Let it bittersweet
「はイ?」
思わず変な声で聞き返してしまった。銀さんは、「だからぁ」といつものダルさで繰り返した。
「一時に駅前集合。そんくらいの時間なら間に合うだろ?」
「間に合いますけど、え、そのまま仕事に行くとかですか? あったっけ仕事なんて……」
「ねぇよ仕事なんて」
「じゃあなんですか?」
電話の用件は、僕こと志村新八の本日の万事屋への出勤が遅れます、ということだけだ。別に銀さんが駅まで赴く必要なんかない。迎えに来てくれるという意味なのか? でも今まで迎えに来たことなんか一度もないし。あ、買い物? いや、それだって、この電話口で僕に頼めばいいだけのはず。
そのように懸命に思考を巡らせていて、自分が質問をしたということを僕はほとんど忘れていた。返事なんてあまり期待していなかったし。けれど質問への回答はちゃんと返ってきた。
「仕事がないからこそのデートでしょおがっ」
そして電話が切れた。ぶつん、つー、つー、つー。その音がやけに響いて聞こえたのは、自分以外誰もいない家の中の空気の所為、というだけではないのだろう。
デート。疑いようのない明快さで銀さんが確かにそう言った。しかも照れが見え隠れしていた。
「……なんか頭痛くなってきた……」
体調不良を理由に欠席したほうがいいのかもしれない。なーんて。
さて、デートということで。その言葉を意識し過ぎた僕はまず、もっと真面目に服装を選び直したほうがいいのだろうかと考えて、発想が女の子じゃないか!? とセルフツッコミをかまし、変に意識し過ぎてもかえってからかわれるんじゃないかと考え直し(ニヤンと笑うあの顔が浮かんだ)、極力冷静に普段と変わりない格好を整えた。
次に時間が気になった。「デートは三十分前行動が基本だぜ」とかなんとか偉そうに喋っていたあの人のその言葉を信用するべきか否か。それが一般論なのかどうかよくわからないけれど、銀さんが本当に三十分前から待ってるつもりなら僕も早めに行ったほうがいいだろうし……でも、待てよ……あの人がそんな誠実な態度を取るだろうか? それもこの僕に対して!
「いや、ない。絶対ないな、それは」
苦笑いが零れた。そうだ。デートなんて言ったって、相手はあの銀さんなのだ。緊張することなんかないじゃないか。するだけ無駄だそんなの。そう思いついたらうんと楽になった。僕はひとまず残された家事に取り掛かることにする。時間だってまだ余裕あるし。姉上が残していったかわいそうな卵をなんとかして処理しなくては。
……なんていつまでも澄ましていられるわけもなく、それから一時間もしないうちに、僕はそわそわといらいらに押されて家を飛び出した。
たくさんの人が通り過ぎてゆく。日が高い。駅前に掲げられた時計が示す時刻は十二時三十五分。結局三十分前に来てしまった。
「つーかあの人やっぱり来てないし」
何が三十分前行動だ。小さく毒づいて、僕は街路樹の傍を選んで待機の態勢に入った。平日の昼間でも結構人がいるんだな。誰かを待っている人もいるのだろうか、僕と同じように。そう考えたときにふと、見知った顔が視界に入ってきた。その人はこっちから声をかけるより早く僕に気づくとずかずかと近づいてきた。通行人を全く苦にしていない。いや、むしろ通行人の皆さんのほうが避けてる。無理もない。
「土方さんこんにちは」
鋭い眼光の所為、いやその前に真選組の隊服という要素で、人々は彼を避け道を開けている。土方さんはそんなことに構う様子もなく「おう」と返事して僕を見下ろした。次の台詞はなんとなく予想がついている。
「近藤さんを見なかったか?」
「いえ、見てません」
ほらやっぱり。それくらいの用事がなければ向こうから近づいてくることはないだろう。そう思った僕だったが、その次の台詞は予想外だった。
「じゃあお前の姉上はどこにいる」
それを聞いてどうするんだ。つーかなにその威圧感。姉上なら今日はお店の人と出かけているらしいけれどそこを訪ねるつもりか? 近藤さんを探すためだけに? なんて迷惑な人……っていうか迷惑な組織。
「土方さんってたまに近藤さんしか見えてないようなとこありますよね……」
「それはテメーにとっての坂田銀時とどう違うってんだ」
また予想外が来た。驚いて僕は言葉に詰まる。否定はできない。でも、心外だ。まさかこの人にそんなふうに認識されていたなんて。
「ちょ、一緒にしないでくださいよ。僕はそこまで盲目じゃありません」
動揺は隠せないまま、辛うじてそう言い返す。すると土方さんはどうでもよさそうな顔で「そうかい」とだけ呟いて煙草をくわえた。
「……否定しないんですか?」
僕は恐る恐る訊ねた。
「間違っちゃいねェからな」
彼はすんなりと答えた。そして付け加えた。
「自分の信じてるもんが間違ってるとも思わねーし」
その台詞に僕が何らかの感想を抱く前に「土方くん危なああああああいっ」と知ってる声が聞こえてきたかと思えば土方さんの背後に木刀を思いっきり振りかぶった銀さんの姿が現れて僕は思わずいつものように「銀さん!」と彼を呼び、でもその声より早くに気配を察していたらしい土方さんが振り下ろされた木刀を鞘で受け、叫んだ。
「なにしやがんだァァ! 沖田かテメーはァァ!」
「沖田じゃないです坂田ですぅ」
おちょくった口調で答える銀さんはしかし、目がマジだ。
「つーかてめーはウチの眼鏡捕まえて何してるんですか? 職質ですか? 確かにこいつは仕事とかさっぱりできなさそうなダメガネだけどまあ実際あんま使えないダメガネなんだけどちゃんと俺が雇ってるからその辺心配ないからさっさと失せやがれ税金泥棒が」
「銀さん、とりあえず威嚇をやめてください! あとダメガネ言うな!」
僕が懸命に二人の間に入っていくと案外すんなり銀さんが身を引いてくれた。良かった、大事にならずに済みそうで。ほっとしてとりあえず土方さんに謝ったら「なんでお前が謝るんだよ」という二人の言葉が見事にかぶってまた空気が険悪になった。喧嘩になる前に僕は銀さんを引っ張って駈け出した。
駅前の人の流れから抜け出し、店が立ち並ぶ通りへ。ろくに挨拶もせず別れてしまったことが少し気がかりだけど、まぁ、いっか。
「新八くん、キミも案外大胆なヤツだねェ」
歩調を緩めて掴んでた腕を離すと、つまんなそうな顔の銀さんが言った。
「俺との待ち合わせ場所で他の奴と喋ってるなんてさー……それはなに? 一種のプレイ?」
「あ……すいませんでした」
プレイってなんだよ。と言いたい気持ちを我慢して僕はまた謝る。一応デートと銘打たれているから、そーゆーふーに言われても仕方ないかなと思ったから。そして僕は立ち止まった。後ろでのろのろと歩いていた銀さんが背中にぶつかって抗議のような声をあげたけどもそれどころじゃない。そうだ。これはデートだった。
「んー、どした」
急にどうしていいかわからなくなった僕を銀さんが覗き込んでくる。さっきまでの平常心でその顔を見ることができない。どうしよう!
「あ、そうか。新八くんは俺にエスコートしろと言いたいわけね」
「思ってねえよそんなこと!!」
作品名:Let it bittersweet 作家名:綵花