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真白の雲と君との奇跡

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「いや、聞いてほしい。その、聞いて楽しい話でもないだろうし、もしかしたら君に嫌われてしまうかもしれないが……」

 あの真白い雲のように、雄大な心を持ちたい。どんなに胸のなかは嵐が吹き荒れようとも。義勇に対しては、誰よりも真摯で、誠実でありたい。嘘をついてごまかすのは嫌だ。だから隠すのはやめよう。
 決意はそれでも揺らぎかけそうになる。こんなにも自分が臆病だなんて知らなかった。
 小刻みに震える杏寿郎の手が、キュッと強く握られた。梅雨のあの日とは逆だ。杏寿郎を励まし勇気づけるように、義勇の手には力がこめられている。
 その手に導かれるように、杏寿郎の口から言葉が押し出された。

「……さっき、俺は君に不埒な衝動を覚えた。理由はわからない。なぜ自分があんなことを思ってしまったのか、今もどうして消えてくれないのか、自分でもわからないんだ」
「不埒……?」
 こてんと小首をかしげる義勇に、一つ小さく苦笑して、杏寿郎はまた大きく深呼吸した。
 勇気を出せと自分を奮い立たせ、まっすぐ義勇を見つめる。

「義勇、君とキスがしたい」

 あまりにも予想外すぎたのだろう。ポカンと目を見開き、義勇は呆気にとられている。
 義勇のそんな様子に、杏寿郎は、鋭い刃で突き刺されたような痛みを胸に感じた。けれどもショックを受ける資格なんてないんだろう。泣きだしそうになるのをこらえ、杏寿郎はごめんとつぶやき頭を下げた。
「君が驚くのは当然だ。俺もなぜ自分がそんなことを考えたのか、本当にわからないのだ。けれど、君のことを侮辱しているわけじゃない。それだけは信じてくれ」
 そう、義勇を女の子扱いしているわけじゃない。義勇は義勇だ。大好きな友達だ。けれども、自分はきっと、それだけでは足りないと思っている。
 その理由は、まだわからないけれど。
「気持ちが悪いと思われてもしかたがない。責めは甘んじて受けよう。だが、俺はずっと君と一緒にいたい。誰よりも君のことが好きだ。だから、君の意思を無視して行為に移すようなことは、決してしない。それだけは天地神明にかけて誓う」
 義勇のとまどいが握りあう手から伝わってくる。けれど、それでも義勇は、杏寿郎の手を振り払うことはなかった。
「……気持ち悪くは、ない。でも、キスは……その、困る」
「だよな! うむ、それは当然だ!」
 ハハハと笑った声は、我ながら上滑りだ。刹那胸を刺した痛みは、苦しいぐらいの悲しさを胸に満ちあふれさせる。キスできないのが悲しいなんて、やっぱり自分はちょっとおかしくなっているのかもしれない。
「友達とキスなんて、おかしな話だ! どうか気にしないでくれ!」
 自分だって変だと思うのだ。嫌悪されなかっただけでも重畳。感謝すべきだろう。
「違う……」
 ポツリと言った義勇の、うつむいた顔が赤らんでいる。パチパチとせわしなくまばたきするたび、長いまつ毛が揺れて、陽射しにキラキラと光って見えた。
「違う?」
「……杏寿郎は、好きだ。でも友達だから、キスはできない。本当は、友達にだって、なっちゃいけないのに、笑ってくれて、話しかけてくれて、うれしかった」
 苦しげに声がかすれだした義勇に、杏寿郎は息を飲んだ。握っている義勇の手から、スゥッと体温が引いていくのを感じる。
 もういい。話したくないのなら話さなくてもいいのだ。止めようとした杏寿郎の声は、喉の奥で留まり、言葉にはならなかった。
 義勇は、必死に言葉をつむごうとしている。懸命に、声を押し出している。
 脳裏でチカリとなにかが光って、パズルのピースがぴったりとはまるように、杏寿郎のなかでパチンとかみあうものがあった。
 思い浮かぶのは淡い笑み。なにかを押し殺すような、切なげで、はかないその笑みの答えが、きっと今ここにある。
 杏寿郎は、義勇の手を握る手に力をこめた。
「なんで友達になったらいけないなんて思うんだ?」
「だ、って……」
 おののく小さな唇からも、血の気が引きだしている。義勇の手はもう凍りつきそうに冷たい。反対の手は、シャツの胸元を強くにぎりしめていた。
「ゆっくりでいい。全部聞く。義勇」
 恐る恐る上げられた義勇の顔は、出逢ったときの不安げな迷子の顔だった。
作品名:真白の雲と君との奇跡 作家名:オバ/OBA