権利
嬉しそうに目を細める煉獄を、頬杖をついたままじとっと見つめる。
こちらの言わんとしていることを察したのか、煉獄は静かに口火を切った。
「……きみの忠告を、なかなか活かせずにいる」
「……。」
忠告とは先日、柱合会議のあとの食事の席で煉獄に送ったものだ。
周囲から色目を使われる自覚を持てという内容だったが、どうやら予想以上にそういった輩は多いらしい。
「…一度でいいから、情けをください…ってか?」
「まあ……そんなところだな」
こいつの反応を見るに、おそらく珍しいことでもないのだろう。
仮に俺が同じことを煉獄に言えば、秒と待たずに殴り飛ばされるような内容だが、下の者から希われればばっさりと切って捨てるわけにもいかない、といったところか。
…しかし、許しがたい。
「なあ、言い寄られるたんびにあんな可愛い顔して困ってんのか?」
「か、可愛いとはなんだ。困るのは事実だが、きみは美しい顔立ちだ。俺以上に面倒ごとは多いのではないか?」
「滅多にねぇよ。家庭持ちだし?」
「…なるほど。身を固めればこういったことも減るか…」
「……、」
え。待てよ。
待って煉獄。
真剣な顔して今、身を固めればって言ったか?
腕を組んで考え込む相手を、宇髄は何も言えず凝視する。
運ばれてきた天丼も認識できないほど動揺していた。
「これは美味そうだな!いただきます!」
「いやいや待てって煉獄!」
「宇髄!何をするっ」
煉獄の天丼を取り上げ、自分のほうに移動して深呼吸をひとつ。
食事をおあずけされ憮然とする男の視線をしっかり絡めとった。
「…お前、身を固める相手が……いるのか?」
「いないぞ」
「いねーのかよ!思わせぶりなことぼやくなよなぁ!」
即答された内容に思いきり安堵し、天丼を煉獄に押し付ける。
さっそくとばかりに箸をつけて「うまい!」を連呼しはじめる相手に力なく笑い、同じく食事を口に運んだ。
確かにこいつには浮いた話のひとつもない。
鬼殺隊という次の朝日が拝めるかもわからないものを生業としている以上、縁談があったところで簡単に進むものでもないが、そこにつけ込んでくる者が後を絶たないというのも困りものだ。
もそもそと味の染みた天丼を食べ進みながら、宇髄は考える。
どうしたら煉獄を寄ってくる虫から守れるのか…
いや、いっそ逆から考察しよう。
どうしたら虫が寄ってこなくなるか。
煉獄自身が言った、身を固めるーーつまり特定の相手がいればいい。
それは結婚に限らず恋人だっていいのだろう。
なんなら実際にいなくても噂さえあれば…
「…きた。」
「む?」
雷に打たれたように、宇髄に名案が降りてきた。
嬉々として思わず立ち上がり、そのついでに食事席を思いきりバァン!と叩くと木製の卓は粉々に砕け散った。
「!?」
「譜面が完成したぜ!!」
「……」
箸だけ持って、煉獄が呆然と床に落ちてしまった天丼の残骸に視線を注いでいた。
その両肩を引っ掴みこちらを向かせ、興奮に任せてまくし立てる。
「そうだよ煉獄!噂があればーー」
瞬間、殺気を感じたと思ったら胸倉を掴み上げられて世界が反転していた。
正しくは、煉獄に投げ飛ばされていた。
「この阿呆!店の者に迷惑をかける奴があるかッ!」
「す、すまねぇ…」
床に四肢を投げ打った耳のいい宇髄の聴覚がようやく周囲の音を拾った頃には、店内の客は皆壁際に避難して木片と化した食事席とひっくり返った宇髄、そして長身の宇髄を軽々と投げた煉獄を青い顔で見守っていた。
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「まったく、きみのせいで完食が叶わなかった」
「悪かったって……ほんとに」
あのあと、店主に多大なる謝罪と修繕費を渡して早々に退店した。
往来を人混みに紛れて歩きながら、宇髄はぽりぽりと頭を掻く。
嫁にはしょっちゅう怒られるが、煉獄に怒鳴られたのははじめてだっただけに少々気まずい。
「それで、きみの譜面を聞かせてくれるか」
「え、」
食事を強制的に中断されたことも加味して、激怒しているであろう煉獄をどう宥めようかと思案していた矢先に、穏やかな声が下から飛んできた。
「…怒ってねぇのか」
隣を見下ろすと、煉獄は愉しげに目を細める。
「備品を壊したことは別として、きみといると愉快だ」
「……」
「大体、何故立ち上がるだけで机が砕けるんだ?あのようなこと、ついぞ見たことがない。馬鹿力にも程度があるだろう」
くつくつと肩を揺らして思い出し笑いを噛み殺す男から、目が離せない。
新しいその表情や仕草を、ひとつとして見逃したくなかった。