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真白の雲と君との奇跡

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 ひとしきり千寿郎を抱きしめて泣いたあと、義勇はようやく顔をあげ、杏寿郎に向かって少しバツ悪げに笑ってくれた。
 どうしようとうろたえていた千寿郎には悪いが、義勇が微笑んでくれて、杏寿郎は胸をなでおろす。義勇の心を救えたのは千寿郎だったかとの、ほんのちょっぴりのヤキモチは、決して口にはしないまま。
 さすがに狭量がすぎるとの自戒と気恥ずかしさは、義勇以上にバツが悪い。千寿郎に対しても申し訳ないにもほどがある。

 三人ともずぶ濡れで、肌に貼りつく衣服は不快ではあるけれども、海の家でシャワーを借りようにも着替えなどない。父が車で迎えにくる際に、着替えを持ってきてくれることを期待するしかなさそうだ。
 精神的にも体力的にも疲れはピークだが、ただぼんやりとシートに座って待つのも、なんとなく手持ち無沙汰で落ち着かない。話をしているだけでも楽しいことは確かだ。とはいえ動いていないと眠ってしまいそうでもある。千寿郎にいたっては、早くもこくりこくりと舟をこぎ出していた。

 迎えがくるまで石を拾っていようか。提案は義勇から。

 いつだって受け身の受け答えばかりだった義勇が、初めて自分からそんなことを言い出したのに、杏寿郎はパァッと顔を輝かせた。
 それはささやかすぎるほどの変化だけれど、杏寿郎にとっては、義勇の自責の念が少しだけ薄れてくれた証のようで、うなずきも思わず激しくなる。
「うむ! 標本にするにはもっといろんな種類があったほうがいいしな!」
 大きな声にビクンと千寿郎の小さな体が跳ねて、キョロキョロと辺りを見まわすのに、思わず義勇と顔を見あわせクスリと笑いあう。
 九死に一生を得たと言っても過言ではない体験から、まだ一時間と経ってはいないのに、三人を包みこむ空気は穏やかだ。義勇との距離も、グンと近くなった気がする。
 なくしてしまった麦わら帽子の代わりに、タオルを頭にかぶった千寿郎は、またまぶたが下がりかけていたけれど、石を拾いに行けるかと聞けばうれしそうにうなずいた。

 波音とアオバトの群れの鳴き声がひびくなか、またそろってしゃがんで石を拾う。
 今度は、明るい声を立ててはしゃぎながら。
 義勇はやっぱり無口なままで、自ら話しかけてくることはなかったけれども、杏寿郎たちが話しかければ、やわらかな口調で応えてくれる。
「あ」
「お?」
 義勇と杏寿郎が上げた声は同時。つまみ上げた小さな石を見せる仕草もシンクロした。まるで鏡写しだ。思わずお互いパチリとまばたきする。それもまた一緒で、なんだか照れくさい。
「これも石だろうか。やけに赤いし、ほかの石と違って透明感があるのだが」
「俺のは青だ。シーグラスだな」
 見せあった石は、強い陽射しを反射してキラリと光っている。自然の石の色味とは異なる鮮やかな色合いの石の表面は、フロスト加工したようにザラリとしているが、それでも透明感があり、なんとはなし上等の菓子のようにも見えた。
「シーグラス? めずらしい石ですか? きれいな色の氷砂糖みたいに見えますね、兄上」
 弾む千寿郎の声に、義勇がこくりとうなずいた。
「ガラスが波や砂利で削られた漂流物だから、厳密には石じゃない。でもパワーストーンとしても知られている」
「パワーストーン?」
 聞き慣れない言葉に杏寿郎も小首をかしげた。言葉だけ聞くとなんだかすごい石に思える。
「身につけてるといろんな効果があるって信じられてる石だ。俺も、ひとつ持ってる。姉さんが、お守りにって、ラピスラズリって石をくれたから。俺の目の色だって、言って、逆境を乗り越えて、人生を切り開く、石だから、って」
 途切れ途切れの声。波打つ胸。息は浅く忙しなかった。
 迷わず杏寿郎は義勇の手を握った。
「うん。聞いてるから。ゆっくりでいい、義勇。全部ちゃんと聞く」
 泣きだしそうに揺れた青。この青と同じ色の石があるのか。不思議な感慨を覚えながらまっすぐに見つめた義勇の瞳は、ゆらゆらと揺らめいていたけれど、涙はそれでも浮かんではこなかった。
「石、言葉っていうのが、あって……姉さんが、運命の出逢いを見つける効果も、あるのよって……杏寿郎と逢った、次の年の、誕生日プレゼント」
 運命の出逢い。その一言に、ドキリと杏寿郎の鼓動が跳ねた。
「また、逢えるといいわね、って……杏寿郎と、また逢えるのを、願ってくれた」
「そうか……義勇の姉上に感謝しなければな! お陰で義勇とまた逢えたのだから」
 胸に満ちる歓喜は果てしない。彼岸にいるその人は、義勇と同じくらいやさしい人だったのだろう。いや、違う。きっとその人がやさしかったから、義勇もやさしくなったのだ。
 思えば切なさが少し。感謝は尽きぬほど。
 たった一度だけ、ほんのわずか見ただけの、きれいな人。面影はぼんやりとしていて、杏寿郎にはもうよく思い出せない。けれど、駆け寄る小さな義勇に向けられた安堵の笑みは、とても美しかった気がする。義勇と同じ、麗しい人だったんだろう。

