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真白の雲と君との奇跡

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 風になぶられ陽射しを浴びて乾いた服は、砂や塩の結晶がパラパラといくらでも散るありさまで、ごわついている。着替えにまで気が回らなかったらしい父は、シートが汚れると遠慮を見せた義勇に、謝るのは気が利かぬ俺のほうだろうと苦笑していた。
 後部座席で千寿郎を挟んで座ったのは、行きの電車と同じだ。千寿郎はすっかり熟睡して、杏寿郎の膝に頭を預けている。義勇の目もとろりと眠気をにじませて、ぼんやりとしていた。
 ゆらり、ゆらりと、義勇の頭が揺れて、トン、と杏寿郎の肩にもたれかかってきた。ちょっと生臭い潮の匂いがする。もうすっかりペパーミントの匂いはしない。自分もきっと同じ匂いがするのだろうなと、ぼんやり思ったのを最後に、杏寿郎の目も閉じられた。
 くうくう、すうすうと聞こえだした、小さな寝息の合唱に、父が苦笑したのには気づかぬまま。ほかの石とは別にポケットに入れた小さなガラスでできた石を、杏寿郎は無意識に握りしめた。
 ゆるりと落ちていった眠りのなか。杏寿郎は、やさしい笑みを浮かべたきれいな女の人の夢を見た。
 青と赤のキラキラとした石を杏寿郎に手渡して、義勇をよろしくねと笑ったその人を、目覚めたとき杏寿郎はもう覚えていなかったけれど。それでも、なんだかとても幸せな夢を見た気がすると笑った杏寿郎に、義勇が俺もと小さく笑い返してくれたことは、きっと忘れないだろうと思った。
 一生忘れられない、夏の日の思い出とともに。


 家に帰った杏寿郎と千寿郎を待ち受けていたのは、母の抱擁だった。一人待つ間、気丈な母も不安だったのだろう。義勇の目の前で母に抱きしめられるのは、ちょっぴり恥ずかしかったけれども、腕の震えに気づいてしまえば、離してくださいとは言えない。少し頬を赤くしてちらりと横目で義勇を見やると、義勇はいつもの無表情で、でもとてもやさしい目をして杏寿郎たちを見ていた。
 父と同じくひとしきり二人を抱きしめた母が、やはり同じように深く頭を下げて礼を述べたのには、またもやドギマギとしていたようだったけれども。それでも義勇は、自分は疫病神だからなんて言葉を口にすることはなかった。

 義勇の自責の念も苦しさも、きっと消えてはいないだろう。ただ一度の感謝で消えるほど、義勇の悲しみは軽くはない。だがそれでも、ほんの少しでも悲しみの大岩が削り取られてくれたのならいいと、とまどう義勇を笑って見つめながら、杏寿郎は思う。
 時間がかかるのは承知の上だ。一生かかってもすべて消え去ることなどないのかもしれない。それでもいい。一生かけて義勇を支える覚悟なんて、とっくにできている。

 雄大な入道雲のなかは嵐なのだという。海辺で見たあの雲のように、大きく、度量の広い男となれる日がきても、嫉妬や悲しみの嵐が心に吹き荒れることはあるだろう。今はまだ、友達だけでは足りないと願ってしまう理由も、定かではない。
 けれどそれもまた、ともに過ごす時間のなかで、わかる日がいつかくるかもしれない。キスがしたいと思ってしまった理由だって、いつかはきっと。

 風呂だ夕食だと歓待しきりの両親に目を白黒をさせていた義勇を思いだしながら、布団に入った杏寿郎は、枕元に置いた青いシーグラスを見つめてクスリと笑った。
 義勇を危険な目にあわせてしまったことを鱗滝家の人たちに詫びるため、父と一緒に義勇を送っていった杏寿郎に、別れ際義勇がそっと言ってくれた言葉が、胸に熱くよみがえる。

 また、話、聞いてほしい。いっぱい、杏寿郎に。

 内緒話のような小声は、ちょっとだけ恥ずかしそうで、でも真摯なひびきをしていた。
 友達になったらいけないなんて、きっと義勇はもう二度と言わないでくれる。だから時間はたっぷりある。奇跡の石が、出逢いの石が、一生そばにいることを約束してくれているようで、幸せが体中を包んでいるような気がした。

 友達だから、キスはできない。

 幸せのなかで眠りに落ちかけた杏寿郎の耳に、ふとよみがえったのは、義勇の苦しげな声。
 ん? と、杏寿郎は眠りに落ちかけた目をパチリと開いた。

 友達だから? ならば、友達でなければ? んん?

 なにかが意識の隅に引っかかって、布団のなかで首をひねる。
 キスは、困る。そうだ。たしかに義勇はそう言った。男とキスなんて嫌だとは、言わなかった。
 大好きだけど、友達だから、キスはできない。
 キスはしたくない、ではなくて……。

 え?
 んんん?

「よもやっ!!」

 大きな声をあげて思わず飛び起きた杏寿郎の、ゆで上がったかのように真っ赤に染まった顔を、何時だと思っていると叱りにきた父が目を丸くして見るまで、あと少し。
 杏寿郎の寝不足は、今晩もつづく。
作品名:真白の雲と君との奇跡 作家名:オバ/OBA