」
「それなんだけどよ…、恋人ができたって噂でも流せばだいぶ状況は変わるんじゃねえか?」
「恋人……うむ、そうかもしれん。だが、あまりに出鱈目すぎては意味がないだろう」
「そりゃあな。だから俺を使え」
「きみを?どういうことだ?」
薄暗い中でもその美しさがわかる双眸が、こちらを見上げてくる。
真意を図ろうと小首を傾げる様に口吸いへの欲求が急激に上昇していくが、今はダメだ。
本心が漏れ出ないよう細心の注意を払いつつ、宇髄は強く微笑んでみせた。
「この宇髄天元様と恋仲になったと知れりゃあ、悪い虫も寄りつかなくなるって寸法よ」
「いや、男同士では噂もなにもないだろう」
「ついさっき男に抱いてくれって泣きつかれてた奴がよく言うぜ」
「それは……そう、か…?」
突拍子もない申し出に困惑する煉獄。
これも譜面どおりだ。
「迷惑なんて言うなよ?お前がどこの馬の骨とも知らない奴に言い寄られるほうが、俺にとっちゃよっぽど迷惑なんだからよ」
「そ、そういうものなのか?」
「おう。だから、大船に乗ったつもりでこの神に任せとけって」
気前よくどん、と拳で自らの胸を叩くと、おずおずと煉獄は頷いた。
「…すまない。名前を借りるだけとはいえ、奥方たちになんと詫びたらいいか…」
「問題ねぇよ。嫁たちは俺が煉獄のこと好きだって知ってるからな」
さらりと言ってからそっと相手の反応を窺うが、やはりというかなんというか、肝心な部分は伝わっていない様子だった。
「…そうか。ならば今回は胸を借りよう」
申し訳なさそうに頭を下げようとする煉獄の顎を掬い上げ、上体を屈めてごく自然に唇を重ねる。
「ん…!?」
すぐに口を離し、両腕をその背にまわしてやや強引に抱きしめた。
「う、うずい…」
がっしりと筋肉に覆われた身体に緊張が走るのがわかるが、構わず首元にかかる金の髪をそっとどかして、露わになった首筋に強めに吸い付く。
「っ…、」
「……」
唇を首に這わせたまま様子を見るが、体温が上がるのみで抵抗は見られない。
…もうちょい、いけるかな。
そのまま唇を移動させ耳を軽く食んだ途端、びくりと面白いくらい肩が跳ねた。
「宇髄っ、何を…!」
必死な声に嗜虐心を擽られ、こっそり舌を耳に忍ばせてみたときだった。
ーードスッ
「いっ…!?」
思いきり、足の甲を踏み抜かれた。
人間には、いくら鍛えても強度を上げられない急所というものが複数ヶ所存在する。
そのひとつが足の甲。足背ともいう。
そこをあの炎柱・煉獄杏寿郎の脚力で問答無用で踏みつけられたのだ。冗談ではなく骨まで砕ける危険を孕んでいる。
体勢を崩す宇髄からすかさず退避し、姿を見失ったかと思うとそのまま背後から首と肩関節をきめられた。
「宇髄……きみには節度というものがないのか」
「わ、悪かったって…!」
平謝りしつつも、耳元に感じられる煉獄の荒い息遣いに気もそぞろだ。
あー、顔が見てえ。きっと真っ赤に茹であがってるんだろうな。俺としたことがしくじった。
めちゃくちゃ怒ってるけど、まさか耳弱い?それとも首のほうか?次確かめてみるかな…
「煉獄、おちそ…」
脳に酸素がまわらなくなってきたところで、相手の腕を叩き白旗を上げるが返ってきたのは無情な声だった。
「報いだ。一度落ちるといい」
「まじまじまじ」
視界が暗くなっていき、ばしばし腕を叩くとようやく解放された。
というかこいつ、本気でキレると冷静に怖い。
今後は少し気をつけようと反省しつつも、あの煉獄に関節技をきめてもらえる仲にまで進展していることにぐっとくる。
膝に手をつき、暗転しかけた意識を全力で酸素を取り込み繋ぎ止める宇髄の後頭部に、煉獄のはっきりとした声が落とされる。
「大衆の面前では控えてほしい。絶対だ。でないと俺は何をするか自分でもわからない」
「…善処します」
つまり二人きりのときならいいのか。とは決して口にしてはいけない。胸の内に留めておこう。
こうして数々の物理的な傷みを乗り越えて学習を重ね、とうとう宇髄は煉獄を恋人だと公言する権利を得たのだった。
fin.