「これもパワーストーンとやらなら、石言葉があるのか?」

 義勇の手を握ったのとは反対の手でシーグラスを見せると、義勇が小さくうなずいた。瞳の揺らめきがわずかに増す。まっすぐ杏寿郎を見つめてきた瞳は、苦しげな色は消えずとも、微笑んでいるように見えた。
「たしか……奇跡とか、出逢い、それから……絆」
「奇跡の、石……」
 義勇の右手がゆるゆると持ち上げられて、杏寿郎の手のひらに乗ったシーグラスの隣に、ちょんと自分の石を乗せた。
「兄上と義勇さんの目みたいな石ですね」
 赤い石と、青い石。仲良く並んだ奇跡の石。出逢いを約束する、絆の石。
 千寿郎のうれしげな声に、胸が詰まった。
「義勇……君が見つけた青い石を、俺がもらってもいいだろうか」
 義勇の目の青にくらべたら、白く曇ったその石の青は、少し淡くて。杏寿郎が見つけた赤い石も、杏寿郎の瞳よりもくすんだ赤だけれど。出逢いも、再会も、改めて思えば奇跡のようで、これから先の未来にも、絆が深まっていくことを約束してくれているように思うから。
 なら、俺は杏寿郎の石をもらうと、ささやくように言った義勇の声は、見つめてくる瞳は、ひどくやさしかった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 息せき切って浜辺に現れた父は、大音声で杏寿郎たちを呼ぶと、一目散に駆け寄るなり目いっぱいの力で杏寿郎たちを抱きしめた。
 杏寿郎と父に挟まれた格好になった千寿郎が、苦しいですとしょげた声をあげるまで、よかった、無事でよかったと、繰り返し涙声をあげたものだ。
「冨岡くん、ありがとう。君のお陰で千寿郎が助かったと聞いた。本当に、感謝する」
 ギュッと義勇の手をとり、深く頭を下げた父の目には、涙が光っていたかもしれない。とまどってドギマギとして見える義勇にばかり目が行って、杏寿郎はよく見てはいなかったけれども。

 午後も深まり、夕暮れにはまだ少し早い青空には、天を衝くよな真白く雄大な雲がわいている。その大きな入道雲を指差して、ソフトクリームみたいですねと笑った千寿郎は、車に乗るなり電池が切れたようにコトンと眠りに落ちた。
作品名:真白の雲と君との奇跡 作家名:オバ/OBA